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人生の目標を全て達成したコスプレオタクの記録

3つと1つ、合計4つ

人生の目標はありますか

突然ですが、あなたは「人生の目標」がありますか?
目標じゃなく夢でも構いません。
とにかく、自分が生きていく上で目指すべき場所や姿など、どんなに道に迷ってもそこだけは揺らがず自分の中に在り続ける何かがあるでしょうか。
あ、ちなみに別になくたって全然かまわないと思います。
そういうのはもう古臭いとか暑苦しいとか、そう思っていても今の時代そっちの方がむしろ健全な気がするしね。
ただ、わたしにはありました。
3つと1つ、合計4つ。
前者は高校生の頃から、後者はおそらく中学の頃かそれより前にはもう、人生の目標として確固たるものとしてわたしの中に在りやがりました。
それが指針でもあり、縛りでもあったわけです。いい迷惑ですね。
さて、どうして「3つと1つ」とわざわざ分けたかといえば、ちょっと前者と後者では毛色が異なるからです。前者はおそらく誰からも納得してもらえる目標で、後者はおそらく他人からは理解されないであろう夢。
でも夢って、往々にしてそうですよね。他人にはなかなか理解してもらえない。共感してもらえない。でも夢はそれでいいんだと思います。
今回それらを合算して「4つ」としたのは、わたしにとって全てが等しく重要で、そこに順位や優劣をつけることができなかったから。
実は前者3つは数年前には達成していたのですが、この度……そう、令和4年というこの時代になって残りの1つ――夢を達成できてしまいました。正直、この4つ目の夢についてはもう一生叶うことはないだろうと思っていたので、このタイミングで叶ったことは、なんだか運命を感じてしまいます。この令和4年という年はわたしにとって非常に大きな転機だったからです。
神様っているのかもね。

3つの人生の目標

じゃあその目標とは。
これは一部の友達には堂々公言してきたので、知っている人はけっこういるかと思います。単純です。

  • 東京に家を買う

  • 東京でタワーマンションに住む

  • 年商1億を稼ぐ

はい、きわめて単純かつ即物的ですね(笑)
1つ目は20代半ばにはもうやっちゃってました。
というのも、職業柄不動産に馴染みが深く、優しい女性の不動産会社の社長さんがいろいろ教えてくれていたこともあり、不動産を買うことに対するハードルが低かったという背景があります。
加えて、東京の家賃相場の高さ。バカなの?ってくらいかかる。なのに払ったお金は一銭も自分の資産にはならない。ならさっさと買って、家賃ではなく住宅ローンにして払う分を自分の資産に変えていく方がいいと判断したわけです。都内6区の流動性の高い小さめの物件であれば、よほどのことがない限り失敗することはありません。特に、わたしが買おうと思った時期は日本の不動産価値が暴落していた時期だったのも大きかったですね。
新宿を選んだのは趣味です。
上京する前からずっと新宿への憧れというか、なぜか新宿という街が大好きだったんですよ。行ったこともないくせにね(笑)
そうそう。わたしは生まれは九州、大学は関西、そして就職で東京にきた純度100%の田舎者です。順調に北上してますね。これ以上北にはいかないけど。
幸い、職業のおかげで就職1年で大手メガバンクの住宅ローンが通ったのでそれもラッキーでした。

続きまして2つ目。
これね、どうしてこんな目標を持ったのか自分でも分からないんですよね。高いところが好きなのかもしれません。「馬鹿と煙は高いところが好き」ってよく言うじゃないですか。たぶんそれです。
とはいえ、これがなかなかハードルが高い。
まず物件がない(笑)新宿に拘っているとそもそも新宿にタワマン自体がないため、住む以前の問題なわけです。そしてやはり、家賃。ちょっとググればたくさん出てくると思いますが、基本的に数十万します。既に住宅ローンを抱えている身ゆえ、そこにプラスで数十万の家賃負担となると、自ずとそれなりの収入が要求されるわけです。
つまり、東京でタワマンに住むことと、収入を一定まで――言ってしまえば一本以上稼ぐことはほぼ同義だったわけですね。
ですので、もしかすると「自分の仕事の目に見える成果あるいは結果として、タワマンに住みたい」と思っていたのかもしれません。そう考えるとかっこいいですね。よし、そういうことにしておきます。
では実際に、わたしが住んでいたタワマンの例で話しましょう。
まず入居審査が鬼のように厳しい。当時勤めていた会社は業界最大手の、超クリーンな会社(あえて会社と呼びます)。年商も正直桁が違いすぎてよく分からないレベルです。ですが、第一希望の部屋は審査に落ちました
ちなみに審査はわたし個人ではなく会社の審査です。会社の借り上げだったので契約者はあくまで法人だったんですね。
これにはわたしより、会社の経理が驚いて笑っていました。いや笑えんがな。
無事、第二希望の部屋は審査が通って契約、入居となります。
が。
ここでまた驚き。引っ越し業者が指定されている!
一斉入居(新築マンションで一次入居者が一斉に引っ越しすること)だったため今思えば当然なのですが、当時のわたしは、その経理と「マジかよ……」と呟いた記憶があります。
ちなみにですが、敷礼と引っ越し代合わせて300万かかりました。全部会社持ちじゃなきゃ絶対やりません。タワマン怖い。
そうして、25階という、地上55階(地下2階)建てタワーマンションの半分以下の場所に落ち着いたわたしは、なんとここに7年間も居つくことになったわけです。この記事のタイトルの写真は、最終日にバルコニーから撮ったものです。写真の右側に道路が見えるのですが、これは引っ越したばかりのころにはありませんでした。気づけば開発が進んでいて、どうせなら開通まで見届けたかったな、とそこだけ悔やまれます。

