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「予測」より「構想」

新聞、ニュースなどの報道を見たり、また本屋に並ぶ様々な「予測」が活況です。とりわけ、コロナ禍では毎日のように、この先の予測を専門家やメンテーターなどが行っていますが、それって当たったり、当たらなかったり・・・ですが、よく考えてみると(考えなくてもわかりますが・・・)、当たったとしてもそれは、わりと「たまたま」・・・です。
勿論専門家や有識者の見解ですから、それは分析がしっかりなされているわけなのでその裏付けや理由はしっかりしたものなのでしょうけど・・・現象に対しては無力だということを思い知らされます!

予測するのは意味がない!

そんな中で、科学的に分析をする専門家や有識者は別にして、私を含めた凡人(有識者風の凡人もテレビのコメンテーターなどに出ていますがそんな人も)は、予測することは全く意味がないなあ~と思ったりします。コロナだけを取ってみても、本当にこの先一体どんな社会になっていくのか・・・それは予測不能です・・・当たった人は、それは「素晴らしい予言者」に過ぎないような気がします。そんな不確実な中で、大事なのは改めて「構想すること」が大事だと思います!

意思の力

予測するのでなく、予測も含めて、見て、視て、読んで、考えて、練って、試して・・・みたいなこと想像力や創造力を持って、決めて動くこと・・・ですね。決めることが大事・・・正解がないので、判断ではなく、決断・・・最後は「勘」(運)・・・しかし、「勘」に至るまで(運を引き寄せるだけ)の構想する力は大事・・・まさに、決めたことを正しくするという意志の力って大事だなあ~と。

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