07.不夜城でもなんとかなる
ついに来ました、fukushin_Ceoの第4ダンジョンは、なんと、知る人ぞ知る市役所職員の誰もが恐れる不夜城 財政課。市の財政を一手に握る、当時は超超ブラック職場でした。
お金の使い道を決める
どんな仕事かって、市の予算って1000億円以上あるのですが、その使い道を市長をはじめ、トップと決めていく仕事。
財政課っていうと、まさにこういうイメージで、それ以外何してるねん?って感じを持たれがちですが、市の決算を国に報告したり、地方交付税と言って、国からいただくお金を計算したり、はたまた、銀行と交渉したりして資金繰りを回したり、さらにさらに、議会との窓口なんかもやってます。
市の仕事の全てを余すことなく知っておきながら、お金を回していくお仕事。それが財政課。
最近では、任期中に達成する公約を掲げて、公約に関わる予算を編成していくのも最近では仕事として重要です。
メンバーは13名程度で、予算編成と議会対応を担う予算係、部の総務を担う総務係、そして資金繰りとか地方交付税、市の借金の交渉、決算などの国との調整などを行う資金係と3つの係があり、僕は資金係に配属となりました。仕事としては、予算編成は、全係で分担して行い、予算係が集約するというもの。
この人事異動で僕は係長級の主査と言う、民間企業でいうところの主任みたいなイメージでしょうか、昇格しました。
主査は、係長のように部下を持つわけではなく、係の業務を行うちょっと先輩のスタッフとして、係の仕事を担います。
僕のパートナーとなったのが、年齢は下ですが、僕より1年前に財政課にきたIさん。彼からいろんなことを教わって仕事を進めます。
次々と壁が押し寄せる
聞いてみると、噂に違わぬ、僕が異動する前の財政課は、ほんと地獄のような残業の状況でした。12時は当たり前、2時3時になることも。
それが当たり前でした。
Iさんから、最初に色々聞きました。
「仕事のピークはいつ?」
「いつもです」
「えっ?」
「まず4月には資金計画、5月は財政運営計画の府への報告でしょ、6月は決算統計、これがヤバいほどしんどい。7月は地方交付税の算定、8月は少しマシかも、9月からは予算編成の各部へ配布の準備 10月から予算編成スタート。11月は予算編成のヒアリング、12月には予算の確定、1月にトップとの調整をしたのち、予算編成が終わると、2月は記者会見と議会への質問、3月は議会
こんなふうに一年びっっっっっしりのスケジュールで、一つ一つがいちいち驚かされる業務量です。
特に言われているたのが、決算統計
市の会計は出納閉鎖期間というのが設けられていて、3月末までに契約し、支払いや収入を決めたものを5月末までに現金として入ればいい仕組みになっています。
5月末に締め切ってから、国に報告する資料を作っていく作業が始まります。
1ヶ月ベッタリフルパッケージの残業。
国に一年の決算を報告する仕事なんですが、これがシステム化されているにも関わらず、手作業があまりにも多く、ひどい状況。でも彼らはこれを楽しんでいる感じ。
日本一の赤字
うちの市は、大阪でも北部にある北摂と呼ばれる地域。
阪急電車沿線から市街化は始まり、高級住宅地も立ち並ぶようなところもあるような市なので、財政的には余裕がある感じが持たれていると思います
地方自治体の財政は、一般的にはあまり知られてませんが、地方交付税制度といって、全国いろんな自治体がある中で、例えば公園を作ったり、学校運営したり、住民票発行したり、全国でスタンダードな業務というのがあります。その一方、いわゆる市民税とか県民税とかの税金は、住民か負担する仕組みや制度は基本同じようなものだとしても、住民の数や年齢などの条件によって、集める額は自治体ごとに多かったり少なかったりします。
スタンダードな業務を全国どこでも実施できるためには、財源を調整できる仕組みが必要で、簡単にいうと税金の75%を調整して国からお金を出す仕組みが地方交付税制度です。
多くの自治体は地方交付税に頼るのですが、うちの市は、税収も多く、平成9年度までは地方交付税をもらってないほど財政的には余裕があり、周りからも裕福と思われていた。
でも、税を負担してくれていた市民も現役の労働者から引退し、高齢化とともに、税金での収入が落ち込み、平成11年度から財政非常事態宣言を行っている状況。そんな時期に僕が財政課に入ってきたわけです。
