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自由だから幸せじゃない。幸せだから自由を感じられる

 自由って、何もしないのが自由じゃない。

 こんにちは、ダンス❌ビジネス❌SDG'sの起業を目指すフクシンCEOです。今日も見ていただき、ありがとうございます。
 成熟した大人の価値観を持っている人だけがわかる、潜在意識で人生を拓き、見た瞬間から人生が変わるお話を発信しています。
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 皆さんは、今自由ですか?

 僕は、今自由に最高に幸せに暮らしています。
 でも10代の頃はそう思わなかったな。なんだかがんじがらめで
 20代も、何かに縛られているような気がして。
 ⭕️⭕️しなくちゃいけない

 30代、仕事で吹っ切れることがあって、それ以来、こだわりがなくなったあと、自由になれた気がします。これは当時思わなかったですが、今振り返ればあの頃に振り切った。
 それからは、組織の中にはいますが、誰に縛られることもなく、自分の思うがままに仕事し、思うがままに行動しています。

 どうしてそうなれたのか。今日はそのお話をします。

 ハビング
 お金を払うとき、お金がなくなるという喪失感よりも、持っているということに注目するだけで富と幸運が流れてくる
 自由というのは、喪失感では感じられません。持っているという意識こそが自由を実感できます。

 もう一度聞きます。皆さんは今自由ですか?
 自由って、どう自由でしょうか
 自由じゃないって、どう自由じゃないんでしょうか

 もう一つ聞きます。
 自由なら幸せなんでしょうか

 でも少なくとも皆さん、自由って何か。それがわからなかったら幸せにはなれませんよ。
 今日は、
・なんとなく毎日が充実感がないという方
・何かに縛られて思うように動けないって方
に最後まで見ていただくと、自由で幸せな道が拓けると思います。

シーナ・アイエンガーの著書 選択の科学

伊賀泰代さんの著書 生産性

の内容にも触れながら

今日お伝えしたいのは、
自由とは不自由を得ること。それが幸せ
このことを6つのポイントからお伝えします。



FreedomとLiberty

 自由に暮らす
 自由に気ままに出歩く
 自由に働く

 自由とは、自分の心のままに行動できる状態。思いどおりにふるまえて、束縛や障害がないこと。 また、そのさま。

 英語ではFreedomとかLibertyとか言います。

 心理学者で社会理論家のエーリッヒ・フロムは、自由は互いに補完する
・政治的・経済的・精神的束縛からの自由(=からの自由=Libertyに近い印象)
・自分の潜在能力を発揮する自由(=する自由=Freedomに近い印象)
この2つに分けることができると唱えました。

 資本主義ではLiverty=”からの自由”が強調され、自分の能力を頼りに成功する機会、失敗する機会を平等に与えられています。有能、幸運、勤勉な人が有利になりますが、だれにも同じ選択肢は与えられません。

 共産主義、社会主義では、Freedom=”する自由”をすべて保証し、機会の平等ではなく、結果の平等を目指します。
 本当の意味で選択を行うには、選択する能力があり、かつ外部の力に選択を阻止されずにいられるという条件が満たされることが必要です。どちらか極端な体制は、問題を生みます。

 からの自由はする自由に比べて、個人のレベルではより多くの機会を提供すると信じていたにも関わらず、それが社会全体にとって最善のモデルとは考えていなかったという結果も存在しています。
 日本人は、商品でもなんでも選択肢が多い方がいいと思い込んでいるところもありますが、共産主義、社会主義の国の人たちの考え方は、する自由を持つことであり、多くの商品から選択すること自体はむしろストレスなのかもしれません。
 いずれにしても、人は誰もが自由を保障することを求めて、国は法律や制度を作り、平等にそのチャンスを与えようと社会はできています。

自由なはずなのに不自由

 自由にできるお金、自由にできる人
 ”自由にできる”となると、主語が私が、といった主体と、持つとかいう言葉が続きます。
 もう一つ踏み込んで”自由に”

 例えば、自由に発言する。
 SNSの出現によって人は自分の意見を自由に世界中に発信することができるようになりました。生まれた時からSNSがあったZ世代は、環境問題や社会的な課題への関心が高いと言われています。
 大勢の集会なら極端な意見を言うと、声の大きい人に消されてしまうことがありますが、SNSなら一人一人が思っていることを発信できます
 その反面、黒か白か極端な意見を発信することが多いと思います
 こういった意見には賛同されることも多く、議論は極端な方向に進んでいくこともあります
 特に匿名性があるということが、無責任な発言を誘引することもあります。発信者は、自由に発言できるアイテムでは、逆にその発言に責任を負うことが求められます。
 人間には思い込み、バイアスが必ずあって、自分の考えに囚われる。これも自由とは思えません。

