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よくある話②

「何かいいことでもあったの」と聞いてきたのは久しぶりに会った友人だった。鼻歌でも歌い出しそうに上機嫌に見えると。
お互いシフト制の勤務で休日を合わせることがままならず、ゆっくりと顔をあわせることができたのは3ヶ月ぶりの事だった。その間に前の上司が不祥事を起こして急な異動があり、今の彼が異動してきたりと、仕事の方が常にばたばたと忙しなかったため彼女とのLINEすらもおろそかになっていたのは確かだった。LINEの返事をことごとく返せない状態が続いたある日、休みをどうにかしてでも合わせるから美味しいものを食べに行こうよと誘ってくれた。いつもほとんど即レスで返す私の返事のなさを心配してくれたのだろう。仕事の状態がばたばたとしてしまうと途端に返事が鈍るのは前々からバレている。
いつものホテルのレストラン。2,500円と少し高く感じるのだけれど、メイン以外のサラダにスープに副菜、そしてデザートやドリンクは自由にとることができる。制限時間は特に設けられていない。テーブル間が広いので隣の声を気にせずに会話することができる。なによりめちゃくちゃに私の好みの味なので、何か少し贅沢したい気分の時に来る場所と決めていた。
何かいいことでもあったのか、と聞かれても特に思い当たる事はなく。メインに選んだハンバーグに目を落とし「ハンバーグがいつも通り美味しいとか???」と答えてみてから、ずいぶんと的外れなことを言ってしまったような気になった。
「…そういう事じゃないんだけれど」と彼女は目を伏せて口もとを少し歪めた。笑ったのか、それとも呆れたのか。
スマホ充電足りないマンについての愚痴と新しい上司についての話を聞いてもらいながら、聞き役の彼女がどことなく表情に翳りを見せていたことが気になった。少しでも明るい表情になればと彼女が気になるような話題を振ってみても、翳りはいつまでもいつまでも彼女の中にこびりつき取り払う事はできなかった。

「何かいいことでもあった?」と友人が言った言葉と同じ台詞を聞いたのは翌日の職場での事。夕方から入ってくれているバイトの子からだった。レジカウンターの中で業務上何か変更点がなかったかなどの申し送りをしている中での出来事だった。私が今の職場に配属された時にはバイトとしても古株の存在で、彼女から教わった事は山ほどある。
「昨日友達にもそれを言われたのだけれど…何か態度に出てるのかなぁ…」と首を傾げると、なんかこう幸せそうだからとふんわりとした答えが返ってきた。…幸せそう?幸せそうとはなんだろう。自分自身としては特に幸せを感じていないと言うのに。
「昨日食べたハンバーグは確かに美味しかったけど…」と考えて考えて呟いたところ「真美さんは時々ずれたこと言うよねぇ」と笑われてしまった。納得できないが反論もできない。
その時、店の入口のあたりで品出しをしていた彼が慌てた足取りでレジに向かってきた。私とバイトの子が2人でいるのを見て少しホッとしたような安心した顔を見せる。
「2人いれば対応できるとは思うんだけど、とりあえず。今から大量にラッピング予定のお客様がいらっしゃるから先に伝えに来た」とレジ内の私達に聞こえるような小さな声で。店はそれほど広くないのでお客様にはっきりと聞こえないようにする配慮のためなのはわかっている。けれどそのために距離感が近くならざるをえないことには慣れない。
「どのくらいのご予定で」
レジカウンター内のラッピング資材の数を目視で確認しながら問う。常に数は確認して補充をしているので資材が足りなくて困ることはないはずだ。
「ハンカチとかボールペンとか小物を20ほど。職場の送別会に使う予定との事です。少し店内を回ってからレジに来るそうなのでよろしくお願いします」
「かしこまりました。ご用意してお待ちしております」
「じゃあよろしくね」と彼は品出しに戻って行った。
その姿を目で追いながら必要そうな資材を頭の中でピックアップしていく。ラッピングと言っても袋に入れて封をしてリボンをつける程度の包装だ。箱入りマグカップなどであれば包装紙を使うこともあるが、今回はハンカチやボールペンと言うことらしい。それらを入れる箱の用意はないため、ほとんど袋の包装で済むだろう。
視線を感じてそちらの方を向くとバイトの彼女がチェシャ猫のような笑みを浮かべていた。ニヤニヤと言うか。ニンマリと言うか。人の悪い笑みとも言うべきか。
「声と表情がハッキリと変わるねぇ…恋する乙女」
言われている事が一瞬分からなかった。
「彼の事が好きなんでしょう」と追い打ちをかけられるまでは。
そもそも彼のプライベートはほとんど知らない。ソシャゲは嗜む程度。本は流行りの本を少し齧るだけ。ドラマもほとんど見ない。少し話してみても彼の趣味が何なのかいまだによくわかっていない。
今はひとり暮らしをしているとか。家事が面倒でお惣菜ばかり買ってきて食べてしまうとか。それくらいしか知らないと言うのに。それで好きになるとか有り得るのか。
「いや、それ十分に詳しいような気がするし。私そこまで…と言うか、売場長の名前くらいしか把握してないけど」
でも、とバイトの彼女は続けた。
「興味が出て相手を知っていくのが恋、なんじゃないの」

