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11.人としての力量が試される仕事

 さて、次のダンジョンは、教育総務課 次長兼課長
 市には、⭕️⭕️委員会といって、市長の傘下とはちょっとだけ違う立場での部局があり、教育委員会はいわゆる教育の委員会です
 これまで馴染みのない部局にfukushin_Ceoは行くことになりました。
 実はうちは両親とも教員だったこともあり、教育という分野には小さい頃から馴染みがあります。我が家の食卓では、教育委員会が⭕️⭕️だとかいう話題がよく出てましたね。

 教育委員会
 市役所の中にいても、ニュースを見てても、外から見ていた教育委員会の印象は ザ”隠蔽体質”。何かを隠そうとばかりする体質と入る前は思っていました。
 さて、実際にfukushin_Ceoが入ってみた風景、教育委員会はどうだったでしょうか。

仕事も組織も色んな意味で曖昧

 俗に、教育委員会と言っていますが、僕が配属されたところを正確にいうと教育委員会事務局。教育委員会とは、教育委員という5〜6名の委員さんと教育長という集まりの会。この方々で教育の大きな方針や決め事、学校ごとの方針は校長先生が決めますが、全体の方針や授業のこと、通学のこと、教育の大きな方針、教科書の選定も手がけます。
 僕がいた教育委員会事務局の教育総務課は、主にこの委員さんたちのサポートのほか、事務的な仕事の全ての取りまとめ。だから、教育委員会事務局全体の予算、条例、人事、全て集まってくる、忙しい部署。なぜかこういうところばっかり行くんだよね。
 教育委員会は定例で毎月行われ、予算や条例などがここで決めてから市議会に提案することになっています。そのほかにも臨時で行うときもあります。

 実はみなさんが知ってるようで、みなさんが知らない大事なお話

 実は、教育委員会のトップは市長ではないんです。
 トップは教育長

 なぜだと思いますか?
 それは、政治と教育は分けなきゃいけないからです。
 教育はそれほど慎重に取り扱う必要があるんです。
 でも最近は、市長が教育長を任命する仕組みになっています。

 これも知ってるようで、みなさん知らない話。
 学校を作ってるのは市長、教育委員会の予算措置をするのも市長。教育委員会には予算権限はありません。

 実際に文部科学省のウェブサイトにはこうあります。

 教育は政治的中立性や継続性・安定性の確保が強く求められ、合議制の機関を通じて公正中立な意思決定や住民意思の反映を図ることが適当だと考えられる。

文部科学省HPより

 予算権限はなくても、教育委員会事務局や学校には予算が市長から措置され、それで運営を行います。

 さらにさらに、みなさんが知ってるようで知らない話。
 学校の先生は校長先生も含めて、都道府県の職員
 政令指定都市は同じですが、多くの市町村はこのカタチです。
 学校の先生の人事権も多くの市では都道府県が持ってます。

 予算を措置するのは市長、教育の事業を決めているのは教育委員会、予算を考え、使っているのは教育委員会事務局、でも働いている学校の先生などは都道府県の職員。要するに、予算を決めている人、教育の方針を決めている人、教育委員会と校長先生をはじめとする先生方は、違う会社の人って感じです。

 通常の会社とも通常の市役所とも全く違う組織。難しさと不思議さ。
 でも、最近では市長と教育委員との意見交換の場として、総合教育会議というのもつくられてます。

 また、制度も曖昧です。
 例えば、公園や道路を作る、福祉で生活を支援する、国が作るいろんな制度があります。これらの事業って、制度がはっきりしています。道路や公園は、こういうルールで作りましょうとか、福祉なら年収⭕️円までの人は支援の対象ですよとか。
 でも教育委員会、特に学校にまつわる文部科学省の制度はあいまいです。
 地域の実情に応じて・・・・
 結構これが多い。

 それは僕が思うに、人をつくる、人格をつくることが制度の目的だからです。人づくりは、道路や公園のように、マニュアルがあるというよりも、現場の状況に応じてフレキシブルに活用する。
 いい意味でも、難しい意味でも曖昧な制度と、複雑に入り組んだ組織、そんなことって、誰にも伝わってないでしょう。

 組織も制度もこんな感じだから、普通の会社みたいに一枚岩になりにくい仕組み。でもそれこそが、民主主義の原点ともいえます。

 仕事では、難しい局面が多い職場ですが、子どもたちのためというフレーズには、誰もが共感する、そんなところもあります。

誰も踏んだことのない道をつくっていく

 とにかく日常色んなことが起こる仕事。
 学校が小学校で41校、中学校で18校と59校あり、そのほか図書館、公民館、色んな教育施設がある中、本当にさまざまな事件が起こります。
 また、台風や事件が起こると、夜中でも出動があったりと、デスクに座りっぱなしの仕事に見えますが、見えていない部分がたくさんある仕事です。 

