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3月30日



久しぶりに家に行って、おばあちゃんとおじいちゃんに会った。
おじいちゃんが迎え入れてくれた。1年ぶりに見たおじいちゃんは随分細くなっていて、一目見た瞬間に、もう先は長くないんだろうなって、不謹慎だけど思った。「大きくなったね」って言ってくれたけど、私の身長はもう伸びてなんかいなくて、おじいちゃんが小さくなったったんだよ、って思わず口に出そうになって、その言葉を呑み込んだら、なんか涙が出そうになった。

おばあちゃんは買ったものの片付けをしていた。おばあちゃんの声は以前会った時よりも小さく、細くなっていて、少し物音がするともう、聞こえないくらいだった。立ち上がるのにも、ゆっくり、ゆっくりと、わたし達の3倍くらいの時間を使っていた。知らない間に見たことのない無機質な歩行補助器が増えていて、それを使っておばあちゃんは歩いた。もうちょい可愛い見た目ならいいのに、って思った。本当に、歩行を補助する器具だった。

相変わらずおばあちゃんの話は面白くて、
でも全ての話に、体は大丈夫だったの?って質問をしてしまう。おじいちゃんも今日もキビキビお茶を入れて、話を静かに聞いてにっこりしていたけど、なんだか顔が変わって、違う人のような気がした。

散歩に行けないらしい。あんなに毎日欠かさず散歩に出かけていたのに。ばあちゃんが先頭で、親戚みんなでぞろぞろ歩くのが恒例だったのに。

帰る時になったら、
お見送りをしてくれて、もう、おばあちゃんは玄関先まで出て来れなくなってしまって、角を曲がる時振り返って見えるのはおじいちゃんだけになった。
さっき桜が満開だって話をしたからか、おじいちゃんが向こうの桜の木を見ていた。その後ろ姿が愛おしくて、切なくて、胸が鳴った。おじいちゃんが桜を見ている姿を、こちらに手を振る姿を、あと100回は見れたらいいのにって思った。

ふたりが死んでいいはずがない。この世界からいなくなっていいはずがない。こんなに美しいふたりが死ぬのなら、つまらないわたしが代わりに死にたい。その方がこの世界はまだよっぽどマシだ。お願いだから死なないで。ふたりにはずっと、ずっと生きてて欲しい。でもそれは絶対叶わない。分かってるけど、わがままだけど、ずっと元気でいて欲しい。

こんなにふたりに惹かれるのはやっぱり遺伝子的なものなのかな。でも多分、違う世界線で出会っていても、絶対に好きになるなと思う。

ふたりの血を引いていて、ふたりの孫で、本当に良かった。自分の顔が不細工だ、とか、つまらない人生のまま終わるんだ、とか今まで悩んできたことぜんぶが本当に本当にどうでも良くなった。自分がどんなに不細工でも、つまらなくても、私は世界一のおばあちゃんとおじいちゃんを持った、世界一幸福な人間だ。そう思わせてくれる人にふたりも出会えて、本当に良かった。おばあちゃんとおじいちゃんのような人間になる。何も無かった人生にひとつ、目標ができた。

どうか、健やかに。
ふたりにせいいっぱいの幸福を。
神様でもなんでもいいから、よろしくお願いします。

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