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6/2~ 最近見たもの聞いたもの

webラジオを録りたいなと思ったので録りました。

このnoteには以下のコンテンツのネタバレが含まれるかもしれません。

トラペジウム

元乃木坂の原作者がゲスト声優するのはいいけど、爺さん役なのは変だよ。せめて婆さんにしなよ。

すげ〜面白かったな〜。
シャニマスのオタク界隈で話題になっていてアイドルものだということを知った上で見に行ったのだけれど、アイドルになるまでが長くて面白かった。
アイドルとしてもバラドル発だったし。
今まで見てきたアイドルものの話って冒頭に大きな出来事でアイドルになっちゃうところから始まってアイドルとしてどう戦っていくかという部分が主だったので新鮮だった。
この物語の主題は「アイドルとしてどう戦っていくか」とは別のところにあるし、そもそもアイドルものと呼ぶのも少し違うのかもしれない。
主人公が「正攻法でアイドルになれなかった女の子」だし。

東ゆうの打算で集められて、おそらくそこそこ早い段階で3人もそのことに気がついていただろうにそれでも限界ギリギリまでアイドルに付き合っていたのは、それぞれが東ゆうに救われたと思っていたからなんだろうな。
東ゆうの打算からの出発ではあるけれどもそこには確かにお互い受け取ったものがあって、アイドルを解散しても切れない繋がりが生まれていたというのはすげー希望が持てる話だ。

アイドルは素敵な職業、というそれそのものに異論はないけれども、素敵な職業であれば誰もが憧れてなりたがる職業であるかというとそうではないしな。
アイドルはたくさんの人にたくさんのものを与える職業であり、その分たくさんの人からたくさんのものを受け取る職業でもある。
単純にその受け渡しのキャパがデカくないとやってらんないよな。擦り切れてしまう。
「アイドルになれる」と「アイドルができる」はまた別の能力なんだ。

華鳥蘭子、好きなキャラだな。
華鳥蘭子、高校卒業して早々と現場に飛び込んでいくのもいいが大学に行っておくと出来ることも増えるんじゃないかとも思ったぜ。大学行きながらでも活動できるし。
まあでも華鳥蘭子の行動力なら大学行った方がいいと思えばすぐ受験するか。

ラストシーン、文化祭の写真で終わるのめちゃめちゃよかった。
撮影しているシーンで「なんか後々効いてきそ〜」とは思っていたが、物語が進んでちょうどぼんやり忘れていた頃に一番良いところで出てきたので「あ〜〜〜!!!!!」となった。
あの瞬間、まだアイドルにもなる前なんだよな。

見終わってからトラペジウムという言葉の意味を調べた。この歪な4人組にこのタイトルをつけるの、かっこいいぜ。

あらいやかしこ ワンマンライブ

あらいやかしこのワンマンライブに行った。
オーバーチュアがオトナ帝国の一番熱い曲(21世紀を手に入れろ)だった。
合ってるな〜。あらいやかしこ、というか梨本ういの曲って大人と子供の狭間にいるような曲が多いから。

たっぷり22曲。ワンマンライブってたくさん曲が聞けて嬉しいな。
ワンマンライブにしても22曲も聴けていいもんなんですか。
「巻いてるから何曲か追加するか」って言ってその場で3曲足されていた。

「あぁあぁあぁああぁあぁああぁ」がライブで聴けたのがかなり嬉しかった。梨本ういじゃなくてあらいやかしこを気になり始めたきっかけの曲だから。
あと惨事のハニーとか。僕が高校の文化祭で歌った個人的思い入れの深い曲。

梨本ういにハマり始めた頃、唯一「ペテン師が笑う頃に」はあまり好きではなかった気がするが、今聞くとそんなこともなかった。
シンプルに「死ね」で終わるのとか、むしろいいかもな。先日ザ・セカンドで見た金属バットの漫才のオチもそうだったし。
「死ね」というシンプル暴言、好きかもしれない。
ひねりがない。真っ直ぐで無駄がない。暴言全体を刃物に喩えると「死ね」は日本刀なんじゃないか。

「リピート」が一番沁みた。先週に米津の「毎日」で得た自分が繰り返す毎日に対して抱いている感情の自覚が、この曲への好きを再認識させてくれた。

リピート、アルバム「墓標」に収録されているバージョンも好きだ。
途中で過去曲の断片たちが現れては消えていく。同じように繰り返す毎日の中で生まれたものたちが、同じように見えて少し違う次の毎日にのぼらせてくれる。
思えば音楽というもの自体がそんな存在かもしれない。繰り返し繰り返し同じような音を聴いても、一つとして同じ感情は生まれない。
「同じような」であっても「同じ」ではない。

