1/28〜最近見たもの聞いたもの
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散髪
近所の床屋で髪を切ってもらった。
なぜわざわざそんなことを書くのかというと、長らく自分で髪を切っていたから。
幼少期は親と一緒に床屋に行っていた。
小学校なかばくらいから親にバリカンで坊主にしてもらっていた。
高校卒業付近から自分でバリカンを使うようになり、20歳過ぎた頃から髪を伸ばし始めたがなんとなく床屋・美容室が怖くて相変わらず自分で切り続けていた。
なぜ今思い切って床屋に行ったかというと、役者として人前に立つ仕事をやっていこうとしているなら見た目に気を遣ったほうがいいというのも無くはないが、一番の理由は自分で髪を切るのに疲れてきたからだ。
前髪はまあなんとかなる。なんとかなっていない気もするけど、「まあこれくらいでいいだろう」くらいにはなる。
後ろ髪がわからん。後ろ側の髪を自分で切るのってどうやったらいいのか全然わからない。
前に鏡を置いて、もう一枚の鏡を左手で後ろに回しながら右手で髪を切る。
見えてはいるけど見えていない。どうなっているか全然わからない。どう切ったらどうなるのかもわからない。
毎回「もう全然わからん!これ以上どうしたらいいんだ!」と言いながら切るのをやめる。
自分で髪を切るのは心身ともにすごく疲れる。そのうち上手くなるだろうとも思っていたがスパンが長いからか全然ノウハウも掴めない。
自分で髪を切るのは疲れるというのを知ってしまっているので、すごく余裕がある時しか切ることができない。でも髪はお構いなしに伸びてくる。
「床屋で髪を切ってもらう」という選択肢ができればすごく楽になるんじゃないかと思って、数日前から「この日に行くぞ!」と決めて、行った。
なんてことなかったよ。まあそうだろうと思ったけど。
別にお店で髪を切ってもらうくらい、いざ行ってみたらなんてことなかった。
日曜とはいえまあまあ混んでいた。みんなお店で髪を切ってもらうんだなあ。
勝手に伸びてくる身体の一部を他人に切ってもらうってなんか不思議だ。
当たり前だけど、プロって上手いな。俺じゃあ俺の後ろ髪をこんな綺麗に切れないよ。
これからも自分で切ったりはすると思う。でも床屋に行ったりもすると思う。
選択肢が増えるのは嬉しい。選べるから。
市川雛菜STEP
いいな〜。自分の幸せを尊重できるって。羨ましい。
「へ〜?羨ましいって思うなら自分もそうしたらいいのに〜。」って言われちゃうかも。雛菜に。
でも難しいよ。なんか必要以上に他人からの見え方とか気にしちゃってさ。
そういられる雛菜が羨ましくて、眩しい。
「なりたくてもなれない人の気持ち」なんて、別に背負わなくてもいいんだけどさ、でも、あるということはやっぱり知っていてほしい。
知った上で、見えないところに片付けてしまってもよくて、それでただ見せつけてほしい。
雛菜が雛菜の持ってるもので雛菜の幸せを取りに行くところを。
もののけ姫@吉祥寺プラザ
吉祥寺プラザという映画館が1/31に閉館するのにむけて、開館当初に上映した作品である「もののけ姫」をリバイバル上映していたので観に行った。
正直、この映画館に来たことはなかった。なんの思い入れもない。ただ、消えゆく映画館という存在に興味があって行った。
不謹慎というか、軽い気持ちで赴いて申し訳ないという気持ちもないでもないが、動員数を1人増やして多少なりとも閉館への手向けになるなら悪いことではないだろうとも思って。
閉館する前日に行ったんだけど、たくさんの人が来ていた。見ようと思った回の開演40分前くらいに行ったらもうかなり待ってる人がいて、僕が芸場に入ったときにはほとんど席が埋まっていた。
最前列の真ん中らへんで見た。後になってから、一番後ろで立ち見とかして劇場全体も含めて見ればよかったかなと思った。でも最前列の迫力もすごかったのでまあよし。
開演のブザーが「ブーーー」じゃなくて「キーンコーンカーンコーン」だった。
もののけ姫面白かったな。いつぶりだろう。
コダマがかわいくて好きだ。
面白かったけど苦しいな。それは僕がたたら場側の人間で、今もたたら場の恩恵を受けながら生活しているから。
木を切り山を崩して造られた生活の中にいるから。
敬意が必要だ。と思った。