今年1月6日の夜。東京が異例の大雪に見舞われた日
ミッドガルみたい!ってはしゃいでいた

もう一つ、タワマンに限らず大きなマンションには、入居者のみが利用できるゲストルームがあったりします。親族や友人などが来る際のホテル代わりに、あるいは自分で、数千円で泊まれる非常にお得な共有施設。
それが43階にあり、夜景を見ながらジャグジーきめたりできるため、大変重宝していました。

都庁と冠雪した富士山。今年11月24日の朝(宿泊は23日)
こちらはその夜景

正直、この景色が一番の価値だったと思います。どんなに疲れて帰ってきても、玄関からリビングへ続く廊下からこの一面の夜景が見えるわけです。解放感がすごくてそれだけで癒されました。

そして最後、3つめ。
年商1億というのは、正直どうやって達成したらいいのかすら道が見えませんでした。
契機はやはり前の会社に入ったこと。その時から7年、そこに至るまでの道筋を自分の中でしっかり描いて、そこだけに向かって邁進しました。誰にも言うことなく。ここ大事です。誰にもいうことなく。
そう、道筋を描いて、それを誰に言うでもなく、ただただ邁進しました。これは自分でも褒めたい。口にすることで、誰かに共有することでより自分の目標を固めるタイプの人もいると思います。有言実行。大好きな言葉です。基本的にわたしも有言実行、言葉にしてそれを自分で噛みしめて行動するタイプなのですが、ここだけは誰にも言わずに心の中に秘めていました。
これはもう完全に運と、状況の見極めが全てだったと思います。
不断の努力は当然の前提として、結局、運を掴み取れるか、運とタイミングを掴むために常にアンテナを張り巡らせることができるか、大きな成功のカギはそこなんだなと痛感させられました。7年間アンテナ張ってたのよくやったと思う(笑)
そしてその分、達成したときには母親や一部の友人に思いっきり自慢しましたね(笑)ずっと描いてきた目標を達成したんだがら、思いっきり自分を褒めてあげたかった。自分にお疲れ様を言いたかったし、精神的な部分でずっと支えてくれた母親に全力の感謝を伝えたかったので。
これで、高校生の自分が描いていた人生の目標は、全て達成されたのでした。
達成したら達成したで、今度はどう生きればいいかが分からなくなって人生の迷走期に入ってしまったのは後述します。つらい。

