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ゲームのアイテムとイベント

 今回は、久々に要約を復活させました。なんとなーくの流れを掴むのに使えると思います娯楽性や商品性などの用語は、過去の記事を参照のこと。以下が要約。

・ゲームのイベントなどの報酬で、ゲーム内アイテムが用意されている場合がある。
・そのような場合、ゲームのアイテムを得るという目標設定、あるいはゲームのアイテムという存在は、必ずしもプレイヤーの楽しみになるとは限らない。
・場合によっては、このようなイベントの性格は娯楽性ではなく、ゲームの商品性を補助する働きである場合もあるだろう。
・このような場合の問題を、プレイヤーの心理として捉える事も可能だろうが、ここではとりあえずゲームの問題として扱った。
・プレイヤーの心理を無視する事はできなさそうなので、次回以降に扱う予定。
 

 という訳で以下からが本文です。

 特に、スマホゲームやネットゲームで見られる事が多いと思いますが、ゲーム内のイベントなどで特定の条件を満たす事により、ゲーム内のアイテムがもらえるようなものが開催される事があるでしょう。そのようなイベントで得られるアイテムの価値は様々あるでしょうが、一般的には価値の高いアイテムであればあるほど、プレイヤーへの影響が大きいでしょう。
 ここで得られるアイテムというのは、ゲームの進行のために必要なアイテム(通行証や、門番に渡す事で先に進めるようなアイテム)ではなく、武器や防具、強化素材やゲーム内クレジットなどの性格を持つアイテムを想定しています。

 話を戻しましょう。プレイヤーへの影響が大きいというのは、プレイヤーのイベントへの参加を動機付ける効果が強い、という意味です。
 効果があまりに強くなると例えば、ゲーム内イベントを消化するために(≒イベントの達成条件を満たすために)プレイヤーがゲームに張り付くような事が起きるでしょう。このような張り付きは、程度問題ですが、過度なものは問題でしょう。
 張り付きが過度ではないとしても、ゲームを楽しむためにプレイしているのか、そのようイベントの消化を目的にプレイしているのかが、自明でなくなる事もあるでしょう。このような状況というのは、ゲームをプレイする事が、手段なのか目的なのかがわからないような状況といえるでしょう。

 イベントでの難易度や報酬を設定するのは、運営です。プレイヤーの能力やゲームに費やせる時間には、個人差があります。ゲームに費やせる時間というのは、ゲームを楽しく遊ぶ事ができる時間、と言い換えても良いでしょう。全てのプレイヤーが5時間も6時間もゲームを続けて遊ぶ訳ではありません。
 その時間、つまりプレイヤーが自身の持つ許容範囲、つまり楽しんでゲームを楽しめる時間を超えてプレイを続けた場合には、「ちょっと飽きてきたな~」と感じながらゲームをする事になるでしょう。
 このような状況でのプレイは、いわゆる「作業」に近い状態と言えるでしょう。

 どういう事かというと、イベントの難易度や期間や報酬といったものは、運営が勝手に「こんなもんかな~~」と決めているので、必ずしも個々のプレイヤーにとっての楽しみになっているとは限らないという事です。
 イベントでゲームアイテムの持つ役割は、プレイヤーへの報酬です。楽しみであるとは限りません。つまりアイテムの存在は、プレイヤーの楽しみではなく、ゲームのプレイに係る「報酬」に過ぎない意味です。
 ただ、プレイヤーのどのような行動に対する報酬であるかは、様々な見方があるでしょう。
 イベントの目標を達成した報酬である、という見方が最も素直でしょうが、このような見方も可能でしょう。つまり、ゲームのプレイをする(した)事に対する報酬であるという見方です。
 ここで強調したい事は、報酬はゲームを楽しむ事とは無関係に用意されているという事です。この場合、アイテムの存在はゲームの娯楽性とは無関係に設置されています。あるいは、娯楽性を目的として設置されているとしても、プレイヤーの楽しみであるとは限らない。
 こうした見方、つまりゲームを主語にした見方ではなく、プレイヤーを主語にする事も可能でしょう。ただ、ここではゲームを主語にしたものだけを扱っています。