自然に対する敬意。単なる利用できるものとして捉えず、恩恵を受けているのは当然じゃないということを忘れずにいるための敬意。
利己的で自己中心的かもしれないが、敬意があれば雑に消費するだけで済ませないように心がけられるのではないか。
視野を広く持っていたい。何かを傷つけることは自分を傷つけることにもなるから。
「生きることはまことに苦しくつらい。世を呪い人を呪いそれでも生きたい。」
苦しみと共に生きるしかないんですか。嫌なんですけど。
芹沢あさひGRAD
おそばGRADだ。おそばGRADというのは知っていたけどまさかこんなに良いとは。
おそば屋の中でもおそばの配達の修行だったんだね。
そばの配達とアイドルって、どっちも「届ける」仕事だったんだ。
それもただ届けるんじゃなくて、「心をこめて届ける」仕事。
見せかけの形だけ完璧でも足りないんだ。
内と外、両方を満たして形造ることで初めて相手に伝わる。
成長を見届けるって嬉しい。たとえそれが画面の向こうの女の子であっても。
ドライブ
車を運転した。久しぶりに。たぶん半年以上ぶり。
家から車で片道2時間くらいの湖に行き、湖の周りを一周歩き、また2時間くらいかけて帰ってきた。
ただ移動するだけの時間って好きだな。ただどこかに向かって進んでいるだけの時間。
最近、たまに徒歩日本一周をしていた頃の自分が羨ましくなる。
身体的にも精神的にもめちゃくちゃ辛かったんだけど、今の自分から見ると「前に進むことだけ考えて、前に進むことだけしていればいい」というのはすごく楽だったんじゃないかという気がする。
今の自分がすごくウロウロ迷い続けて進んでるんだか進んでないんだかもわからない状況だから、ゴールが決まって(決めて)いてそのゴールに進むだけの生活というのが羨ましい。
そんな状態の自分だからか、出発前に目的地をポンと決めてそこにひたすら向かうだけのドライブはなんだかとても心地よかった。
人生の目的地もポンと決められたらいいのに。
初めて行った湖だったけど、なんか"ちょうどよかった"な。ちょうどいい湖だった。大きさも、空気感も、散歩してる人々がちらほらとだけいる感じも。また行きたいな。
HASAMI groupを聴きながら運転していた。HASAMI groupって『街』の音楽だから、散歩やドライブによく馴染む。
哀れなるものたち
おもしろかった。成長って面白い。
最初のシーンの一瞬からもう伝わってくる、映像へのこだわり。色が綺麗だったな。特に空の色。
セックスにより世界が色づくのすごかったな。モノクロの世界が一瞬にして色づくような、まさに人生が変わる瞬間だ。
ベラにとってのセックスのような、人生を変えるようなものとの出会い、僕はもう済ませているのだろうか。これからだといいな。そんなものと出会えずに死んでいく人もたくさんいるんだろう。
船の上で出会った2人、好きだな。社会規範から外れた、初対面で突飛な問いかけをしてくる変人を無下にせず、ただその言葉に正面から返せる。素敵だ。こうあれたらいいな。
1人の人間が世界を改善するなんてまず到底できやしない。できやしないけど、改善しようとする人々の思考と行動の積み重ねが世界を変化させえる。
「世界を改善したい」という想いは尊い。大切にしなければならない。
成長するためには「なんでも経験したほうがいい」のだろうか。辛い思いや悲しい想いは経験せずに済むならそのほうがいいんじゃないか。
誰も辛く苦しい思いをせずに済むならそれが一番いい。
でも「世界」を救いたいと思うならば、世界には求めずとも辛く苦しい思いを味わわされている人々がいるから経験したほうがいいのかな。
辛く苦しい思いを知らない人には辛く苦しい思いをしてる人を救うことはできないのだろうか。
自宅に戻り、「売女が帰ってきた」と言われながら家に入る時の顔が好きだったな。旅立ったときのベラとは大きく違う、成長したベラだからできる顔だ。
自分を成長させるのは自分の選択なのか。選択する難しさはそれぞれ違えど、最終決定するのはいつも自分だ。自分の選択が自分を変化させる。怖いな。
「会えてうれチーズ」でなんか普通に笑っちゃった。
あのサングラスいいな。欲しい。
やばいサラリーマン / ハリウッドザコシショウ
これ好きなんだよな。ただおじさんが早歩きしながら暴言吐いてるだけなんだけど。
王国(あるいはその家について)
すっっっごく面白かった!!!
