飲みの場でSかMか聞いてくるやつ


明け透けであることに色気はない。
ミステリアスこそ、色気というものにつながっているような気がする。
今それを捨てて発言するが、私は酒、異性、たばこ、セックスこの4つが大好きだ。
今日は自分の性癖について書き殴ろうと思う。

変な時間に目が覚めた時、たまにする行動がある。
コミックシーモアを開いて購入済みの欄を開くことだ。
本来、私は漫画も小説も紙媒体で読むのが好きだ。
実家の自分の部屋は中学生頃から、本で溢れかえっていた。
母に床が抜けそうで怖いから選別してくれと懇願される程度には私は本を買って読むことが好きだった。
そんな中で出会った文化がBLだ。
昨今、話題になることも増えてきたように思う。
昔はアンダーグラウンドで話すときは小声で、むやみやたらとその話はしないこと…そんなような文化だった。
そんなことはどうでもよくて、大学を3回生半ばであきらめて実家に出戻って来た情けない私は、家族からこれ以上反感を買うわけにはいかない。
そんなわけで最近はできるだけ紙媒体を我慢し電子書籍で作品を楽しんでいるというわけだ。
今日も変な時間に目が覚めた私は、慣れた手つきでコミックシーモアを開いた。
何か読み直そうと購入済み一覧を眺めていると、ある作品が目に入った。
『簡易的パーバートロマンス』SとMをテーマにしたBL作品だ。
久しぶりに読み返していると、ひとつの疑問が頭によぎる。
SとMってなんだ?
私は自分のことをMだと思っている。
「〇〇ちゃんってS?M?」
飲みの場で出会ってその日の性欲を解消する為だけに利用する、明日以降会うことのないであろう男がよく言うセリフである。
私はいつも相手を試すために言うのだ。
「どっちかって言うとMかなぁ」
そして、大体満足せずに朝を迎える。
Mは痛めつけられるのが好き、だと思っている人が多い気がするが一概にそうとは限らない。
実際、私は痛すぎる行為に恐怖を感じるし、言わずもがな痛いから苦手。
痛すぎるの定義は、おしりやふとももなど肉の厚い場所へのスパンキングは大丈夫だけど、そこ以外へのスパンキング、グーで殴られるだとか刃物で傷つけられるだとかは絶対に嫌だ。
私が求めているのは精神的に支配されること。
かと言って「こんなことされて喜んでるなんて恥ずかしいやつだな。
親に申し訳ないとか思わないのか?変態め」みたいなことを言われたら
しっかりぶちギレる。
そうじゃない。私は人格を否定されたいんじゃない。
私の良いところも悪いところも恥ずかしいところも丸っとすべて認めて包みこんで貰いたいのだ。そういう意味で支配されたい。
言葉攻めするなら「どうして欲しいか、ちゃんと言わないとわかんないよ。ほら、早くしないとやめちゃうよ。(絶対に私が言うってことが分かってるから、最初からやめるつもりがない)」だとか「そんなになって恥ずかしいね。そんな姿、俺以外に見せちゃダメだよ。」だとか、優しさとリスペクトのある言葉攻めをされたいのである!

こんなことを考えているとひとつ気づいたことがある。
Mはわがままだ。相手に尽くしているように見せかけて、実のところ施すよりも施されたいのだ。
さっき書いたように世の中には嘘もののSが蔓延っている。
やつら勘違い自称S達は、それをわかっていない。
異性を雑に扱うこと、自分のしたいことだけすることがSだと思っている。
舐めるなよ。SMとは、とどのつまり信頼関係なのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?