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05”市役所あるある”が見えてくる
我が市では、新人は入庁3年目で1回、8年目でもう一回、職場が変わるジョブローテーションでいろんな職場を経験します。
fukushin_Ceoの第2ダンジョンは、都市整備部計画調整課
まちづくりの計画を作ってる
漢字で書くと、いかにも四角い名前のこの課は、まちづくりの設計図とも言えるマスタープランをつくる課。
最初に目に入るのは、売ってもいる都市計画図。緑、黄、青、カラフルに塗られた市の地図のコンテンツがこの課のメイン業務。
計画係、調整係、総務係と、部を統括する課が2つ目の職場です。
下水道部は予算規模がとてつもなく大きい割には、作品が地中に埋まっている。文字通りアンダーグラウンド。この計画調整課はまちづくりの設計図を作る課で、夢が描かれる。
3つの係は、土木技術職、建築技術職、事務職の混合チーム
異動するときには、係配置は当たりはずれの大きな分かれ目。
とにかく、普通じゃなく残業したくない僕は、前と同じ仕事。総務係を狙っていました。
でも、その心配をよそに、下水道部総務課の僕の育成担当の先輩が、係長と話をつけてくださっていて、あっさり総務係になりました。
下水道部総務課、都市整備部計画調整課、土木部総務課は、建設3部と言って建設関係の部局で結構一緒に仕事することも多かったので、お仕事の内容はそんなに変わりません。
後々に、土木部総務課の後継の部署にも異動することとなるので、僕は建設3部をグランドスラムすることになります。
それまでと、イメージが違うところがいくつかありました。
まず、庁舎は、当時、タバコの匂いが充満していた北別館から、新築の第2庁舎3階。この頃は、平気で職場でもタバコが吸われていた時代でしたが、この頃かな?分煙が始まったのは。
イメージが違うのが、年齢が近い職員が多くて、なんか、シュッとした感じです。
強面の巨匠の中で自由
痛烈に覚えているのが、異動の初日。
決裁待ちをしている同い年の職員さんが一人座っています。顔見知りだったので、声をかけると、決裁の印をもらえないということ。ちょっと泣きそう。
なんでも、強面で有名な次長さんがいて、上司からじゃないと話を聞いてくれないとのこと。
後からわかることですが、すこくすごくくせのある技術職員の上司が2名いて、部下は戦々恐々。そんな初日でした。
総務係の係長は、うまく生き抜いて行くタイプ。舐められたらいかんという下水道部総務課とかまた違うタイプ。
こういう技術職員の中の職場では、事務職って可愛がられます。
それは、特に自分の持っていないものを認めてもらえること。この係長も重宝がられていて、強面の次長さんをはじめ、くせのつよーい上司のみなさんをうまくグリップしています。
この係長から教わったのは、オンとオフ。全部を100%でやらず、大事な仕事は90%、そんなに・・・って仕事も市役所の中にはあるんですが、それらは軽くやる。その力の入れ具合のバランスをとること
それと、人脈を作ること。人脈は、すべての仕事をやりやすくしてくれる。すべての問題解決につながる。
そう、人脈、ネットワークを作ること
これを学びました。
下水道部総務課が係だけで8人ほどいたのですが、計画調整課総務係は3名。最小単位の係です。
なので、この係長とほぼワンツーマンの仕事、8人だと、仕事の分担があるんですが、3人、ついには2人になり、総務のすべての仕事を担うことになりました。
総務というと、予算、契約だけじゃなく、人事、給与支払、福利厚生、すべての仕事が来ます。でも、誰に気遣うこともない、自由なんです。
時間外勤務もほとんどない。”当たり”です。
係長も自由主義、最高の出だしでした。
さて、先ほどの緑、黄、青でカラフルに色分けされている都市計画図。市役所に入る前は考えもしませんでしたが、まちって、ここに何立てたらいいとか、ここは住宅とか、工場とか決まっているものなんです。そんな都市計画も知ることができたり、区画整理や再開発などのまちづくりの手法、また用地の交渉なんかも知ることができました。これは今でも大きな財産になっています。
阪神淡路大震災
ある日の朝、僕は実家で寝ていました。
1月17日 朝5時46分。それまで何度か、夜中にミシッと小さな地震が続いていました。
ところがこの日だけは違ってた
揺れが終わらない。
次第に、大きな経験もしたことのない揺れ、ゴゴッという大きな地鳴りと、家が何かに飲み込まれる感じ。頭の中では、世界の端に陸地が流れ落ちていくイメージが広がります。
だめだ!
