墨字

ここ最近読んだ小説でバンプオブチキンの名称を立て続けに目にした。

①『君が手にするはずだった黄金について』
著者:小川哲(1986年生まれ)
主人公:30代男性、小説家

②『その扉をたたく音』
著者:瀬尾まいこ(1974年生まれ)
主人公:20代男性、フリーター(音楽家志望)

①は高校時代の郷愁想起装置として、②はミスチルと並列されポピュラーミュージックとして挙げられていた。
この違いは著者それぞれの年代が出ているなぁと感じる。

なお、①の作中ではカップルがMDでイヤホンを半分こしてBUMPを聴く、というシチュエーションが描写されており人によってはノスタルジー爆発するはず。

小説内世界に必要とされ、役割を与えられている姿を不意に目撃するのは、単純に嬉しい。
その理由は2つ。
1点目。
ばったり会えた純粋な幸福。
昔テレビで俳優がこんなエピソードを話していたのを聞いた。
アフリカロケの映像を見ていたら、以前自分がチャリティーに出した衣服を着ている少年が映っていた。
この印象に近い。
思わぬ所での幸運な遭遇。
2点目。
バンプオブチキンという名の社会的な実像の確認。
気持ちをバンプに寄せすぎているため、世間からの評価や認識されている立ち位置を、私は全く把握できていない。
結局は個人の趣味でしかないので、社会的な評価なんて把握する理由も必要もないとも思いつつ、社会的な評価が気にならないかと言えばそんなこともなく。
作品に対する評価と彼らの音楽活動を心待ちにしているだけの私とに関係が無いのは重々承知しながら、自分の好きなものが評価された、というのはやはり嬉しい。
紅白出場の報に触れた際に覚える喜びも同種ではないだろうか。

以上2点の理由から、小説内に登場してくるバンプオブチキンという8文字が、これまでの音楽活動に敬意を表する表彰状の宛名の如く、黒く太い墨字に見えてしまう。

言葉を紡ぎ音楽を奏で歌を唄う。
この活動を28年間続けてきた彼ら。
その活動を中心に渦となる人垣。
渦中にいる私にはこの渦が洗濯機なのか鳴門海峡なのかが判別できない。
巻かれることに楽しみや喜びを感じてしまっているので。
そんな中で文字を追っている最中に突如飛び込んでくる墨字のバンプオブチキンは、私にとってはYouTubeの再生回数より信頼できる世間からの評価なのです。


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