また、いつも通りで。

「新型コロナウイルス感染症の影響で・・・」という言葉をいやになるほど耳にしてきた。そして、色々なものがなくなっていった。

2020年3月、突然言い渡された「一斉休校」の言葉。高校生だった私は、初めに聞いたときは「講習がなくなってラッキーだな」くらいに思ったが、コロナウイルスが消したものはそんなレベルではなかった。

私は高校生の時、演劇部に所属していた。毎年この時期にも1つ、春公演をやっており、2020年の今頃もそれの準備をしていたように記憶している。そして突然訪れた「休校」のお知らせ。私たちは「今できることは何か」を必死に模索していた。

それほど長くは続かないだろうと思っていた。それと同時に「パンデミックは落ち着くまでに2年ほどかかるだろう」という言葉も目にした。それでも私は長くは続かないだろうと思っていたし、元に戻るまでの我慢だと、そう思っていた。だから今用意している春公演だって延期すればいつも通りできるし………そう思っていた私はきっと、知らな過ぎたのだろう。世の中はそう甘くなかった。

5月末まで続いた休校。それでもなお続くコロナウイルスの影響。春公演はビデオで残すことにし、我々の引退公演は中止となった。

この2か月は空白だった。なんで、なんでこんなに悔しいのか。なんでこんなに悲しいのか。

そして2022年になった今も、演劇をやっていては、同じような目にあっている。4年生の、先輩の卒業公演。そのさなかに出された課外活動自粛要請。

自分は何のために頑張ってきたのだろうか。自分は今まで何に時間を費やしてきたのだろうか。何をしていたのだろうか。

今まで何を「楽しい」と感じていたのだろうか、何を「大変だ」と感じてきたのだろうか、何を頑張ってきたのだろうか。

それもあるが、それよりも、自分は何もできないという事実が虚しく、悔しかった。この公演を自分よりも、誰よりも頑張ってきた人たちがいる。この公演に誰よりも時間を費やしてきた人たちがいる。この公演を誰よりもやりたいと思っている人たちがいる。そんな人もいるのに、なんで自分は無力なのか。何もできないのか。

あの時もそうだった。自分ができることがあまりにもなさ過ぎた。ただ要請に「はい」と従うしかなかった。「いいえ」と言いたかった。なんで自分は「はい」と言わなければならないのかわからない、でも、そうするしかなった。

傍から見ればかわいそうだ。やりたかったことができない、かわいそうな人間たちだ。50人のクラスターとやらもそれに関わっている人たちもそれに対応している大人たちもきっと、私たちを傍から見ているのだろう。

一部の人たちは「仕方ないことだ」と言う。「コロナが怖くないのか。」「そうまでしてやりたいのか。」「これが出来なくなったくらいで…」そういった言葉もきっとある。

仕方の無いことなのだ。私だってこの大学生活の中で遠出もしたし、帰省もした。大人数で集まった事もあった。たまたまコロナにかからなかっただけなのだ。それでも____________。

私は、少なくとも私は、そういう人たちの事を「許せない」とは思わない。仕方ない事だということはわかる。仕方ないからこそ受け入れがたいのだとも思う。ただ、何となく、私はそちら側にいたほうが「気が楽になるのだろう」とは思う。ふつうは、ただ好きなようにやりたいことをやり、活動自粛要請が出たらそれまで。きっとこの要請を受け入れられないのは、自分が立ちたい「舞台」がある人間だけなのだ。

そう考えると、確かに私はかわいそうな人間なのかもしれない。所詮「舞台」なんて、演劇なんて何も残らない。何の役にも立たない。今みたいな状況の中では、なおさら何も残らない。それなのに、なんのためにやっているのか。なんでこんなものに時間を使ってるんだろうか。

それでもきっとこれからも演劇をやるのだろう。そんなことを考えるよりも、やっぱり楽しいと感じるから。

この先どうなるのか、全く分からない。もしかしたらまたこうなるかもしれない。何度もこれが繰り返されるかもしれない。

とりあえず、今は今できることを。

なんだかんだまた、いつもの雰囲気で。この先で、自分たちがやりたかったことがまたできることを祈って…………。





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