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2000文字を読む暇が無く、他人に粘着する暇のある人達

こんにちは。
10110000110110001010000000001010001001110001110001です。
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noteを読まないことを正当化する人

「noteの原著者である自分が批判されずに、noteを紹介した人が批判される」件について、3日連続になりますが、まだまだ書き足りません。もう少し書きたいことがあるので触れていきます。

このnoteを書いてからも、相変わらず、私のnoteを紹介した神崎ゆきさんには批判ツイートがついており、私には一切ついていない状態が続いています。そんなに言いたいことがたくさんあるなら、原著者である私に届くようにツイートするようにしたらいいのに…と思うものですが、相変わらず神崎さんだけが批判対象になっています。

「あの…神崎さんはただ紹介しただけで、神崎さんにあーだこーだ言っても、神崎さんが私が書いたnoteについて答えられるわけがないのですが…」

…とずーと思っていますが、批判者には私の思っていることが全然伝わらないようです。普段はツイート自体もさほどしない自分が「批判するなら私にどうぞ」と言っているのに関わらず、おそらく神崎さんの批判者の大半は、私のnoteを読んでいないことは推測できるでしょう。

このような状況は、私は「意見」に対する批判ではなく、神崎ゆきさんという「人を叩くこと」が目的化していると言わざるを得ません。

引用する「責」など言う人

先日のnoteを書いた後に、makoto_bluechipさんという方から、このようなリプライをいただきました。

「引用を元に展開した主張の責」などと言って、神崎さんだけを批判対象とすることを是とする意見ですが、これもよくわからない主張ですね。

なぜなら「引用を元に展開した主張」をするならば、私以外にもnoteを引用した人すべてに対して、同様の批判を繰り返さなければ、筋が通りません。

それにこのnoteを書いた私自身もTwitterで展開している人間の1人である以上、引用しただけの神崎さんだけを批判対象となるのは、さすがにずれているとしか言いようがありません。

noteを書く人がいなければ、noteを引用して展開する人が現れるわけがありません。やはり批判の対象は、noteを引用する人でなく、原著者を対象としなければ、根本的なところを抑えているとは言い難いでしょう。

読まなければ「批判」にはならない

神崎さんのツイートに群がっている人達を見ていると、私の目からすると「ほとんどが難癖であって批判になっていない」と思わざるを得ません。

批判(ひはん) の意味
1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を―する」「―力を養う」
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の―を受ける」「政府を―する」
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%89%B9%E5%88%A4/

言っちゃ悪いですが、ほとんどが「巨乳差別」という字面に対して叩いているだけであって、私が書いたnoteの内容に触れているものが全くありません。むしろ賛意的な意見を言う人の方が、noteを読んでいる印象さえを感じるものです。

このnoteに関しては、おりちゃん、新月さんなどといった、いわゆる巨乳当事者の文章を引用しながら、彼女たちの発言を尊重しながら触れているものです。巨乳の表現に関することでも、まず第一に考えなければならないのは「当事者の立場」であることを考慮しなければなりません。当事者を置いてきぼりにしないことだけを最大限に考えて、主な趣旨はあくまでも「当事者視点」をベースとして考えています。

しかし、神崎さんに群がっているアカウントのツイートを一通り見ている感じでは、私が最も重視して考えている「当事者視点」というところには、ほとんど触れていないものがばかりでした。これでは、非常に申し訳ないですが、ほとんど私のnoteを読まずして、神崎さんを叩いているものと感じざるを得ません。

はっきりいいますが、「批判」にすらなっていないのですね。私からすると、自分自身が主張したことに対して「判定する・評価する」ことや、内容に対して「誤りを指摘する」というものこそ「批判」というものかと認識していますが、ほとんどの人は「読まずして批判した気になっている」も同然なのです。

時間がないことを理由に読まない人達

私は神崎さんが「叩いてくる人はそもそも読んでいない」と言っていますが、読まないことを正当化する意見も見られました。

確かに人には時間が限られるもので、読む義務はないでしょう。こちらのamazakeさんの仰っている意見に関しては、一理はあるでしょう。

しかし、先程も書いたように「批判」というのは、物事の検討や事象を見ることが前提でなければなりません。つまり「読まなければ批判にすらならない」ものです。

ソースも読まずに無根拠に発言する自由はありますし、それは私は止めることはしません。しかし、これでは立派な意見にもなっておらず、嫌悪感をぶつけたり、愚痴を垂れ流している程度のものにしか過ぎません。

読む時間はないのに粘着する時間はあるらしい

さて、amazakeさんの意見はさておき、この方の行動について精査することに致しましょう。

案の定、神崎さんに対する粘着を繰り返していました。

私の書いたnoteに関しては、2000〜3000字ほどで、あらゆるニュースサイトで見られるコラムと同じ程度の文字数です。いくら遅読の方であっても、10分あったら読めるものではないかなと私は思います。

しかし、こちらのamazakeさんに関しては、神崎さんが過去に呟いたツイートも細かくチェックする時間はあるようで、度々引用を行っています。探す時間があれば、数百字は軽く読めるものだと考えられますが、なぜかamazakeさんは、私のnoteに対しては「時間が限られる」ことを理由に読もうとしませんでした。

そして、大明神さんに対しては、18日からレスバトルを繰り広げてらっしゃいますね。私のnoteを読む時間はないようですが、レスバトルをする時間はあるようです。これは不思議ですね。

こういったamazakeさんのように「2000〜3000字程度のnoteを読む時間がない」というのに、レスバトルや過去ツイートを見つけてきては、1ツイート100文字以上もツイートしている時間はある人はおられるようです。

一体、どういった時間の管理をされているのか分かりません。「書く」ことも「検索する」こともエネルギーも時間も使うものですが、それ以上に「読む」ことの方が、大きな負担を感じてしまうのでしょうか?

とても不思議な方々がおられるものだと感じられました。

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