誕生日とコーヒー(後編)

一カ月経った、朝。

コーヒーメーカーにミネラルウォーターを注ぐ。六枚切りの食パンをトースターに突っ込む。スマホを叩いて、今朝のニュースをチェックする。
最近、記事のラインナップが、似た見出しばかりだ。どういうサイトを見ていたか、情報が集められている。パーソナライズド、レコメンド。使いたかっただけ。
コーヒーが出来た。マグカップに注ぎ、椅子に腰かけて、スマホのニュース。
内容は、どうでも良かった。記事を開いては、閉じる。流れるように繰り返す。


「俺、夢があるんだ」
出会った頃、彼は言った。
「へえ、何?」
「やっぱ止めた。恥ずかしい」
「えー、教えてよ」

少しは、胸が詰まる。本当に好きだったから。少しは。
コーヒー。あ、ミルク忘れた。いいか。後で入れよ。流し読む記事に、彼の名前があった。

慌てて思わず、記事を閉じる。

放り投げたスマホが、テーブルの上で一回転、転がって、仰向けに倒れる。吸った息が、戻らない。戻って来ない。息。嘘。
はあっ。深く。深く、息を吐く。そして、吸う。吐く。嘘でしょ。

ゆっくり、吸いながら、画面に目を戻す。記事一覧が表示されている。
『逮捕』
『男、逮捕』
『不審男』『20代男、逮捕』

出会った頃、彼は言った。
「弥生時代の村を作りたい」
「え」
「え」
「いやいや」
「変かな」
「ううん。すごい」

転がったスマホに、恐る恐る指を伸ばす。
『男、山で不法侵入 不動産侵奪の疑い』

『○○日、○○県警は、○○市○○町の山林で、無職男○○○○(26)を不法侵入の疑いで現行犯逮捕した。現場の山は、△△さん所有のものであった。警察によると、男は「竪穴式住居を建てられるか、試したかった」と話し…』

何度も、名前を確認する。確かに、彼だ。
まさか、
とも、
やってしまった、
とも、
思わなかった。
ただ、事実を確認したくて、何度も、名前を確認した。確かに、彼だ。

スマホを置く。息をつくと同時に、
「別れて、良かった」
そんな言葉が、漏れた。

コーヒー。マグカップを口へ運ぶ。
ミルク、入れ忘れたままだ。
焦らなくていい。一口くらい、ブラックでいい。

「誕生日、覚えてたんだ」
最後に、私は言った。
「うん」
「現代に興味ないくせに」
「弥生時代もあるから、誕生日」
「別れよう」
私は、言った。
「分かった」
彼は、耳の上に束ねた髪の輪をふるふると揺らし、そう言った。

「別れて、良かった」
一口飲んで、再度、言葉が漏れた。
別れて、良かった。

別れるんじゃなかった。

二口目。冷めきったコーヒーが、苦いまま、喉を通り抜けていった。

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