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「近喜商店」

没後100年の2024年にふたたびカフカの言葉が蘇る。

ある人物に対する、後世の人たちの判断が、
同時代の人たちの判断よりも正しいのは、
その人物がもう死んでいるからである。

人は、死んだあとにはじめて、
ひとりきりになったときにはじめて、
その人らしく開花する。

カフカ(1920年の手記 

京都には三ヶ月に一度ドライブに行く。
名古屋から車で二時間。

ドライブにはちょうどいい距離なので暇があれば妻を誘う。
聞こえはいいがほぼ妻のご機嫌取りだ。
ただ今回は自分が主導して行きたいとお願いした。

8月の中旬のこと、いつものように近喜商店さんで生麩を2本買う。
その際、店主から9月で店を閉めると聞かされ驚いた。
京都錦市場で130年続く名店 湯葉・麩・豆腐の店「近喜商店」。

店主は外国人観光客が増えてしまい、常連さんが来れなくなったと寂しそうに語ったのが忘れられず最後の日は絶対に行くと決めていた。
ただ、いつまでやるかわからない、9月中旬かもしれないと言っていたのでお店の明かりが見えた時は本当に嬉しかった。

妻がいつものように生麩を2本お願いすると『最後のやつだね』と、ちょうど私たちで売り切れとなった。

世界一の最後の生麩が手に入った喜びと同時に、私の後ろをぞろぞろと歩く人たちがこんなに美味しい店に誰も足を止めないことに寂しい気持ちでいっぱいになった。

日本は100年以上続いている会社が国別の比率41%、200年以上に至っては65%と他国を圧倒している。

錦市場で130年という老舗がなくなってしまう。
インバウンド需要に目を向けると常連に背を向けることになる。

先のカフカの言葉が現代に問いかける。
後世の人たちの判断が、
同時代(今)の人たちの判断よりも正しい』と言っている。
その判断は未来に委ねるしかないが火を見るより明らかだ。


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