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06.人に対して本気になる

 さて、fukushin_Ceoの第3ダンジョンは政策企画部まちづくり支援課
 ここは、まちづくりのやる気のある市民=まちづくり人と伴走して、彼らが協議会を設立し、行政にまちづくり構想を提案するという住民主体のまちづくりを支援する役割。これまでとは真逆の仕事。

人に対して仕事する

 かわいそうに・・・
 前の課長の異動の時の言葉でした。
 この言葉にひっかかっりながら、異動したまちづくり支援課

 初めてひらがなの名前の課。

 当時、最先端のまちづくり手法として、まちづくり支援課は全国に名を轟かせてました。でも、こういう情報って、庁内では知られていないというのがよく役所あるあるです。当時は僕も知りませんでした。

 まちづくり支援課は8人とこじんまりした課で、政策企画部という官房系の部署にありながら、まちづくり人の中にどっぷり入って、住民主体・行政支援のまちづくり制度を運用する仕事。
 具体的には、地元でまちづくりをしたいという市民がまちづくり人として思い立ち、自主活動グループを作り、活動が軌道に乗れば、まちづくり研究会として市が認定。2年間補助金も支出しながら、一定エリアの2分の1以上の住民が参加する地域を代表するまちづくり協議会へと格上げできれば、まちづくり構想を策定して市に提案する。その構想に対して企画部門が行政計画を策定するというのが仕事の芯の部分。
 このプロセスの中で、まちづくり人を育成する講座や、フォーラム、シンポジウムの開催、また、まちづくり研究会やまちづくり協議会の活動のサポートとして、まちづくり支援課のメンバー以外にも、市の職員や専門家の派遣なども行うという、これまでとは全く違う仕事内容です。

 市民、庁内職員はもとより、まちづくりの専門家などと付き合う、人に対する仕事。

大いなる上司

 まちを変えようと思い立った市民に行政職員が伴走し、まさに走りながら制度を作ってきたこの制度。
 制度を作ってきたのは、強烈な個性の部長さん。前年度まで次長兼課長が部長に昇格されたタイミングで、僕はこの課に異動しました。
 「まだ、あの人が課長じゃなくてよかったな」前の職場、計画調整課長さんに言われた言葉でした。
 庁内誰もが恐れる、大いなる部長。この人たちと仕事をすることとなります。

 僕は嫌いになれないんですよね。
 この大いなる部長さんから最初に聞いた言葉

 「自治体職員は、仕事しなくてもクビにはならん。でも仕事で失敗しても犯罪しなければクビにはならん。だから間違ってもいい。なんでも思いのままやったらええ」

 この言葉、僕は好きで、今でもよく部下に使う言葉です。

朝のミーティング

 まちづくり支援課では、朝は15分ほどのミーティングから始まります。今でこそ、どの部署でも当たり前にあるミーティングですが、当時はまだ珍しかった。でもね、このミーティングがなかなかの緊張感なんです。

 とにかく情報共有に厳しかった。例えば、地域の人たちから聞かれたら同じように誰もが情報を持って対応できないといけない。情報を知らなければ、断罪(というのは言い過ぎかも?)今から考えると当たり前のことですが、仕事では、多岐にわたる情報があります。それを

 あの話・・・・
 でわからないといけない感じ

 これ、よく、行政あるあるで、情報は仕事が増えるから知りたくない、聞きたくないという職員もいます。
 知らないことを自慢げに言う職員もいるくらい。(今は少ないな)
 知らないと言うのを、誰かの、組織のせいにする。

 行政は縦割りと言いますけど、でも、縦だろうが、横だろうが、知っておくといろんなこと戦いやすくなる。この仕事を通して体感したことの一つです。

金曜夜9時からのミーティング

 さて、残業についてです。
 ここでも、事務的な仕事は多かったです。対人なので、対応しないといけない時や、フォーラムや講座が夜にある時は残業となりましたが、でも基本は時間外をせずに帰ってました。
 僕の、普通じゃない ってのは守ることができました。