 自分を信じて、自分を疑う。自分の考え方からも自由になることが大事

 ”自由に”には責任がつきものです

 でも”自由に”は誰のために自由になんでしょうか。

自由は間違いが怖い

 いざ自由にしていいって言われたら、あなたなら迷いませんか?
 最初のうちは、「何しようかな」ワクワク
 でも、そのうち、「何したらいいんだろう」「今日はどうしよう」
 普段、決められたルーティーンで毎日を過ごす人にとっては、自分で決めるということがいかに難しいことを痛感します。 

 ぼくが最近好きなYouTubeチャンネル ジャムセッション講座。
 このチャンネルは、音楽の難しいことより、音楽に対するマインドの持ち方、要するに音楽って楽しいよってことをわかりやすくお話しされてて、最近すごく好きなチャンネルです。
 音楽って、音を楽しむ。まさにそこのマインドセットなんかが、心理学にも通じてて、すごく興味深い内容を発信されています。
 僕は音楽が好きなんですが、それ以上にマインドの持ち方共感することが多いです。

 このチャンネルで最近発信されていたことです。

 アドリブセッション 向きじゃない性格の人は、音楽よりも自己保身の方が 大事な人。
 アドリブは音の会話で、その場でパッと音に出てきた音へのリアクション。でも、そこには形がないし、正解もなく、自由に音を紡いでいく。周りに反応する、そして一緒に音楽をその場で作っていくのが理想形で、いわゆる遊び
 でも、間違えてるんじゃっていう不安がすぐ横切る
 理論的に間違えてんじゃ、こんなことやっていいのか迷いが生まれる。
 間違いじゃないっていう安心感がほしいと考えてる人が多い。
 セッションは自由でいいけど、自由って言われた瞬間に泳がされるみたいな感じでも自由って怖いのでそれが不安になる人がかなり多い。
 それは自己保身で他人に褒められ たいとかいう自己顕示欲の裏返しの自己否定。
 こんな私はダメだみたいな イメージが強すぎるから、譜面とか根拠が欲しい。
 音楽を勝手にがんじがらめでせっかくアドリブやってる のに、がんじがらめになる人がいっぱいいる。
 根は、結局音楽を楽しむより、自己保身が大事
 音楽そのものよりも自分がどう見えてるのか、社会的に自分がどういう ポジションなのかそっちのが大事。
 そういう人は100%セッションは向かない

ジャムセッション講座より

 これってタップダンスでも通じるところがあります。
 タップでは、インプロヴィゼーションと言って、アドリブでタップをふむ。ピアノと合わせてタップを好きなように感じたままリズムを踏む。

 とにかくできる限り早いリズムで鳴らしてみる。最初はなんとなくいい気持ちになっていても、結局人に伝わっていないことが自分でわかる、また自分でも納得できない伝わり方だと、虚しくなってくる。
 だから、僕もこれ苦手でした。自分の順番が回ってきたら、うわー何しよう。今でも少し思います。
 でも、タップって極端に言えば歩いているだけでもタップの音がなる。なんかすごいテクニックとか、すごい早いリズムとか、見栄えのするテクニック満載で行こうとするから、人から見てもらいたいと思うから、プレッシャーがかかる。自由であるはずの時間が自由でなくなる。

 これが自由の正体です。
 誰かとエネルギーで共感してこそ、自分の自由。そのためには一定の枠組み、パターンを知る、制限の中でこそ、自由になれます。
 要するに、秩序がなければ、人は自由になれない。秩序があってこそ、自由になれます。

 最近、僕も入り方が少しわかってきました。最初の方は、馴染むまで大人しく、なるべく短音でリズムのまま刻む。
 次に、音を抜いてみる。溜めたりする。
 ちょっとずつ、本当に少しずつテクニックを徐々に出していく。すると、最後の方は大胆になれる。
 レッスンの中でもそんなアプローチをしてます。

 間違えちゃいけないっておそらく子どもの頃から教育されてきた。だから誰もが間違えることはいけないことと感じている。
 そんなことがせっかくある自由を奪ってるんじゃないか。
 最近そう思います。

