無題 @ 2020-10-18


以下蛇足

歳を重ねると、段々と世の中の新しいものに適応できなくなるのである。


一応、私とて、いくら年をとっても老害と呼ばれ後ろ指を指される存在には落ちぶれたくはない。精一杯背伸びして世の中のワカモノが楽しんでいる娯楽や文化を理解しようと試みてはいるのであるが、しかし自分たちと10年世代がズレるだけでも違和感があるというのに、20年、30年ともなるともはや全く理解ができない。理解ができないどころか、我々の常識からすれば、嫌悪し、唾棄し、非難を浴びせ、存在を否定し、積極的に排除さえせんとするような文化さえも登場してくる。

最近のワカモノはソーシャルネットワークというものを楽しむらしい。私はというと彼らがワカモノがオシメをつけているような時代から黎明期のTwitterだのFacebookだのmixiだのを嗜んでいたわけで、あの頃は確かに少しは良さも理解できたのだが、今やソーシャルネットワークの世界にはアホとバカと嘘つきと嘘つきとキチガイと広告しか存在しない。あんなところに身を窶しては自らの知性と精神の安定が危ぶまれることにいち早く気づきとっとと辞めてしまったのだが、それ以来伝え聞くところによるとソーシャルネットワークの世界は悪化する一方のようである。残念ながら世の中の大多数はアホとバカと嘘つきとキチガイと広告を出したい企業しか存在しないためか人気は衰えるどころか増す一方で、すでにYouTubeも素朴なビデオ共有の世界から、目立ちたいだけのガキと女とキチガイと広告だけが跋扈するつまらない世の中になってしまった。私は猫の可愛い動画だけ見ていればいいというのに、その猫の可愛い動画界隈ですら、やれ飼い主が変なものを猫に食わせてリアクションを楽しむだの虐待まがいのことをやって再生数を稼ぐだの、アホに事欠かないようになってしまった。

基本的に、自分が大事で、自分をもっと見せびらかしたい、と思う人間の本能というやつは、ろくでもないのである。まぁ、私も見ての通りそんな下らない本能に突き動かされてこんな便所の落書きを世界全体に公開する自慰行為にふけっているわけで、人様にエラソーな批判をする権利はないのだが。

それはともかく、そういうわけで世の中の、少なくともインターネットに繋がっているほぼすべての箇所については、人様に自らのオナニーを公開配信するコンテンツばかりが増え、そしてあろうことか人気を稼ぐ一方となってしまった。そして、もちろん、私の愛するゲーミングの世界も、だ。

それが今日の本題に繋がる。今Twitchで人気を集めているゲームの話だ。

それはFall Guysだったが、

やがてAmong Usになり、

そして今はPhasmophobiaだろう。


もう少し昔に遡るなら、それはバトルロワイヤル系のゲームだった。


何が言いたいか。要するに、Twitchで流行っているゲームが、ただひたすら「バエる」ゲームになりつつあるのである。「面白い」ゲームではなく。

そして当然、Steamのセールスの上位で目につくもの、大作ではなく、これらのバエるゲームである。要するに、流行り物ゆえ、売れているのである。

もちろん、私自身別にFall Guysが面白くないとも思わないし、Among Usがクソゲーだとも思わないし、ましてPhasmophobiaについてはいくつもの新機軸がある素晴らしいゲームだと思っている。しかしこれらが決定的に今Twitchで流行っているのは「バエる」からだ。ゲーム自体が中毒的に素晴らしいから、というよりは、だ。何者にも否定はさせない。そしてこれは私の予想であり予感であるが、仮に今年のGotYを予定通り取るであろう超大作のCyberpunk 2077がこの後リリースされたとしても、一時はともかく、すぐにこれらのバエるゲームが視聴者数という観点では首位を奪還するのではないだろうか、と恐れているのである。

別にそれが世の中の変化だといえばそれまでだし、こういうバエるという全く新しい軸でゲームが評価されるようになったのはゲーミングの世界の進化であるとも言える、言えるのだが、しかし私のような年寄りには、どうしても、認めたくない思いがあるのである。残念ながら、理性は理解しようとしてくれていても、我が本能はまるで理解する気がない。

私は本質的に人間が大嫌いなのである。他人だけでは無く、自分もだ。人間というのは、少なくとも、私自身も含めて圧倒的大多数が、本能に流されるだけの嘘つきで無能な生き物だ。少なくともそれが私が下らない人生で得た教訓だ。そんな人間が人間同士で嘘を付き合い出し抜きあうようなゲームの実況と、面白おかしく本能に従って恐怖するようなホラーゲームの実況は、どうにも私には耐え難い。私は人間が嫌いだから人間相手ではなく機械相手に遊んでいるのである。それでも人間同士で遊ぶ場合は基本的に協力するゲームを好む、それこそが人間の美徳だと思うからだ。私がプレイしたいのは、敵対するゲームでもなければ、まして騙し合うゲームでは無い。冗談でもそんな真似はしたくない。

しかしながら、世の中というのは私一人の取るに足らない考えなんぞに左右されること無く、ただ変化を続けるものなのである。そして資本主義経済の世界においては、大多数に支持されるものだけが生き残る。すなわち、私の愛するような一人でちまちまプレイするようなゲームは早晩衰退し、皆が愛するバエるゲームが今後ゲーミングの世界を斡旋するのではないだろうかと今から気が気ではないのである。


そうそう、年寄りというのは、些細なことに憂慮する生き物だ。