 いや、多分帰らしてもらっていたのだと思います。

 同年度に、まちづくり支援課には僕を含めて同世代の3人が異動して来ました。8人の課で3人は結構大きな異動になります。
 3人はそれぞれ地区の担当を持ち、僕が担当したまちづくり研究会は、通常2年でまちづくり協議会に上がる仕組みの中で、次のステップに進めない。会員を集められずに協議会への認定要件が満たされない、いわゆる留年の状態でした。

 先輩職員と2人で、地元へ。
 研究会には、商店主のほか、サラリーマンなどもいます。ミーティングは、商店が閉店してから始まるので毎週金曜日の夜9時からスタート。夜の11時まではかかります。
 まじか!  と思ってたこのミーティング。

 最初の頃は、まちづくり人と先輩職員との口論を横で見ているような感じ。まちづくり研究会の主要メンバーは当時5人いて、それぞれの思いがいろんな方向を向いていて、研究会としての方向性が定まらないって感じでした。この頃の僕は、意見を求められても、いわゆる”差し障りのない”意見。”優等生”の意見。これは何かいらんことを言って、流れを変えると責任が取れない!そう思っていたからです。
 一緒に行ってたこの先輩職員、なかなかの曲者で、同じ話を繰り返し粘り強くお話しするので、研究会のメンバーがイライラしている様子が、面白くもあり、もどかしくもあり、その時に、僕が通訳になるべきなんだと思い、ようやくミーティングでも自分の言葉で話し始められるようになります。

 こうしているうちに、こんな気持ちが芽生えてきます。

 もどかしい!

 留年しているのに、まちづくり人は自分たちの意思が折り合わない。さらにそれを行政の制度に問題があるとしてくる。会議でも、先輩職員の言ってることとも噛み合わない。

 じゃ、自分でなんとかしよう。失敗したらその時だ、どうせ早くにやめるつもりだし。

 こう思い、ここから普通じゃない私はここからスタンドプレイに走り出します。

まちづくり人との勝負

 まずはじめたのは、とにかくまちを歩きまくりました。行政にはたくさんの行政データがあります。例えば、店、文化財、学校、それが実際にまちではどんなふうな佇まいになっているか、体感する。まちを知る。

 まちづくり人ひとりひとりともコンタクトを取る。まちにいる、いろんな人にも声をかけながら、人の情報を知る。

 また、この研究会がどの方向に進んだらいいか、まちづくり協議会以外でもいろんな道が考えられます。制度の情報を知る。

 ミーティングでいろんな情報が提供できるように。
 そして、ある意味、まちづくり人たちよりも、まちのことを知っている。

 5人のリーダーはそれぞれいろんな思いを持っていました。でも集まると、まとまらない自分たちの方向性を誰かの責任にしたくなる。
 これではあまりに不幸です。

 2年目くらいからは1人でミーティングにもいくようになります。
 すると、なんだか全て1人で背負っているような楽しさが生まれます。
 上司に報告もあまりせず、自分の気持ちに素直に。なにか、行政なのか、地元なのかわからなくなるくらい。
 でもそもそも、側という考え方も違っているような気がします。 

マインドセット

 まちづくり支援課で学んだマインドが2つあります。

 まずは、活動を育てるときに、、余計な手出しはするなということ。

 例えば、講座をするときに、椅子や机が必要、模造紙とペンが各テーブルで必要。その時には、職員が絶対手を出してはいけません。参加者自らが動く。

 これは、彼らが動くチャンスを失う。

 もう一つは、結論は出なくても議論することの大切さ。

 行政は、結論を得て組織を動かすもの。
 計画調整課は、特に結論が大事で、それに基づき、プランを作っていく。よく、「まちづくり支援課の会議は結果がないから意味ない」というお話が当時聞こえてました。当時はそう思いませんでしたが、それはどっちがいい悪いじゃなく、仕事のスタンス、価値観の違いから来るものだと、後々わかりました。

