2024年5月1日(水)

理想的な睡眠と起床時間だと思っていたけれど睡眠時間が足りていなかったらしい。眠気にだいぶやられる。頭が痛い。

朝起きて20分程度ランニングをする。特になにか新しい発見があったわけでは無いし、なんなら空は曇っていて爽やかじゃない。今日は雨の予報だ。部屋干しだ。小学生の登校見守り隊の人に対して挨拶をすべきかどうか微妙に悩む。私みたいな成人にも挨拶をしてくれるタイプの隊員かそうでないか見極めようとしてしまう。回数を積んで探らねばならぬ。

朝食をとり、朝食で使った食器を洗うことまでして、仕事の時間を迎える。起きて数時間してから仕事の時間が来るとスッキリした気分で始められて心地がよい。効率もそれなりに良かった気がする。
先月まであんなに残業続きだったのに、今はほぼ残業が無い。なんというか、うまくいかないもんだな。ちょうどいい感じに分散してくれるわけにはいかないのか。

寝不足なのか、片頭痛がする。鎮痛剤を飲む。一体何時間眠れば気が済むんだ。

仕事を終えて、料理をする。豚肉とチンゲンサイがあったので八宝菜もどきを作ってみる。
結果失敗した。八宝菜は失敗した。
詳しく書くと、2つの失敗ポイントがある。
1つめは水を入れ忘れた。野菜を炒めた後に水を入れて5分ぐらい煮るべきだったらしい。普通に強火で炒め続けたため、焦げた。水溶き片栗粉を作るのとは別に水を用意して鍋にいれるなんてめんどくさいこと必要だと思っていなかった。
2つめはきくらげを入れ忘れた。八宝菜を作り始める前まではきくらげの存在を強く意識していて、水に戻すまではやっていた。だけど出来上がった八宝菜にはきくらげがいなかった。
きくらげは水で戻すと4倍ぐらいの大きさになるので毎度驚く。明日スープにでも入れてやろう。

水を入れ忘れたけど八宝菜はそこそこ美味しかった。

半分は冷蔵庫に入れて、買い物に行く。
本当は自転車のパンク(4ヶ月ぐらい放置している)を直しに行きたかったのだけれど、雨も降っていたし、やめて買い物だけに絞る。

洗い物をしながらイベントのアーカイヴを見ていて、一つ気付いた。
私がアプローチしたい思っているのは郊外で消費活動以外の娯楽にふれる機会が少ない層だということ。
横浜トリエンナーレという国際芸術祭が今開催されているが、横浜市の端っこに住んでいる両親は開催されていることさえ知らない。これをどうにかしたい。芸術祭は自分が収めた税金が使われているにも関わらず、両親は知らない。眼の前の期間限定のファミレスのメニューとか、体に悪いチューハイとか、油っぽいラーメンにばかりお金を使ってほんの一瞬だけ楽しんで、その外側にいけない。外側があることさえ、知らない。知るきっかけも、ない。芸術祭がやっていると言われても、わからない。

だから、もっと身近な生活の言葉が使われていく必要があると思った。目的が生活の豊かさの向上だったり、社会との架け橋をつくることだったとしても、全然自分がその対象だとはまるで思いもしない。ぼんやりとした誰にでもわかりそうなウェル・ビーイングを掲げられても、自分がウェルになれる感覚さえ想像できず、わからない。もうわかりようもないのだと思う。もはや今のくたびれた生活で身を滅ぼすことに、何も疑問を持っていない。

タイトルに美術館や芸術やアートとはつけずに、こっそりひっそりと、じわじわと生活に注ぎ込んでいきたい。注ぎ込んでやりたい。どうしようか。表現方法とやり方を考えたい。

私は批評や美術の人が使う言語を結局あまり理解できていないわけだけど、逆にその立場からできることはあるのかも、しれない。こんなダラダラと日々1000字前後の日記を書いたところで何も変えられないんじゃないかと思っていたけれど、間違っているわけじゃ多分ない。少なくとも言語の使い方はそこまで悪くないんじゃないか。

どうやったら、胃に穴が開いても会社をやめない・毎日ストロング系の安いチューハイを1L飲む・週末は寝っ転がりながらYouTubeで陰謀論の端くれみたいな動画をザッピングしている両親を救えるのだろうか。
実家には猫がいる。彼に期待するしか無いのか。言葉をしゃべらないのにね。どうしようか。
まず私が両親と仲良くなるしか無いのだろうか。

一日続いた頭痛の正体がわかった。
蚊取り線香の蓋をあけていたからだ。
殺虫剤に殺されかける。私は虫と一緒。


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