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リトルトゥースの綿毛たち ー オードリーANN東京ドームの帰り道

 オードリーANN東京ドーム公演に行った。

 開演前、スタンド1階席から会場を見渡すと天上席までびっちりと客が入っていた。

自分たちのことが好きな人たちがこんなにいるなんて、いや目の前にいる人数のさらに数倍もいるなんてどんな気持ちなんだろうと考えたら始まる前から泣きそうになってしまい、いやいやまだ早いとなんとか涙を引っ込める。


 公演は本当にほんとうに素晴らしかった。

公演前は「ドームで何を話すんだろう、ドームで話すにふさわしい話題って何だろう」と思っていたが公演が始まると、ラジオスターにとってはドームへの過程そのものが、ドームに立つに相応しいコンテンツになるのだと改めて気付かされた。

若林さんが公演内でのUber配達員トークで「目的地があると世界が輝いて見えるな」と言っていたが、オードリーが東京ドームという目的地に向かう過程の世界の輝きを、一緒に見させてもらった一年間だった。


 公演が終わり余韻を残しながら、入場時に全員に配られた東京ドーム公演オリジナルのラスタカラーの紙袋を手に席を立つ。

お揃いのラスタカラーの紙袋を持った人々がそれぞれの帰路につく様は、まるで東京ドームというタンポポからリトルトゥースが綿毛のように散っていくようだった。

東京ドームを出てすぐの電車内では乗客ほぼ全員がラスタ紙袋を持っている異様な状態だったが徐々に減っていき、いよいよ車両内でラスタ紙袋を持っているのが自分だけになった。

 紙袋の片面には「オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム」、裏面には春日さんの直筆で「最高にトゥースな東京ドームライブ」と書いてある。

電車内で自分だけド派手なラスタ紙袋を持っているのがやや恥ずかしくなり、こちらの方が何の紙袋か分かりづらくて良いかと思い春日さんの直筆面を表にして持っていたが、後から考えると反対面の方が良かった気がする。

 少し心細くなりながらターミナル駅で降りると、改札へ上がる階段で再びラスタ紙袋を持った人たちを見つけて嬉しくなる。

帰り道が混雑する前にいったんドームを離れなくては、と4時間の公演に加えターミナル駅までの移動を耐えた末の尿意を解放すべく駅の女子トイレに並ぶと、ひとつ前の人もラスタ紙袋、ひとつ飛ばしてその前の人もラスタ紙袋を持っていた。皆考えることは同じだ。


 トイレを済ませ、自宅へ向かう路線に乗り換える。同じ車両にラスタ紙袋はいない。

さすがにもういないかと思いながらふと隣の車両を覗くと、シュッとしたお姉さんがドーム公演ライブビューイングのラバーバンドを付けていた。
ラバーバンドを付けていなかったら、まさかリトルトゥースだなんて思わないような人だった。

きっと今までも、これを聞いているのは自分だけなんじゃないかと思いながら朝の満員電車でANNも聞いていたあの日も、日々こんなふうにリトルトゥースとすれ違っていたのだろう。

そう思ったとき、満員の客席を見た時と同じくらい感動してしまった。

希望通りの形で公演を見れなかったリトルトゥースとすれ違ったら妬ましく思われるかもしれないと思いながらも、同じ気持ちになってもらえたら嬉しいなと祈るような気持ちでラスタ紙袋を持って電車に揺られた。恥ずかしさなどなかった。


 自宅の最寄駅についた。最寄駅はそんなに栄えていないのでさすがにもういないだろうと思いながら改札階に階段を上がると、反対側の階段から3人ほどラスタ紙袋を持った人が上ってきた。同じ街にもいたんだ、と内心興奮した。

別の界隈のファン同士で同じ現象が起こったらひとこと二言交わすのかもしれないが、最寄り駅に集ったリトルトゥースはお互いアイコンタクトをすることもなかった。

 数年前にオードリーのゲリラライブに行った際、当時コロナ禍だったこともあり若林さんが「隣の席の人と『あっ、リトルトゥースなんですか?僕もです!よかったらこのあとどうですか…?』とか馴れ合うんじゃねえぞ!下向いて真っ直ぐ帰るんだよ!」と言っていたのを思い出してにやにやする。

そう、そうなのだ。コロナが終わったって、若林さんに言われなくたって、東京ドーム公演の帰りだって、そうなのだ。

そんな人々だからこそ、東京ドームで集えたことに大きな意味がある。


 ポークライスの話を聞き、ケチャップライスを食べたくなって帰り道スーパーで玉ねぎを買った。でも並のケチャップライスしか作れなかったらオムライスにしたくなるだろうと思い卵も買う。
ちょうどいいや、と思ってラスタ紙袋に玉ねぎと卵を入れて帰った。

生活はつづく。

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