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自分の視界に見えるものだけ「世の中の全て」だと思うフェミニスト

こんにちは。
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たわわ関連の流れをまとめた図が話題

日本経済新聞の「月曜日のたわわ」広告から始まり、現在は実際に漫画を読んだ、ファッションブランド「ハートクローゼット」の黒澤美寿希代表が誹謗中傷を受けている状況ですが、5月5日にとあるTwitterユーザーから、一連の流れをまとめられた画像がツイートされていました。

ツッコミどころが満載

しかし、この図には多数の批判ツイートが寄せられています。図を見る通り、黒澤代表の発言が正確に記録されているものではなく、なおかつTwitterでの反応が恣意的な抜粋を行われており、あまりにも黒澤代表への批判派に偏向した内容そのものでした。

まず、抜粋したコメントが、男性が擁護派であり、女性が批判派のように括っているため、男女間の対立であるように描かれています。しかし、実際は立憲民主党所属の海老名市議の舘登志子議員が、ハートクローゼットの商品を購入して、黒澤代表への支持を示すツイートをしていることもあり、必ずしも「女性だから批判派」というわけではありません

そして、黒澤代表が「月曜日のたわわ」を読んだ感想について、好意的な表情で描かれていますが、あくまでも「ファンタジーギャグ漫画」であると評したのみです。そして誰も攻撃をしているわけではありません

それどころか、漫画の「良し悪し」自体は全く発言しておらず、端的に内容を評したのみであるため、この漫画自体については、黒澤代表が好意的に受け止めているとは断言することができません

あと、重要なことですが、黒澤代表やハートクローゼットのInstagramアカウントに対して、多数の誹謗中傷コメントが寄せられていた事実について、全く触れていません

作成者自身がどういった意見を持っているのかは、その人の自由ですが、最低限は事実を素直に受け止めていただきたいものです。

主観に基づいた抜粋

今回の図に限らず、よく「ハトクロを擁護しているのは男しかいない」「漫画の感想じゃなくてスペースのコメントを批判している」「ハトクロを誹謗中傷している人はいない」など発言するアカウントは多く見られます。

これはshiitakeoさんの作成された図と同じく、自分の視野に見えたものから判断しているため、数多くの情報が抜け落ちているのは確かです。

このツイートは一時期話題になっていましたが、自分の視野に入ったものだけで、全体を言い表しているツイート例と言えます。

「フェミニストは胸の大きな人への批判をしていない」とツイートしていますが、フェミニストと名乗っているアカウントで、モデル自身を糾弾している人は存在しています。

「笛美氏は嘘をついている」とまでは私は断言はしませんが、少なくとも「胸の大きな人への批判ではない」というのであれば、笛美氏は「視野が狭い」「自分の視野に入ったものだけで物事を判断している」ということになります。

主語を「フェミニスト」「女」という大きな主語を使う際には、他のフェミニストや女性が自分とは異なる意見を発信していないのか確認する必要はあります。もし確認をする作業を省くのであれば、自分が発信する主張は、常に「私」を主語にすれば良いでしょう。

全体を語れるのは客観的な存在のみ

このnoteを書いている私も含めて、一個人の視野や考え方は「自分の見えたもの・知ったもの」の範疇に限られるものです。自分の視野に入ったものは、あくまでも「主観的」なものであり、全体を言い表すには無理があります。

では、全体を言い表す「客観的」な発言をするにはどういったものでしょうか?

それは自分自身が客観的な存在でなければならないでしょう。

客観的な視点で物事を分析するためには、主観的な位置から脱して「純粋かつ公正的な視点」がなくてはなりません。ただし、一人の人間はとても純粋で公正ではなく、個人の認識に偏った歪んだ観察しかできないものです。

「客観」を突き詰めたら、人一人の視野だけで語ることはできません。やはり自分自身を宇宙と一体化させ、この世の中にある森羅万象を網羅していることが、最低限求められます。つまり、究極的なことを言ってしまえば、客観的な発言をするためには、客観的位置にいなければなりません

ただ、一人の人間がそこに突き止めるのは無理があるでしょう。これは私も例外ではありません。さすがに宇宙の全てを知るようなまでの全知全能の存在には、人間一人がたどり着くこと自体が無理があるでしょう。

しかし、困ったことに「月曜日のたわわ」やハートクローゼットの黒澤代表を非難している多数のアカウントは、主観に過ぎないことを客観的であるように語っています。「○○はいなかった」という発言などは、その人自身の視野の狭さを露呈しているツイートそのものと言えますが、フェミニストを名乗る方々は、自分のことを「全宇宙の森羅万象を網羅している客観的存在」であると思い込んでいるのでしょうか?

自分の見えることが、この世の全てのように思い込んでいる人はいますが、あくまでも「自分の見えるものは自分が切り取った一部」として、謙虚に主張しなければならないものかと、改めて感じます。

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