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ビターチョコ③

どれくらいの間沈黙が続いたかはわからない。一瞬だったのかもしれない。もしくはあきれるほど長い間だったのか。結論としてはコーヒーが少しぬるく感じる程度の時間が経過していたことは間違いない。
「あ、あの、せんせぇ、ごめんなさい。こんなの聞かれても困っちゃいますよね…」
焦って少しどもりながら話す彼女の声に顔をあげた。先ほどまで照れて朱に染まっていた顔が泣き出しそうにくしゃりと歪んでいる。
「本当にごめんなさい!急に押し掛けてこんな変なこと聞かれても困っちゃいますよね!…今日は帰りますね!」
バタバタとした声で言いながら彼女は私から顔を隠すようにして、急にソファから立ち上がった。横に置いていたコートを羽織る間も鞄を手に取る間も、一度も目を合わせようとはしない。大事に抱えていたチョコは膝から落ちてソファに転がったままだ。
私の返事も聞かないままにそのまま玄関へ向かおうとしている。引き止めるべきか追うべきか考えている間に、玄関の方から靴を履いて小走りに去っていく足音が聞こえた。
私の手元に彼女が持ってきたチョコだけが残された。誰かに大事に渡されるはずだったそれ。
その紙袋の横に見慣れぬ封筒が落ちていることに気付いた。小さいピンク色のかわいらしい封筒。おそらくメッセージカードだろうと推測できるデザイン。そこに「茜先生へ」と宛名が書かれていた。裏には小さい文字で「うらら」と彼女の名前が書かれている。
自分の名前を指でなぞる。なぜここに自分の名前が書かれているのかわからずに困惑している。
…なぜ。
封筒を開くとハートがたくさん踊っているカードに小さくかわいらしい文字で、「また先生と時々でもいいからお話したいです」の言葉と共にLINEのIDが書かれていた。(ようやく高校生になってスマホ買ってもらえました)という文字も添えられている。
彼女と話さなければ。今、話をしなければ。衝動に駈られた。今追いかければ駅までに追いつくだろうか。
気持ちばかりが走ってうまく動かない手を励ましながらコートを羽織って、スマホと鍵と財布だけ持って家を飛び出した。
彼女に追いついたら最初に何を言えばいい?わからない。わからないけれども。今はただ素直に衝動に従ってしまうのもいいかもしれないと思った。