1つの人生の夢

それでは最初に戻って。
最初に、「3つと1つ、合計4つ」といいました。そのうち前者の3つについては上記のとおり。
では最後、「1つ」に当たる4つ目の夢とは何なのか。
それは「人生の全てを賭けたバンドのコスプレをすること」これです。
はい、明らかに他3つと毛色が違いますね。分かってます。自分で言ってて一番照れます。もし達成できる見込みがなければ一生黙ってたと思う
そしてそのバンドというのが、LUNA SEAという、いわゆるV系ロックバンドです。生まれた時からファンなんじゃないかというくらい、物心ついたときからずっと愛してきたバンド。小さい頃、家族旅行で沖縄にいったとき、ニライカナイ橋(これも後に、このバンドの下手ギタリストがソロ曲で出したことにより橋の名前を知ったという)を走る車の中でProvidenceを流し、母親をして「お経みたいな曲」と言わしめ、それでも流すのを止めなかったくらいには心の底から愛しているバンドです(このシーンやたら鮮明に覚えてるんですよね。ついでに、車窓からの景色を見て「正方形に切り取られた景色」とか「窓に映ったシネマみたいな空」とか思っていたことも鮮明に覚えてる。人間、黒歴史は忘れられないんだな)。
今思えば、それまでクラシックを聴いていた娘がいきなりLUNA SEAに狂ったことを否定せず、生暖かい目で見守ってくれた両親には感謝しかありません。家族旅行の沖縄でProvidenceとか、大人になった今思い返せば気が狂ってますね。ごめんなさい。
そしてわたしは5人が作る5人の曲が好きで、ソロには興味がないという徹底したLUNA SEAというバンドを愛してる人間です。なんですが、その中でもVoのRYUICHIが一番好きという、往年のLUNA SEAファンならその苦痛を察していただけるのではないかという立場にいます。
さて、夢の話に戻りましょう。
小さい頃から愛しており、両親もわたしが何を聞こうが見守ってくれてはいましたが、唯一、ライブに行くことは許してもらえませんでした。当然ですね、小さすぎるし、当時のライブは夜遅くに行われているため、ガキんちょが一人で夜道をうろうろしていたら危ないわけです。しかし当時のわたしはライブに行かせてもらえないことに納得できず、こっそり電車に乗って会場まで行ったわけです。
衝撃でした。真っ黒でドレスのようでボロボロのような服(黒服)に身を包んだお姉さま達が集まって、気合入れしたり語り合ったりしている。その中に、当時のメンバーのコスプレ(当時はレプリカと呼んでいた)をしている方々が多く、その雰囲気に圧倒されました。そしてね、これだけは言いたい。みなさん、本当に優しかったんです。もうびっくりするくらい。全然しゃべれないわたしを優しく諭し、駅まで手を繋いで帰ってくれたことを鮮明に覚えています。それ以降、親の禁止を振り切ってまでライブにいくのはやめました。家追い出されるくらい怒られたのもあるけれど、やはりあの場にいた方々の行動を考えると、それが愛するバンドのためだといくらバカな自分でも理解できたから。
これが、わたしとLUNA SEAのコスプレしている方との出会いです。
ちなみに、今は趣味でコスプレをしていますが、コスプレを始めたのは相当遅い時期でした。社会人になってからなので。
コスプレを始めた時から、心のどこかで「いつかRYUICHIのコスしたいな」と思っていました。それはもしかすると上記の出会いが心のどこかに残っていたからかもしれないし、やはりコスプレをする一番の理由である「推しになりたい」という気持ちからかもしれません。ただな~、もう「推し」とかそういうレベルの話じゃないんですLUNA SEAは。神。わたしにとっての神なわけですよ。神のコスプレするとか正直ありえないじゃん?!おまえごときが神の真似事をしようというのか?無理!!!
そういう葛藤が常にあり、だからこその「夢」でした。
恐らく一生叶わないのだろう夢。
自分で道筋を立てて思い描いて達成できる目標ではなく、いつか叶えられるといいなとしか思えない、夢。
だったのですが――。
令和4年12月17日。さいたまスーパーアリーナにて、その夢は叶いました
きっかけは去年の10月、CROSSツアー仙台公演にて、同じSLAVE仲間のコスプレフレンズに会ったこと。コロナ禍でここ数年コスプレから遠ざかり、コス友とも会う機会がなかったのに奇しくも仙台公演で再会したのです。
そこから今年1月のたまアリ。からの8月の復活祭でのCY黒服限定GIG発表――このとき、そのSLAVE仲間と「黒限でコスプレしよう」という話が上がり、それが実現してしまったわけです。
正直、それでも半分は無理だと思っていました。
引っ越しを控えており、衣装を作る時間が取れないこともあったし、何より未だに気持ちが追いついていない。今年の10月以降は本当に変化変化で毎日が怒涛、落ち着いて気持ちを整理する時間もなかった。
そこで上記の11月23日、タワマンの話に戻ります。43階のゲストルームにて、この日、わたしはこれまでの人生を振り返るためだけの一日を作り、夜景とLUNA SEAの映像作品を見ながら、飲めないお酒を飲んでいました。窓に映る、夜空を切り裂く新宿の摩天楼とROSIER。人生の目標はすべて達成した、もう後悔はない? いいや、一つだけあるじゃないか――。
「やるか」
一人きりのゲストルームでほろ酔い片手にそう独り言ちたわたしは、相当痛かったと思います。振り返っても痛い。言葉にするともっと痛い。つら。
引っ越し後、とりあえず作業スペースを確保して布を錬成。不思議なもので、間に合うんですよね。心のどこかで作業が間に合わなければ言い訳できると思っていたのに、間に合ってしまいました。(クズ)
そうしてINORAN(コスの友達)と一緒に、12月17日と18日の二日間、晴れて夢を叶えることとなりました。
ちなみに、やるなら「IN MY DREAM」だと決めていました。ヴィジュアル的に一番好きな時期がEDENの頃だということもありますが、何より、バンドとの出会いが「IN MY DREAM」その曲だったから
寒さ対策で厚手の布を選んでしまいヒラみが足りないとか反省点はあれど、同じSLAVE仲間と一緒にライブでRYUコスができたという奇跡……。そしてSLAVE仲間と再会、新しい出会い、盛り上がり……。
ああ、小さい頃のわたし、見てるか?
あの時描いた夢、おまえ、今、こうして叶えたよ。
本当に、夢とは、思いがけないタイミングで叶ったりするものなんですね。
こうして、「3つと1つ、合計4つ」の目標と夢は、令和4年の年末に全て叶えられたのでした。