4月に異動して、その年の5月の財政運営計画という決算見込みの大阪府のヒアリング。
大阪府では毎年高校野球で大阪桐蔭や履正社など、大阪予選を勝ち抜いた学校は甲子園でも優勝候補になります。
大阪府のヒアリング担当者が決算見込みを見たときの第一声
「大阪ではトップの赤字かも。ならば、全国レベルでも・・・・」
そう、大阪府は当時、全国でも赤字が多い市町村が多く、うちの市もご多聞い漏れずでした。
結果、
日本一の赤字
でした。
僕の財政課スタートは、日本一の赤字から始まりました。
世の中なんとかなる
こんな財政課ですが、ダンスの時間だけは譲りませんでした。この頃から僕は庁内では残業しない、ギリギリに出勤くるとして有名になりつつありました。
この人だからしょうがない。そんなイメージがつきつつあったかと思います。
周りの理解もあり、ダンスの時間だけは確保できました。
世の中、ほんとなんとかなるもんだなと思います。
ちょうどこの頃、世の中的にも変わってきて、忙しく仕事ばかりしているのがいいという時代から、余暇をどう過ごすかといった価値観に変わってきました。
fukushin_Ceo 長になる
財政課に来て2年目。初めて係長になり、初めて部下を持つこととなりました。
この時に、新規採用職員、そして異動で来たKさん、4人体制のうち、2人が変わり、その係長に任命されました。
4人は、Iさん2年目 新規採用職員Mさん1年目、異動できたKさん1年目
このメンバーでほんと多くの失敗をしました。
とにかく仕事がわからないので、前の決裁を見て、誰か特定の職員が抱えないように、毎日ミーティング。困ったことがあったら、共有。決裁を回す前に共有。だから決裁もスピード感が大事。
財政課に来る職員は、僕はともかくとして、庁内のエース級が集まってきます。本当に優秀で勘がいい。すごく仕事をしやすいメンバーが揃いました。
でも、この財政課。なぜか、仕事のスタイルはそれまで、手書きです。
みなさん考えられますか?
お金の計算をするのが主の仕事で、手書きが主流だったんです。
どうも、仕事をしたくって、職人的な仕事が多かった財政課です。
初めての予算査定
僕が最初に予算編成の担当となったのは、なんと教育委員会
教育委員会の き も知らなかった僕は、一から教育委員会の事業を学びます。
それにしても思ったのは、
こんな素人が査定していいの?
教育だよ。
昨日まで、まちづくりとか、言ってた人間が、いきなり教育委員会の予算を査定するんです。
でも、予算要求する側のみなさんは、熱い思いを持って、必要だと要求してきますが、財政課はそれを冷静に見て、他の分野との駆け引き、政策の方向性、いろんな観点を持って予算を査定していきます。
市の全体の方向性を知りながら、でも各部局の状況や必要なこと、事情なんかも把握して予算に反映する。
予算編成は10月にスタート。各部局が予算要求をまとめるのに並行して、重要施策はトップの意思決定なんかの会議がある。
11月中旬には予算要求が各部局から財政課に提案され、財政課担当者は各部局のみなさんとヒアリング。
財政課内部で共有して整理、まとめて財政課案を年内にはまとめます。
年明けからは、なんと副市長や市長へのレクチャー。
それまでのキャリアではなかった体験。
報告して、何を聞かれるか。ドキドキしながらレクチャーに臨みました。
でも財政課より、トップには大切な情報はたくさん入ってるんですよね。逆に教わることが多い。でも、その時に思ったのは、
対等に話をするには、自分の本当に感じている言葉で伝えられるかどうかが勝負
これは大事です。
人から聞いた。
大事と担当課が言っている。
これでは、通用しない。
1年目にそう思った次の年の予算編成からは、現場に必ず足を運び、体感することにしました。
体感して、自分の言葉で伝える。
このマインドは、今でも引き継がれていきます。
一人で突っ走る
市役所は、前年度と同じように仕事してれば、硬い。それが硬いと言われる原因です。
前例主義で仕事してれば硬いですが、去年よりも改善なんてされるわけない
財政課は僕のキャリアの中で一番長い時間を過ごした11年間。
前半戦は、個人と仕事との戦い。普通じゃないfukushin_Ceoは、財政課後半へと続きます。
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