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世界の終末を歩く【ポエム】

作業に息詰まり、オークランド市街地をしばらく散歩。
ニュージーランド(NZ)にたどり着いてからずっとだけど、人通りが少なすぎる。

人より羊の方が多いと言われるNZだけど、さすがにNZきっての大都市オークランドのど真ん中で、この人の少なさは異常に違いない。

あの感じ

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世界の終末にいるような気がして、映画の世界の主人公になったような気がして、少しワクワクしたりする中二心を持ち合わせてる僕にとっては、こんなタイミングでNZに来れていることなどは、実は嬉しかったりもするんだけど、東京が緊急事態宣言でここと同じような状況になるのなら、見てみたいなと思った。

不謹慎かもしれないけど、24時間あれだけ人のいる東京の街はどんな風に見えるのか、すごく見てみたい。

誰もいない東京の駅から駅を練り歩くことをしてみたい。

閑散とする大都市を歩くと、ちっぽけさを感じる。アイスランドの氷河の前で感じた、あの感じ。サハラ砂漠の夜1人で立ち竦んだ、あの感じ。

ただひたすら圧倒され、自分1人では立ち向かえない何かを目の前にしたようなあの感じ。

ホームレスもあたたかい

Kiwi(NZ人)はすごくフレンドリーで、散歩をしているとすれ違い様に笑いかけてくれたり、話しかけられたりすることがよくある。

今日は友達に声をかけるかのように呼び止められ、
「10セントくれないかい?」
と気さくに聞かれた。そう、彼はホームレスだ。

オークランドの市街地には少数だがホームレスがいる。
スーパーやコンビニの前で小銭を入れる箱などを置きよく座り込んでいる。
これまで行ってきた他の国と違うのは、ホームレスがガツガツしていない。
(上記のホームレスも話しかけては来るが、断るとあっさり帰っていった)

これが国民性なのかは分からないが、ホームレスの対応からいい国民性だなと思ってしまった。よく、Kiwiはやさしくてフレンドリーだなんて聞くが、本当にそうに違いないと思わされる、そんな一幕。

一緒に働いたり、生活を共にするとKiwiの性質をもっと見れるのかもしれない。非常事態宣言が引かれている期限まで、あと15日。

明日は誕生日

明日は誕生日だけど、監禁生活の延長で特に変わらない1日を過ごすことになりそうだ。

歳をとるというのは、誕生日を境に急に変化が訪れるわけでもないし、年齢がその人の実績や元気さを表すわけでもない、と信じている僕にとっては、もはや年齢という概念に対しての重みが薄れつつある。

誕生日という日を特別に過ごさないというのは、今の自分に合っているのかもしれない。

むしろ、毎日をどう特別にするか、濃ゆい1日にするかに奔走していく。そうして年月を積み重ねることで、人生の意味を深めて行きたい。

それは、働くことに焦る訳でもなく、煌びやかな生活を作り出すことでもない。

ただの散歩でも、巨大都市の中で閑散とするビル群に孤独を感じつつ、ホームレスにたかられることで温かさを感じる。

これらも、僕の人生を彩るモノに変わりはなく、無理して楽しいライフイベントを作り彩る必要はないのだ。

今日も1日が終わる。

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