いつか終わる夢

いつか終わる夢

「いつか終わる夢」、いい言葉だし、いい曲ですよね。
わたしがこの曲を最初に聞いたのは、羽生結弦選手のアイスショー「プロローグ」の横浜公演初日にて見た、新プログラムでした。そこでこの曲がFF10の曲だと知り、その解像度を高めるべくFF10を始め昨日クリア、大号泣したところです。どうでもいいですね。
羽生選手は2月の北京五輪の「春よ、来い」といい、今回の「いつか終わる夢」といい、その時に欲しい言葉を、類まれなる芸術(羽生結弦のスケート)で届けてくれる人なわけですが、まさに、この「いつか終わる夢」は今のわたしに深く深く刺さる言葉でした。
いつか終わる夢。
昔からずっと描いてきた人生の目標や夢は、達成し、叶えてしまったことで終わってしまった。
分かってはいたんです。夢は、いつか終わるから夢なのだと。
永遠の夢を見れるときがあるなら、それは自分が死んだときのこと。
そして目標を失い、終わってしまった夢から覚めた今、人生で一番、これからの道が見えない状態にいます。これから何を目標にすればいいのか、何を人生のモチベーションにすればいいのか。ずっと探してきたけれど、未だに何も見つかりません。
でも、それは当然だとも思います。
そう簡単に人生の目標やら夢やらが見つかるものかと。そんな軽いものじゃないんだと。だからこそ一生かけて追い求めていくものなんだと。
たまたまそれを早く達成しすぎたせいで迷っているだけで、新しく何か目標を持つとか、夢を見るとか、がんばってそういうものを探す必要は、もうないんじゃないかと思っています。だって、もう全て達成できたんだから。
いつか終わる夢。
その「いつか」がわたしはもう来てしまった……否、迎えることができた。
なので目標がないことを悲観するでもなく、終わった目標や夢たちを抱えて好きにのんびり歩いていこうと、今は思えます。人生を賭けた目標を達成した後の虚無感って、想像以上につらいんですね。知らなかった。自分のために生きるということが俄然難しくなる。わたしはもう自分のために生きることはできないので、今は愛する母と妹のために生きると決めています。
まだ夢を追う途中にある人は、あまり焦らず、その先に何かを見つけられるようになるまで、時間をかけて達成するのがいいんじゃないかと思います。

2022年の締めに向けて

もうすぐ2022年、令和4年が終わろうとしています。
クリスマスも終わり、浮気な街はすっかりお正月モードです。
ここまで書いておいてなんですが、正直、わざわざこんなことをnoteに書く必要はなかったかもと思います。
しかし、自分にとってまさかこのタイミングで人生の全ての目標と夢が叶うとは思っていなかったし、上記タワマンからの引っ越しの際、一度この思いをしっかり書き留めておきたいと思っていたので、ちょうどよかったのかなとも思います。
さて、日も暮れそろそろ足元が寒くなってきました。ここ床暖房ないんでね。エアコン入れないと寒い。
ここまで読んでくれている人がいるとは思えないですが、一応、最後に「3つと1つ、合計4つ」の、コスプレオタクが叶えた人生の目標と夢を。

  • 東京に家を買う

  • 東京でタワーマンションに住む

  • 年商1億を稼ぐ

  • LUNASEAのRYUICHIのコスプレをする

ありがとう令和4年!
今年一年、辛い決断ばかりだったけど、最後の最後にすべての夢を叶えてくれてありがとう。
以上、人生の目標を全て達成したコスプレオタクの記録でした。

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