自分自身が今演技を学んでいるということも多分に影響しているとは思うんだけれども、こんなにも丁寧にわかりやすく役者が役に変化していく様を映してもらえると「人って"変身"できるんだ」という興奮が止まらない。
僕自身も演技を学ぶ場や現場において「役者が役に変化する瞬間」というものを目撃することはある。ただ、そういう時は見ている僕のほうもその物語に対して「ノってきている」ので、それによる錯覚なような気もしてしまう。
そんな「役者が役に変化する瞬間」をこうやって作品として出されて見せてもらえると「本当にあったんだ!!!」と嬉しくなってしまう。
「役者」のまま「それっぽく言っている」のと「役(その人)」として「自分の言葉を発している」のとでは全然違うというのが明確にわかる。これが作品として世に出ているの凄すぎるかも。
演技というものを少しでも齧ったことがある人なら希望を感じられるような気がするし、演技をやったことがない人も演技というものの凄さ、怖さ、変さが味わえる途轍もない作品だと思う。
脚本もすごいんだよな。この形式をやるのにすごくぴったりな脚本だと思う。サラッと通り過ぎてしまうような会話の裏に、鬱蒼とした森がある。
人生を変えてしまうような凝縮された時間って、ある。
「マッキー・ザ・グロッケン」というフレーズが頭に焼き付く。
もっとたくさんの人に見られてほしい。
アイドルマスター シャイニーカラーズ 事務的光空記録 4話後編
い、イヤー!!!!!!うわああああああああああああああああ。
目指して「しまう」んだろう。
だって。
くー。
美しいよ。美しいけど残酷だ。
アイドルは「諦めない」を選ばせられる力がある。「諦めない」を選ばせてしまう力がある。
諦めないって、希望もあるけど絶望もある。
もしかしたら、いや、もしかしたらとかいうの怖いから書くのやめておこう。
ここからにちかに繋がるのかよ。
そんな、その、あ、きー。
ううううう、言葉にならない。
すいません、単行本出たら買います。
カラオケ行こ!
うわー良かったなあ。
綾野剛演じる狂児のコミカルな怖い顔、ピッタリだったね。
聡実くんはめっちゃ中学生で良かった。原作だと和山やまの絵柄も相まってもうちょっと大人びた雰囲気な気がするんだけど、中学生らしい中学生ってちょうどこのくらいな気がする。
映像になった強みみたいな部分をしっかり使ってて良かった。初回の紅の前奏長かったなあ。練習シーンに毎度挟まれる裏声紅がすげー面白かった。
聡実くんの紅もめっちゃ良かったな。美しい紅だった。
途中で出てきた合唱曲の歌詞が「天国なんかに住んだりしない」とか言っててびっくりしちゃった。
和田くんがめちゃくちゃ良かったな。和田くん好きだ。
俺が和田くんだったら副部長にめちゃくちゃ恋しちゃうな。とか考えながら見てたら「あんたたち付き合ってるんですか!?」とか言い出して笑っちゃった。和田、お前副部長のこと好きだろ。
あと映画部の彼も良かったね。聡実くんにとってもあの場があったのはすごく救われたと思う。
卒業式の日に合唱部の人たちと集合写真を撮るところでなんかめっちゃ泣いちゃった。俺にもあんな瞬間があったからかもしれない。
エンドロールの紅、中学生の合唱をコーラスで入れるくらいなら中学生の合唱紅オンリーでも良かったのではないかと思った。
BLUE GIANT
ニュース!オモコロウォッチでめちゃくちゃ長く話されていた映画BLUE GIANTが、池袋の新文芸坐で上映されていたので見に行った。
音楽の映画だし、せっかくなら映画館で観たいなと思って。
グチャグチャになってしまった。 サックスに、ピアノに、ドラムに、反射する光の煌めき。ジャズの煌めきでもあり、魂の煌めきでもある。
映画ってすごいなって思った。
生演奏を音のデータに変換する過程で、こぼれ落ちてしまうものがあると思う。だけど映画ならば、音だけでは伝わりきれない演奏の凄みを、映像で補完する事ができる。そう思った。
玉田良かったな。玉田が認められてるとこっちまで嬉しくなるよ。
「内臓をひっくり返すほど、全力で自分を曝け出す」全ての芸術において、これができる人ってめちゃくちゃ強いと思う。だって、できないから。
普通はできない。普通は曝け出すなんてできないけど、みんな見たいんだよな。誰かが自分を曝け出してるところを。
できるようになりたいけどなあ。怖いよ。
「下手だろうが世界一だと思ってやる」って、同じことを昔言った事があるな。
高校の頃フォークソング部とかいうギター弾き語りをする部活に所属していた。
2年の春、一個下の後輩たちが初めて人前(といってもほぼ身内)でライブをする日に「なんか先輩としてかっこいいこと言いたいな」と思って登校中に考えてライブ直前に後輩に言った。
翌年、その後輩が「去年ある先輩に言われたことなんだけど〜」と新一年生に伝えている場面を目撃してすごく嬉しかった。
あれ、本当に一から考えたのかな。前にどこかで目にした言葉だったんだろうか。
でも、あの時の言葉が僕自身から発生したものかはともかく、真だなあと思う。「俺は今、世界一だ」と思ってやった方が絶対いいものになる。気持ちが音を引き上げてくれる。
アキコさんと一緒にめちゃめちゃ泣いちゃった。
SoBlue出演が決まったあと、オモコロウォッチで聞いていたあらすじに進むのは嫌だったので「どうにか世界線を飛び越えてくれ!」と願いながら見ていたがそうはならなかった。 めちゃくちゃかっこよかった。 ユキノリのソロ、俺にも届いたよ。
とても青かった。
原作買った。読むぞ〜。
今週、面白い映画を立て続けに見れて最高だった。全部最高だったな。