 話を戻しましょう。ゲームのアイテムがイベントなどの報酬として設定されているからといって、必ずしも娯楽性が意識されていないという事もないでしょう。個別に判断する必要があるという事です。
 ここで言及したいのは、ゲームのアイテムが何らかの報酬として用意されている場合ではなく、ゲーム内アイテムの扱われ方です。あるいは、ゲーム内アイテムそのものの在り方と言い換えても良いでしょう。
 まず覚えておいて欲しいのは、筆者の立場です。「ゲーム内アイテムは単なる情報であるから、価値が無い」、というような立場ではありません。とはいえど、ゲーム内アイテムが情報である事は事実でしょう。
 しかし、そのようなゲーム内アイテムを得るために費やされるプレイヤーの資源は、現実のものです。

 プレイヤーの資源が現実のもの、というのは例えば電気代であったり、課金に使う毎月の給与であったり、自由に処分できる時間であったりなどです。これらのようなものが、ゲーム内アイテムを得るためにプレイヤーに要求される、「現実」の資源です。
 とはいえ、我々が何らかの行動をする際に、このような現実の資源を要求される事は、ゲームに限った話ではありません。買い物のために電車に乗るにしても、コンビニまでプリンを買いに行くのにも、現実の資源が必要です。「現実の資源が要求される」という言い方は仰々しいのですが、その語が指している内容は、至って普通のものです。

 ただ、ゲーム内アイテムは「情報」です。情報が現実の資源かどうか、という議論は避けたいのですが、プレイヤーに要求されている「現実の資源」とは分けて考えたいと思います。
 この両者を分けて考える理由はというと、両者の関係が対等であるとは言い難いためです。対等ではないというのは、非対称という事です。
 この差を強調する事は、何もゲームには金を払う価値が無い、という主張をするためではありません。ゲーム全体ではなく、ゲームのアイテムに対しての主張です。ゲームのサービス全体に対しての主張ではありません。

 話を戻しましょう。そのような状況で、プレイヤーをゲームに留めておくために(≒プレイヤーのプレイの目的としてイベントを設置するような場合に)、イベントが用意されるような場合を考えてみましょう。
 ゲーム内アイテムは情報であるため、複製が容易です。用意するコストが低い、という事です。しかし、全てのゲーム内アイテムのコストが低いとは限らないでしょう。ゲーム内アイテムにも、例えばグラフィックの設定などで、膨大なコストが掛かっているものもあるでしょう。
 しかし、そのようにコストのかかったアイテムでなく、コストのかからないアイテムを用意する事で、この問題は回避できます。逆に、そのようなアイテムを報酬にする事が、プレイヤーをゲームに留めておく際に、最も「効率的」な方法といえるでしょう。
 例を挙げると、偉く入手方法の限られている強化素材だとか、得られる経験値にブーストをかけるアイテム、あるいはゲーム内通貨などが相当するでしょう。
 これらのようなアイテムは、グラフィックが美麗である必要は無いし、用意に手間がかかる事も珍しいでしょう。

 普段から必要以上に(どの程度からが必要以上であるかはさておき)、強化素材やゲーム内通貨などの入手が限られているゲームには、注意を払った方がいいでしょう。そのようなバランスがプレイヤーの楽しみ(娯楽性)を目的とされているのか、プレイヤーに課金を迫るため(商品性)に存在しているのかの両者とでは、天と地ほどの開きがあります。
 つまり、イベントにそのように入手が困難であるアイテムを設置し、プレイヤーがイベントに参加する動機を強めるためのイベント、という構造を持つ場合です。このような場合のイベントへの参加は、楽しみであるというよりかは義務的なものになりがちでしょう。

 ゲーム内アイテムの価値は、ゲームバランスや状況によって変動しかつ、そのような環境を演出しているのは運営、つまりイベントなどを開催する主体と同一である、という事です。
 加えて、そのようなイベントをクリアするために費やされる時間と、イベントをクリアして得られる報酬の関係は、必ずしも釣り合ったものであるとは限らないという事です。
 そのため、プレイヤーをゲームに参加させる、あるいはそのようなアイテムの存在がゲームの楽しみであるような状況は、ゲームの楽しみとしては歪ではないか、というのが筆者の主張です。

 もちろん、このようにゲームを主語にした見方ではなく、そのようなイベントをコンプリートせずにはいられない、プレイヤーの心理を主語に据える事も可能でしょう。
 ただ、ひとまずここでは、そのようなプレイヤーの問題としてのイベント、という見方は保留しています。次回以降に扱うと思います。

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