阪神淡路大震災
うちの市の震度は4。でも感覚はそんなものじゃなかったです。
うちの市は兵庫県にも隣接していることもあり、大阪府内では最大の被害でした。
家族の安全を確認してから、父親に言われて、いつもより早い出勤をしました。建設してから数年しか経ってない第2庁舎に出勤してみると、ロッカーは倒れ、天井から水が流れてパソコンに直撃している。
徐々に出勤してくるスタッフからは、聞いてもイメージできないような惨状が伝えられます。
この時、体感しました。災害時に僕たちがどう働くかというのが。
もしあなたが、公務員でなかったら、市役所の職員ってぼーっと窓口で暇そうに時間を過ごしていると思っているかもしれない。
(窓口の皆さん、ごめんなさい。入庁前の僕はそう思っていました)
でも、いざという時に、市民の命を守る。
ここに公務員のベースがあるんだと再認識しました。
それでも馴染まない
今回の所属では、年齢の近いメンバーも多く、休日でもウインドサーフィンとか、よく遊びに行ってました。
でも、 普通が嫌い、普通じゃないをモットーとするfukushin_Ceo。
付き合いません。
そう、仲間に入りたくなかったんです。
みんなと仲良くすると、自分のポリシーが消えていきそうで。夢や目標がなくなりそうで。
でも、実は、みんなと一緒にウインドサーフィン、羨ましかったな。
でも、僕は独自路線で行きます。
27歳の時。
ついについにニューヨークに行きました。
今、覚えていないのですが、短期間ですが、休暇をとって。
ダンス、タップ、本当に夢のような時間でした。
人生長そうで、あっという間に時間なんて過ぎていく。
今、やろうと思っていること、今やる。
こう決めて、帰国してから、自分のチームを持つことにしました。
大阪ライブシアター
ライブというのは、高校生の時に、ライブを見て、生きてるって実感できたこと。そして、舞台にはストーリーが必要と考えたため、シアター。そこに大好きな大阪のまちの名前をつけました。
もう、あれから30年以上か。
なんと!敵対する部局に!
都市整備部計画調整課は、都市計画を作る仕事。つまり行政主導です。
うちの市には、大きく作り替えないとまちづくりが進められないような中心都市があります。いわゆる土地を大きく動かす必要があるまち。
そこで、地域に住み、働く市民が自らまちづくり協議会を組織し、民主的に運営しながら「こんなまちをつくりたい」という構想を描き、市に提案、行政はその提案についてまちづくり計画をアレンジしていくというまちづくり支援の制度を市が創設しました。
住民主導、行政支援という当時では最先端のまちづくり手法であり、この制度は全国でも有名になっていました。
住民主導、行政支援・・・これは行政主導の計画調整課にとっては、(表向きは大人の対応ですが)敵対する関係です。これ市役所あるあるですが、とかく全国的に評価される仕事をしている部局は、庁内では煙たがられるものです。
その住民主導の旗振りを行なっているのは「まちづくり支援課」企画部門にあります。
「また、まちづくり支援課は勝手なことやってる」
「実現性のない構想を作ってどうする?」
当時は、計画調整課ではこんな言葉もちらちら。行政主導と住民主導のジレンマです。
さて、5年を迎え、ジョブローテーション最終年
職務状況の面談でも、僕が希望として書いていたのは、残業のないと思われる楽な部局。それと仕事の内容がわかる他の部の総務。
面談でも、僕残業が嫌いなんです。と上司に伝えました。
この頃、非常に可愛がってくれた他部局の上司の方がいらっしゃいました。元財政課で、予算で相談に乗って頂いていた方が、人事課に異動されたSさん
普段からもよく声をかけてくださいます。
後々にも、すごくお世話になったSさん
計画調整課の5年目、2月ごろでしょうか。廊下でお会いした時、もうすぐ異動やね、楽しみにしとき、、、という一言。
それから毎日が過ぎて、ついに人事異動内示の日
課長から言い渡された異動先はなんと・・・・・
まちづくり支援課!
そう敵対するところに行くこととなりました。
最初に課長から出た言葉「かわいそうに・・・・」
なんでも、まちづくり支援課は、仕事内容もさることながら、残業は半端なく超多い、今で言うと過労死ラインまっしぐらということです。
fukushin_Ceoの普通じゃない夢や目標は消え去るのか?!
内示があった数日後、人事課のSさんから衝撃の言葉
「君は2回総務続いたし、総務はなし。僕がまちづくり支援課の異動をすすめたで。この職場はいい。」
fukushin_Ceoの第3ダンジョンへと続きます。
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