共鳴する。
久し振りにやってしまった。青空にまだらを描く白い雲があまりに鮮やかで、今日この日の晴天を約束していた。冬のはずが陽射しが目に沁みる。カーテンを締め切って本の世界に入り浸ってしまった事が運の尽きだった。静かな雨は音を残さない。干したままの洗濯物は、しっかりとした重みを持って哀しげにぶら下がっていた。
雨の匂いが強くて、溜息が出る。衣服は洗濯機に放り込んだ。もう黄昏時だ。何故か彼女の事が脳裏に過った。切り揃えられた襟足、微風では散らばることのない毛先、軽やかなスカートだけが足元を揺れていた。会う事がなくなってからどれだけの季節が過ぎただろう。滅多に音を鳴らさない携帯電話が、思い出したように机をくすぐっている。偶然にも彼女のメッセージを知らせていた。
二月の雨は、春の香りを含んでいる。傘を広げて駅を出ると、少し懐かしい匂いがするあの街だ。街灯と白木蓮が交互に並んでいる。枝の先に膨らんだ蕾が、春の濃度を上げていた。久し振りに見た彼女は、微塵も変わった様子はなかった。記憶通りの髪型、思い出していた服装。その事を指摘すれば、この前切ったばかりなんだと可笑しそうに笑っていた。
彼女はやたらと鼻が効く。私のポケットに手を滑り込ませたかと思えば、わざとらしい怪訝な顔を作って紙箱を取り出した。開封済みの煙草は、1本分の隙間を作っていた。いつの間に不良になったのかと口調では怒っているけど、笑い声混じりだ。一本だけ、と慣れたように火を点けると呼吸するよう吸い込んで、細く長い紫煙を吐き出した。
「煙草はやらないんですよ」
言い訳するように呟くと「知ってる」と短く答えてそのままもう一口の煙草を吸い込んだ。
「私も、やらないから」
あまりに慣れたその所作に嘘を暴こうと目を覗き込めば、迎え立つよう見つめ返された。先に目を逸らしたのは私だった。彼女は立ち上がるとそのまま台所へ向かい、流水で火を消しゴミ箱に放り込む。
「吸い方を知ってるだけ」
帰り道、雨の中では猫のお見送りは期待できないだろうと肩を落としていた。この街では、帰路を隠してしまう物怪が住んでいるのかもしれない。その物怪は、帰りたくない私の心を悟っているのだ。猫の先導がなければまともに帰り着く事ができない。後ろ髪を引かれる気持ちで玄関を開くと、小雨は止んで澄んだ空気が濡れているだけだった。足元を見下ろす。あの時とは違う猫が佇んでいる。
「ああ、あの猫ね。どこか別の街に行ってしまったみたい。今はこの子が来てくれる。名前もあるみたいですよ」
相変わらず人慣れしない猫だけれど、時々こちらを振り向きながら様子を気遣い、先を進んでいく。坂を降りて、曲がって、街灯と白木蓮が並ぶ道。次、月子さんに会う頃には蕾がもっと膨らんでいるかもしれない。この燻った感傷もいつか弾けるまで膨らんで綻び開き、枯れて消えていく事はあるのだろうか。
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