 僕は、地区以外にまちづくりフォーラムの担当でした。
 フォーラムは、講師を探し企画、交渉、PRし、フォーラム開催というプロセスで年に6回開催。
 フォーラムでは、私が司会進行、会場にはまちづくり人や市民もたくさん来られます。1時間の公演と30分の質疑応答。この質疑応答で会場の参加者と揉める場合があります。
 参加者が、講師にその内容について強い意見で反対を言う場合、また、企画の意図を尋ねられる場合、その時には、1対1の構図にしないと言うことです。会場やフロアに「こういう意見が出ていますが、これについて違った意見ありますか?」これは、意見を言いやすくするための促し。
 声の大きい参加者だけが場を制する。そんなシーンはあるのですが、いろんな人がいろんな意見を持っている。それを共有した上で、自分を見つめ直す。そんなプロセスがフォーラムでは大切だと学びました。
 だからまちづくり支援課の会議では結論がない。全てにおいて100対0ってないんですよね。

スタンドプレイ

 まちづくり支援課も3年目を経過すると、研究会の留年も3年。そろそろ、結論が必要な時期。

 これ以上続けてても、彼ら自身が幸せになれない。

 そう思って、勝負に出ることにしました。

 彼らの腹の中を吐き出させて、認識する。本当にどこに向こうとしているのか、その結論が出るのなら、行政職員として、それを尊重する。
 ある晩、僕がファシリテートしながら、会の方向性を一緒にみんなで決めるワークショップをすることとしました。

 これは、上司には言わずに、完全にスタンドプレイで。

 まちづくり人たち。彼らな普段の仕事を持ちながらも、その一方で夜9時からまちのために面白いことができないかと企てている。
 それは、僕もタップダンスをやっている面から見ても、共感できる人たちだし、リスペクトすべき人たち。だからこそ、方向性を一緒に定めたい。そう思いました。

 ワークショップでは一人一人が打ち明けなかった胸の内を明かしていきます。いろいろ話し合った結果、まちづくり協議会には進まない、NPO団体として目指すと言うもの。構想を作るというよりも、イベント中心というわけです。

 その夜はそれで終わりました。

 月曜日の朝、朝のミーティングが終わり、電話が鳴りました。
 「今日、時間をとってほしい」
 まちづくり人の一人、サブリーダーとも言える人でした。

 「僕はまちづくり協議会の設立をあきらめたくない。自分が先頭に立ってでも、協議会は設立したい」
 このことを打ち明けられます。

 熱意に押される。断る理由もありません。
 まちづくりはリーダー次第。

 その後、この研究会は、僕がまちづくり支援課を卒業した1年後に、一定エリアを設定し、まちづくり協議会へと認定されます。

 この夜のこと。
 この朝のこと。

 僕の一つのターニングポイントだったように思います。

普通が嫌いが変化してきた

 まちづくり支援課にいた4年間
 仕事が嫌いで通していた僕が、何か思わず熱くなってしまった。
 人の顔が見えると、本気になるもの

 僕らの仕事はいろんな人の考えのもとに成り立っていて、それを知ることが大事
 人に本気で向き合うことの大切さ
 自分の持つ裁量の中で、できる限りの力を出し切ることが気持ちいいこと

 こんなことも学びました。
 タップにも通じる話

 活動をいかに広げていくためのノウハウ

 まちづくり研究会は、僕がまちづくり支援課を卒業した後、1年後にまちづくり協議会に格上げし、その後まちづくり構想を提案し、市はそれに対して行政計画を作りました。
 でも、その後、協議会は急速に力を失っていきます。
 ついには活動休止に

 僕は引っ張りすぎたかもしれない。

 何事も、一人で始めないと動かない。でも一人では続けることができないから、仕組みを作ること、そのための種を蒔いておくことが大事。
 まちづくり協議会の活動もそうですし、行政でも同じ。全ての基本にこれが今でもあります。
 卒業してから学んだこと。これはこの後の僕の人生にも生かされます。

 4年目を満了して、3月の末日頃、異動内示がありました。
 第4ダンジョンの部局 それは・・・・

 財政課!

 えー
 不夜城で有名な、庁内1ブラックな職場と言われている場所。
 予算編成時期は宿泊所を借りてまで業務を行うという破格のブラックさ
 タフなまちづくり支援課の4年間でもダンスを続けられた普通じゃないfukushin_Ceoは、不夜城でどうなるのか、困難はどんどん極められていきます。

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