またそのうちライブに行きたいな。同じようで新しい曲を、同じようで新しい自分で聴きに。

チェンソーマン 167話

キスして、射精していた。流石に面白すぎる。キス描写にたっぷり6ページくらい使っている。1/3以上キスシーンだ。

週刊連載として毎週大きな盛り上がりを作っていた一部に比べると、二部はもう少し長いスパンをかけて映画的に物語を描いているように感じる。
一部には無かった、じんわりと圧してくるような熱の伝え方をしていて面白い。

僕たちの嘘と真実

トラペジウムに関連して話題に上がっていた欅坂46のドキュメンタリー「僕たちの嘘と真実」を見た。

ドキュメンタリー作品としての構成で演出されている部分ももちろんあるんだろうけれども、欅坂46というグループが平手友梨奈1人に大きく動かされすぎている。
平手友梨奈の創世、平手友梨奈の暴走、平手友梨奈の不在、平手友梨奈の帰還、平手友梨奈の脱退。平手友梨奈がいないライブへの不安、平手友梨奈の代理センターを務める重み。

欅坂の描こうとしていた危ういテーマ性と平手友梨奈という人間の持つ強大なエネルギーが噛み合いすぎてしまったんだろうなという感じがする。
皮を剥いだむき出しの血肉を直接触らされているような痛々しさがある
文字通り全てを出し切ってステージから転落してしまうところ、あまりにもすごすぎてしまった。

あくまでもこのドキュメンタリーではそのように演出されているだけかもしれないけど、これを見ていると平手友梨奈がすごく危うくて神々しくて目が離せない唯一無二の存在に思わされてしまう。

アイドルのドキュメンタリーって初めて見た気がするけど、アイドルという職もドキュメンタリーという形式もどちらも嘘と真実の中間に位置するものだから相性がいいのかもしれない。

ガールズバンドクライ(5話まで)

人生思考囲いの感想回の中で誰かが「愛せるか愛せないかギリギリのラインのキャラクターが一番人間的」と話していて、気になって後追いで見始めた。まだ5話。
あとこのアニメの主人公、井芹仁菜がシャニマスの七草にちかとトラペジウムの東ゆうと並べて語られていたのも気になっていた。めんどくさい少年少女が好きなので。

七草にちかと東ゆうは似ている気がするけど、井芹仁菜はまたタイプが違う人間じゃないかとも思う。
みんなめんどくさいけど。近い部分もあるけど。
にちかと東ゆうのひねくれてねじくれてこじれている感じと比べると、井芹仁菜って真っ直ぐだ。真っ直ぐすぎて周りの人間とぶつかっている。

これってアイドルとバンドの違いでもあったりするんだろうか。
アイドルは理想を組み立て作り上げるものであるのに対し、バンドは本音をそのままぶつけるものだという気がする。
七草にちかや東ゆうはバンドものの主人公にはなりえないのだろうか。
2人とも「ありのままの自分では通用しない」というところから入っているから、バンドやって本音ぶつけてドカーン爽快!とはなかなかいかないよな。
最終的にそこに辿り着くことはできるかもしれないけど。

ガールズバンドクライは1話が「負けたくないから、間違ってないから」からスタートするので、そもそも負けスタートであるにちかや東ゆうとは入りから違うんだよな。
井芹仁菜は負けを認めていない。

5話の最後のライブ衣装「不登校」「嘘つき」「脱退」とデカデカと書かれたTシャツ、いいな。
ダサくていい。
ダサいものって好きだ。
ダサいというのは大体の場合、ひねりがない、工夫がないということだ。つまり、真っ直ぐだ。
真っ直ぐぶつかっていく場であるバンドにおいて、ダサさはかっこよさになる。

アイドルマスター シャイニーカラーズ 事務的光空記録

ちょっと!!!!!!!!!!!!!!!!ちょっとちょっと!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
す〜ごいことやってる。いいんだ。

エ〜、このまま天井過去編やるのかな。楽しみすぎる。
七草父や八雲なみも顔出るんだろうか。
散々言われていることだろうけど、二次創作で力入れて描いてた人がここまで作品の芯に迫るような話を公式に描いてるのすごいな。もちろんその熱を買われてという部分も大きいだろうが。
「empty」は二次創作のはずだが、どうしても脳がそこと繋げたがってしまう。絵柄が一緒だし……。

「スカウトなんて大嘘だよ!」の見開き、すごい。

今回の好きなにちか、「なみちゃんの12インチだ…!」の興奮にちか。