蘭州ラーメンを食べに行く
バーのお客さんから「蘭州ラーメンって美味しいよ」と教えてもらって一年が過ぎてしまった。
わたしの頭の片隅に保存された「蘭州ラーメン・うまい」というキーワードは、時間が経過することに「羊肉」「シルクロード」「スパイスたくさん、けれどあっさりした味」なるイメージが蓄積されて行き、とうとう友人を誘って西川口のザムザムの泉に行く計画を実行したのである。
羊肉で美味しいラーメンがあるのだよとプレゼンして行ったザムザムの泉は、蘭州ラーメンの正しい製法を売りにした牛骨・牛肉ベースのスープのお店である。
連れの友人はわたしの根拠のない「羊肉」発言に呆れていたものの、ふたりで開店したてのお店でラーメンの麺の太さを選んで注文した。
女性店員さんから麺をこれから打つから時間がかかりますと説明をされて、おお、打ち立ての麺が食べられるのか〜とわくわくしていると、製麺スペースに現れた壮年の男性が生地をこね始めた。
生地の状況がよくないことは、男性の苦しみの声でわかった。えいや、えいやと生地をまとめてもしっくりこないのだろう。さまざまな苦悩と格闘している彼を、私たちはただ見つめているしかない。
なんというか、ちょっとした宗教の儀式に参列しているような厳粛さだった。
そして彼は苦悩ののち、こねていた生地を廃棄し、また新たに生地をこね始めた。
女性店員さんが申し訳なさそうに生地がうまくこねられなかったこと、再び時間がかかること、他にもすぐできるメニューがあると案内してくれたが、わたしたちも引き返すわけにはいかなかった。気がついたら満席になっていた店内の他のお客さんたちも誰も撤退しなかった。
再び生地との戦いが始まり、男性の格闘を見守った。
そんな彼の背中を見つめているうちに、わたしは今まで気温・湿度・生地、三位一体のベストな瞬間を認識せずに生きてきたな、麺に対する敬意も薄かったかもしれない……と生地をこねたことなど一度もないにも関わらず反省した。
そのように自分の不明を恥じてしまうようなひたむきさがあったのだ。だいたい自分の人生の中で、これほど対象と向かい合ったことがあっただろうか……などと考えているうちに、ついに生地が製麺され、茹でられ、スープにするりとつかった状態でわたしたちの元に現れた。
白くて美しい麺が泳ぐ透明のスープに、赤茶色のラー油をあちこちに落とした。
ラーメンは美味しかった。でも美味しいだけではない体験であった。
麺の美味しさももちろん、あっさりとしたスープに牛肉、存在感のあるパクチー。
あらゆる葛藤や苦悩や決断の先の一杯に、「ラーメンはとても美味しかったから、あの人が自信満々に出す一杯はもっと、すごくおいしいのかなぁ」と言っていた友人の一言が沁みた。
ザムザムの泉、お時間に余裕があるときにおすすめです。
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