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4/14~ 最近見たもの聞いたもの

このnoteには以下のコンテンツのネタバレが含まれるかもしれません。

葉桜の季節 / 風見2

いい時間だなあ。
風見2さんって「いい時間」の切り取りがうまいな。
友人とのこういう散歩って一番楽しい。

これが一番好き。

金色のガッシュ!!2 / 雷句誠

ナゾナゾ博士、良すぎる。
カッコ良すぎるし、死の可能性が目の前にあっても「ウ・ソ」ができるのすげーよ。
通知音をおそらく自分の声で「ナゾナゾじゃ‼︎」にしてるの、なんなんだ。

あとブルーがめちゃめちゃ刺さっている。
小学生の頃からくりサーカスのコロンビーヌにめちゃくちゃ揺れ動かされた人間なので、こういうキャラにはめっぽう弱い。
元アシだし多分コロンビーヌ意識して描いてるよなあ。ガッシュ無印にも限りなく阿紫花英良なキャラがいたし。
ブルー、ナゾナゾ博士に絆されて訳わかんなくなれ!

そういえばめっちゃ阿紫花英良なあいつもアシュロンのパートナーだし2に出てくるかな。

宇宙まで飛んでいく風船 / アイドル現場レポ日記

目の前で浅倉透に「生きてるね。お互い」なんて言われた日にゃあ、もう浅倉透のことしか考えられなくなっちゃうね。

天使の楽園 LOOKING FOR ANGEL / 鈴木章浩

HASAMI group「10代の詐欺師たち」の映像付き音楽(MVではない)に使われている映画。

全編通して映像の生っぽさが心地いいし、アテレコの声のトーンが良かった。
なんか、映像の口の動きとかとアテレコって全然合ってなくてもいいんだなと思った。
映像と声の温度さえ一致していれば、それでいいんだ。

スター・ウォーズ/最後のジェダイ

スターウォーズの8。観たよ。
この辺ってファンたちからの評価が低めな感じがあるけど、後追いして今更まとめて(まとめてというほど一気にも観てないけど)観てる自分としてはまあ面白いなと感じる。

カイロ・レンがかなり刺さっているからという部分が大きい気もする。
カイロ・レン、かなり揺らめいてていい。
なんかずーっと迷っている感じがある。
迷って、揺らいで、でもやっぱ俺はこうしたほうがいいと信じているんだ!みたいなグニャグニャした悪役が好きだから。

カイロ・レンとルークが対峙するところかっこよかったな。

ルーク、死んじゃったのか。
寂しいですね。

ルックバック映画予告編

予告編だけで泣いちゃった。
予告編出た数日前にもふと本棚から出して読み返しては泣いていたのに。

めちゃくちゃ期待してたけど期待しても期待しても期待以上のものが観られるような予感がする。
絵も動きもすげ〜良い。声もいい。
「京本も私の背中見て成長するんだな」の言い方すごく好きだ……。
あ〜〜〜〜〜〜〜〜。

公開初日に観に行きたいくらいなのに、公開からしばらく観に行けなさそうなんだよな。悔しい。
う〜〜。ストーリーは大きく変わらないだろうからネタバレの心配はあまりないけど、「あのシーンがすごく良かった!」みたいな発言を見たら嫉妬するかも。

なんにしても楽しみすぎる。早く見たいよ〜〜〜。

普通の人々 / ロバート・レッドフォード

見る前に『普通の人々』ってタイトルなんか聞いたことあるなとおもったが、過去に同名の竹中直人の映像作品を見たことがあるだけだった。

このストーリーで『普通の人々』ってタイトルなのいいな。
「普通」に一番こだわっていた母親が家を出ていって父と次男の二人で暮らすのが、長男を亡くしたこの家族にとっての「普通」の形なのかもしれない。

拗ねた主人公の寝姿がめちゃくちゃ面白かった。
あと「わたしボウリング下手なの!10段階でいえば10!」と言っていた女の子が本当にド下手なところも笑った。想像をはるかに超える下手さ。

私の人生と無関係なお前の復讐 / どろり

面白いなあ。面白いっすよ。
金魚の復讐のために世界そのものが改変されてゆき、さもそれが当然かのように信じ込まされてしまう描写。

金魚鉢人間って山本英夫の『ホムンクルス』を思い出す。
そういえば最近読み返したいなと思っていたのにまだ読んでいない。読みたい。

あと内容全然関係ないんだけど、「迸る(ほとばしる)」っていう漢字、あんまりほとばしってる感が無いな。
漢字の印象だけ見たらなんとなくおとなしい意味の言葉のような気がしませんか。遮る(さえぎる)と近く感じてるだけかも。

ふたりぼっちの星(旅の支度/動く物) / ウンゲツィーファ

神保町の広くない部屋にギュッと詰まった状態で観た演劇。
二演目あり、旅の支度→動く物の順で観た。

部屋に入ると、ベッドに誰かが寝ていた。ハリネズミ柄のブランケットで顔は見えない。
「あ、この人はきっと演者だな」とわかった。

開演が近づくにつれ、もうひとつの違和感に気がついた。
受付の横でずーっとカタカタとタイピングをしている人がいる。
変だ。
もうすぐ演劇が始まろうという部屋の片隅でずーっとタイピングをしているのは。

主宰の方の挨拶のあと、タイピングしていた人が「あ〜!終わった〜!」と言いながら立ち上がり、演劇が始まった。
シームレスすぎる。シームレスというか、鑑賞者にとっての日常と観劇の時間の境目が意図してとても曖昧にされている。
やがてベッドに寝ていた人も起き上がり、二人芝居になる。

今これを書いていてふと、高校生くらいの頃に「絵に額縁はつけないほうがいい」と考えていたことを思い出した。
額縁をつけるとその絵はその内側で完結してしまい、外側の世界と接続しなくなってしまうのでもったいないと思っていた。
額縁をつけないことで、絵と、外の世界とが溶け合い混ざり合うことができ、世界の色を変えてくれるはずだと考えていた。
今となっては額縁をつけることでも絵が「窓」になり、額縁の無い絵とは違う形で世界と繋がるということを知っているのでその絵に合ったほうを選べばいいと思っているけど。
ともかく、今回の演劇の始まり方は「額に入れてない絵」みたいだなと思った。時間が途切れず溶け合っていた。
すごく良かった。

『旅の支度』のほうが特に好みだった。
二人芝居なのに5キャラクター出てきた。
帽子を被ったりサングラスを額に乗せるだけでいとも容易く次々と変身を繰り返してゆく。
そういえばウンゲツィーファという団体名はカフカの『変身』からとっているらしい。
演劇をする団体が『変身』から名前をとってるのすごくかっこいいな。

『旅の支度』も『動く物』も、とにかく目の前で人が動いているそれそのもののエネルギーが強く伝わってきた。
演劇というものをまだ数えるほどしか観ていないけれど、やはり目の前に「居る」、そこに「在る」というのはそれだけでものすごいパワーがある。
目の前の人間が荷物をガサガサ広げたり、バタバタ生き物を探し回ったり、そこで動いているだけで生(せい)を生(なま)で感じることができる。

僕は映画というものを好んで見ているけど、考えてみれば映画こそ「額に入った絵」なのか。
でもこと演技媒体というものにおいては「残る/残らない」というまた別の大きな軸があって、僕はその「残る」という特性に魅力を感じているのでそこはあまり関係ないのかもしれない。

むしろ演劇というものの美しさというのは「残らない」という部分が大きいようにも思う。
記録映像を撮ることはできても、それはその場で披露されたものとは大きく異なる。
その一過性自体がその瞬間の身体と、時間を輝かせる。