成長の証が自由の本当の姿

 自己決定権を維持できない時、わたしたちは無力感・喪失感を覚え、何もできなくなる。
 制約は必ずしも自己決定感を損なわず、思考と行動の自由は必ずしも自己決定感を高めるわけでない。

 水槽に魚が水槽に3匹泳いでいる絵を見て、アメリカ人は、魚に着目し、日本人は水槽全体を包括的にみる。それくらい感覚が違うそうです。
 個人主義的社会に暮らす人は、個人の意思が大切で、自分の下した判断を評価する方法も自分で見つけ出す必要があります。
 集団主義的に属する人は、義務を重視します。選択には正しいものと間違ったものがあり、年長者に従うことで賢明な選択を行い、必要に応じては他者の手に委ねることを学びます。

 個人主義では、人は他者に善だと思われる生活をすることを互いに強制するよりも、自分にとって善だと思われる生活を互いに許しあうことで、より大きなものを得る じぶん自身の人生を歩む考え方。
 集団主義では、自分の属する集団との関係を通して、自分のアイデンティティを理解し、集団との和を保とう、自分はまず義務を果たす考え方。
 日本人の感じる自由は、集団との和という義務の枠組みの中で自分が何者かを知り、自分の思うように自分を活かせる。そんな姿です。

 マッキンゼー&カンパニージャパンでコンサルタントとして活躍され、其の後独立されて人材育成・組織運営にかかわるコンサルティングに従事されている伊賀泰代さんの著書「生産性」では、
 思考は、制限が設けられると、それをバネにして、「今いるところとは異なる次元」に入っていくことができると書かれています。
 広大な土地を与えられ、予算も無限、期限もないといわれたときに一番いい設計アイデアが出るわけはなく、一定の制限の中でいかにいいものを創るかという挑戦こそが新しい発想につながるということです。

 キャリア形成も仕事もそう、現状の制限の中でどうアイデアが出せるか、より自由になれるのか。自由は、成長の証として今より少し自由になるくらいがいいのではと思います。

 昨日よりも、少しだけできないことができるようになる。
 それは自分でもいいし、他の誰かが自由になるのに自分が作用するのでもいい。
 それが、自分のため、誰かのための自由の本当の姿ではないでしょうか

誰かと調和するから自由で幸せ

 コトラーのマーケティング3.0ではマーケティングの進化が描かれています。


 まず、マーケティング1.0はコンセプトは製品を売ること。価値の提案も、機能を提案する。1対多の消費者との交流。商品を丁寧に説明する
 それが進化して、マーケティング2.0ではコンセプトは差別化する。機能的価値に感情が加わる。消費者とは1体1の関係。ポジショニングが大事
 さらに進化して、マーケティング3.0では、コンセプトは価値を作る。目的はより良い世界に・価値の提案は、機能+感情+精神的価値。消費者とは、多数対多数のコラボレーション。消費者同士が価値を想像する共創という考え。

 自由も、これに準えて、ただ自分がお金を儲けたらいいという時代から、満足するのは、自分の感情が動くこと、さらに、自分が社会にいかに役立つか自分の思うミッションが求められてくるようになりました。

 自由って、何もしないのが自由じゃない。
 何かをしたくて、できることが自由。
 まず、その選択肢を持てること。

 したいことに注力することが自由。
 つまり、選択肢を消していくことも自由。

 そのしたいことが誰かの価値につながり、感謝されると、その向こう側に幸せがある。

僕がどうして自由で幸せなのか
それは、

・生活が安定したこと(コンフォートゾーンが守れたこと)

・自分が誰にも振り回されていないこと

・自分の動き方は自分で決められると知ったこと

・誰々がすべきという固定概念がなくなったこと

・誰かに価値を与えていると実感でき、そんな場を提供してくれた全てに感謝していること

 人間は、自由だから幸せというわけじゃない

 幸せだから自由を感じれる
 幸福感は、誰かに価値を提供できる自分に向けて成長できて、それが実感できるお金と感謝をもらえ、じぶんもそれに感謝して、感じられるもの
 すると自由になれます
 その時に、自分には縛られるものがない全能感を感じる
 自由を求めても、自由にはなれない、迷子になるだけ
 自由になりたいなら不自由を選べ

 これが僕の答えです。

 今日も最後まで見ていただきありがとうございました。
 成熟した大人の価値観を持っている人だけがわかる、潜在意識で人生を拓き、見た瞬間から人生が変わるお話を発信しています。今日のようなお話、また近日中に動画にしますので、見逃したくない方は、チャンネル登録といいねお願いします。 
 フクシンCEOでした。 

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