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日記(対話っていいな/嬉しかったこと)


前の日記にも書いた、KYOTOGRAPHIEの石内都さんと頭山ゆう紀さんの展示を観た時のこと。


会場で配られていた冊子の対談で心に残った、写真家 石内都さんの言葉。


“写真はやはり他者、第三者が見ないとダメなんです。自分だけ見てても写真じゃないのよ。自分とは全く関係ないところで、知らない人の目線が帰ってくる。写真の面白さはそうした対話のようなものにあると思います。”

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2023「透視する窓辺」
A dialogue between Ishiuchi Miyako and Yuhki Touyama
With the support of KERING'S WOMEN IN MOTION
 IMA


自分だけ見てても写真じゃないのよ。


これって写真だけじゃなくて文章や絵もそうだし、色んなことでそうだと思う。
自分が考えていることが誰かの目や耳に触れて初めて、存在する何かがある。
対話がある。

個人差があることかもしれないけど、私は確かに、と思う。


私は人とコミュニケーションをとるのが得意ではないけど、得意じゃないからと言ってコミュケーションが必要ない人という訳ではない。
むしろ他者の存在にめちゃくちゃ引っ張られやすくて気にしすぎてしまうので、本当はニンゲンダイスキ…なんだけど驚かせたくなくてあまり近寄らないようにして隠れているモンスターみたいな奴だ。
孤高の人には憧れるけど絶対なれないので、面白いなと思う。

直接話すのは緊張するけど、誰かのTwitterを見たりnoteを読むのは大好きだ。
誰かが書いたテーマを自分も書いてみようと思ったり、挑戦したくなる。
何かの感想を読んだりレポートを読み比べるのも楽しい。
自分で書いたことも公開すると後で新しい気づきがあるし、反応が返ってくるととても嬉しい。
これもコミュニケーションなんだと思う。


ファッションも、コミュニケーションとしての役割が大きいと思う。
誰にも見せてあげない自分だけのコーディネートというものがあっても素敵だけど、
誰かの目に触れることで初めて生まれる反応があるのも服だ。
人を寄せ付けることもできるし寄せ付けないこともできる。

私はまだ自分の服選びは迷いながらだけど、
自分でも最高だと思えてかつ、誰かに見せた時に返ってくる反応も自分の意図に沿っている良い状態を目指したい。

が、結構難しいなと感じる…。
だけどそれが面白いところなのかも。
もっと自由に楽しめるようになりたい。


石内さんは対談の中で写真は思考を呼び起こす装置だと語った。
それは自分だけじゃなくて他者も巻き込んでいる。
ここに凄く興味があるし面白いと思う。

”個人をぐっと突き詰めるとすっと広がって社会になるんです”
“普遍性って個人からしか出てこないんですよ”

という言葉もとても共感できて好きだ。
“ぐっ”と“すっ”の音の感じも好きだ。
私もぐっと突き詰めてすっと広がった人間になりたいなあ。


嬉しかったこと


Twitterで、リツイートしたツイートが興味深かったとガールズのゆとりさんに言ってもらえて嬉しかった。

Twitterはガンジス川であるが、私はTwitterではお花メインで流れてくる川(@osakana2023)の他に、ジャンル問わず色んな人をフォローしたガンジス川アカウントも持っている。
たまにガンジス川アカウントに流れてきた面白いもの(?)を拾って、お花の川にリツイートして放す。
お花の川に流しても良いのか少し考えることもあるけど、私はちょっと汚いカオスなTwitterが好きなので流してしまう。
だから興味深かったと言ってもらえてとても嬉しかったです。
誰かのカオスにもとても興味があるし、重要だと思っています。

最近Twitterに鍵をかけてしまったけど、その分noteのフォローを増やして投稿もしようかなという気持ちになっている。
交流は好きなんだけどプライバシーも守りたいというワガママ体勢。
フォローリクエストしてくれる人もいて、それもとても嬉しかったです。

人が怖いと思うこともあるけど、やっぱり好き。
お話ししたり交流があるのは楽しい。

そういう気持ちに素直になろうと思ったのでした。



ツツジのピンクに染まる

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