 当時、僕がルーティーンワーク以外に手がけた仕事が大きく2つあります。

 一つは、学校や施設の再編。少子高齢化や時代の変化とともに施設のニーズも変わってきたり、また施設も老朽化して建て替えを見据える時期に差し掛かっていました。
 再編って大変なんですよ。
 すでにあるサービスをなくすというのは。何せ、そのサービスをあてにされている市民が必ずいます。でも、税金を使って運営しているので、より多くの人にあてにされる使い方に変えていくこと。これが必要です。
 職員って、やったことない仕事、すごく嫌がります。でも僕は変わってて、誰もやったことのない仕事やりたくなっちゃうんですよね。
 一人で思い立ち、仕組みで大きく育てる。組織で対応できるようにする。
 この方法で定着していったんですが、この中では、色んな反発を受けたり、裏切りがあったり・・・でもね、最終的には仕組みとして大きく育っていきました。

 もう一つは、保護者負担費。
 義務教育は無料のはず。でも実は、月々クラスでお金を集めていませんか?そう、学用品や修学旅行代、卒業アルバムなど個人所有のもの、また給食費については自己負担になっています。でも、実は経済的な課題でそれを払えない家庭もある。そういう場合には、全ての子どもが等しく教育を受けられるよう支援制度があります。

 それでも、お金を払わない家庭がある。その場合、子どもはどうなるか。
 学用品をもらえない、修学旅行に行けない、そんなことってあるんです。
 でも良識のある大人ならそれを見過ごせない。なんとかしたい。
 学校が苦慮していたことの一つです。

 公金でもないお金を親から集めて、決算し、会計報告する。
 こういう事務があることを知っていながら、制度化しない。お金のことですよ。
 ということで、マニュアルづくりから始めました。学校事務職員と最初は険悪な関係だったところから、徐々に信頼関係を作り、最後マニュアルづくり、システム導入、さらには教育委員会事務局で集金の統括事務を行う。
 僕が異動したのち、学用品や修学旅行については、今は保護者負担ではなく、市が負担することとなりました。
 この事業は、全国にも誇れる数少ない事例でもあり、学校現場、保護者、そして何より子どもたちに最高の取り組みだと思います。

 これらの仕事って、「絶対無理」「できない」と言われていた仕事。でも、子どものためというよりも、むしろ自分のためといった方がいいかもしれません。
 教育総務課長というポストは、ユーティリティプレイヤー。どんな仕事にも口を挟める権限もあって、僕にはぴったりのポストだったかも知れません。当時は口が裂けても言いませんが。

人間的な職場

 人を創る仕事、こういう職場は、制度の運用も裁量がある程度あります。でも、その分、人としての資質も求められ、とにかくトラブルが多い。

 ハラスメント。パワーハラスメント、モラルハラスメント、セクシャルハラスメント、今、さまざまな言葉が言われています。
 学校の先生なんかは教育者として人格が求められる。いわゆる裁量を持つ一方、自分で判断する力量が期待される。事務局としてのいろんな判断も明確なマニュアルがあるわけでない中で、人格、人としての力が求められます。
 この人格とか人間力とかいう物差しは少しずつ変化していて、時代に合わせてアップデートしていくことが必要になります。 

 現場で創るいわゆる対象が人間なので、対応をセンシティブ。例えば人権感覚とか、対応力とか、時代の変化を常に最新のものにしておかなければ、間違えることがあります。
 今の時代、とかく失敗に厳しい。一度の失敗でレッテルを貼ったり、とことん追い詰めたりというのが、世の流れ。
 でも失敗を重ねてこそ、人格は形成され、経験を重ねてこそ、対応力が身に付く。それこそが教育ではないかと思います。
 日々、教育現場ではいろんな事が起こります。よく、情報を出さない、隠蔽体質ということが言われるのは、こうした教育の根本があるのではと思います。みていると、何か理由があるんだろうなと想像しながら、ニュースなどをみています。

 それだけ広い視野を持てる仕事。

アウェーからホームへ

 とにかく、毎日が台風のように過ぎていった3年間の教育委員会事務局。
ここでは、指導主事と言って学校の先生から市の教育委員会に移籍して、学校の実情も知りながら、同じ庁内で働く人たちもいます。
 以前のキャリアではなかなか会えなかった人たち。

 異動した時に、フロアで挨拶した時には、知らない顔ばかり。
 その時に挨拶したのが「非常にアウェーに来た気持ちです。」

 今まで関わったことのない人たちと、人の一生に関わる事を決めていく。また最近は少子高齢化というのもあり、子育て・教育というのは選挙の時にはテーマにも上がるほど注目度が高い仕事。
 市の魅力として、大きな役割を担います。
 でも政治とは切り離されたところで現場は動く。
 しかも、いろんな会社の人が集って、上下ではなく、合議でぶつかり合う。だからすんなりいかないことばかり。
 そんな経験は、他の部署ではなかったと思います。

 3年経ち、ついに異動が告げられました。
 都市基盤部交通政策課 次長兼課長

 本当にチャレンジが多かった3年間。雑草の中を踏んで歩いて、道を作っていった、そんな3年間。
 そんな中でも、ダンスの時間は手放さなかった。どんなことがあっても・・・

 最後、フロアで挨拶した時に、伝えた言葉は
「3年前はアウェーだったけど、今はホームになった感じです」

 さて、fukushin_Ceoの次のダンジョンはどうなるでしょうか。

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