その翌日。 

人に言われてから意識するとはいささか鈍いような気もするが、2人からいつもと何か違うと言われてしまうと意識せずにはいられない。
これは恋なのだろうか。
狭い店内とは言えどこにいるのか把握するようにつとめていたけれど、無意識のうちに彼の姿を目で追ってしまう。ふとした瞬間に、何気ない行動の合間に、自分の意識とは関係なく彼の事を見てしまう。
これは…恋する状態でよくある話なのではなかろうか。
ふと気付いたものの私の中の誰かが全力で否定しようとする。これは恋ではないと。
「なんかすごく見られているような気がするんだけど…何かついてたりする?」
来客が落ち着いた瞬間に彼から言われてしまった。
いいえいいえなんでもないです大丈夫です、と早口で逃げてしまったけれど。言っている時点から十分に怪しいのはわかっていた。それ、絶対に何か隠してるよねとしか言いようのない逃げ方をしてしまった。
「おかしなことがあれば教えてほしいのだけれど」と首を傾げながらまっすぐに見つめられて、それ以上の言葉を探すことが出来ず、口を開くよりも先に足の方が動いていた。レジのカウンターを抜けてバックヤードの方に向けて。動こうとした、はずだった。
レジ回りにはいくつか機械が置かれている。その機械からのびているコードを踏まないようにまとめた上でカバーを被せてあるのだが、床から少し段差が発生している。そこに足をかけようとして躓いてしまった。いつもならばすぐに体勢を立て直せるのだけれど、気持ちがふらついていたためにとっさに手を出すことも頭に浮かばず、意味もなく目を閉じた。
その瞬間腰と腕をつかまれ横に引っ張られた。前に転びはしなかったものの、急に横に引かれた勢いで数歩前に進んだ。つんのめって膝をついた痛みで目を開けると、目の前に尻餅をついた彼がいた。
「ごめんなさい」
2人同時に言って、そして同時にふきだした。
「転ばないようちゃんと助けようと思ったんだけど無理でした」
彼の方が先に立ち上がりながら私の方に手を出してくれた。何気なくその動作が出来ることに育ちのよさを感じる。
「いいえ、転んだ私が悪いので」
手を借りようかどうしようか迷っていると、彼の方から私の手を掴んできた。逃げようかどうしようか迷っている私に追い打ちをかけるように「そんなに意識されたら俺も意識しちゃうんだけど…」とささやくように言った。


…というところを友人にLINEで相談したところ、既読はついたものの返事が返ってこないままに翌日の出勤になってしまった。私の既読スルーはよくあるものの、彼女の方からはされたことがない。返事がすぐに出来ないときも「あとから」などと一言でも返事を返してくれていたのに。