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もはやTwitterデモは「集団自慰活動」である

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デモの意味・目的について

デモは特定の意志・主張を持った人々が集まり、その意志や主張を他に示す行為のことを指します。「デモンストレーション」の略称として「デモ」という言葉が使われています。日本語で言い表すと「集団示威活動」でしょう。

個人的な主張から社会問題にまで渡って、集団で意志を示すことで、政治や世論に働きかけをかけるのを目的で行うものです。

市民・国民による政治参加の一環であり、デモを行うことによって、社会から注目を浴びること、主張している他の人達にも意見を広めることができたのであれば、デモの目的は果たせたと言えるものです。

Twitterデモとは

それでは、2年前の「#検察庁法改正案に抗議します」のタグをきっかけに、様々な形で見られるようになったTwitterデモは、一体どういったものでしょうか?

大きく注目されたのは、2020年5月の「#検察庁法改正案に抗議します」のタグが大きく注目されたことが影響して、検察庁法改正案の成立を見送られる出来事がありました。

コロナ禍で外へ出て、従来のデモ活動を行うことが容易でなくなった状況を考慮すると、このタイミングではTwitterデモは大きな効果が合ったと考えられます。

自分の手を汚したくない人がやる行為

ただ、個人的には、この「Twitterデモ」は全く評価していません。

大まかな理由を言うと「あまりにもローリスク」で「あまりにもローコスト」で「あまりにも軽薄」というのが挙げられます。

これはとあるユーザーが発信源となったTwitterデモですが、発信源となっている人物が匿名ユーザーですね。街頭に出て行うデモでは、自らの顔を出しながら、場合によっては本名を出しつつも行っていくものですが、Twitterでは発信者が匿名でも全く問題なく起こすことができます

少しまずいことがあった場合、ツイートを消したり、アカウントを消したりして、逃げ回ることも可能なので、ほとんど自分の手を汚すことなく、話題を作ることができるので、やはり軽薄な印象が否めません。

あまりにもお手軽すぎる

Twitterデモは、とりあえず規定のタグをつければ成立するだけのお手軽なものです。

本来、デモ行為というものは、道路を占拠したり、責任者や決定者がいる施設を取り囲んだりしながら、多くの人数を集めて行うものです。実行に移すにも、同じ時間に同じ場所に人を集めるように仕掛けないといけないので、非常に手がこむものです。

しかし、Twitterデモというのは、ほとんど手間などかかりません。

そもそも文章さえ書く必要すらもなく、いつでもどこでも自分の手が空いたときに参加できるので、ほとんどコストがかからないものです。本来の街頭に出るデモなどは、自分の身元がバレるリスクもあり、自分の時間をデモに費やさなければいけませんが、Twitterデモには、コストもリスクもありません。

そもそもTwitterデモを始めるにしても、こうやって自分のように、noteに文章を書くことすらしなくてもよく、もっと酷く言うならば、日本語の読み書きの能力が優れてなくてもいいのです。

これほどお手軽にできるものが「デモ」と称するのは、非常に軽々しくて、私には真剣味を感じません。

茶化されやすい

あまりにもお手軽でローリスクであるTwitterデモは、様々な人が多様な形で発信できるようになってきているのは確かです。

だが、昨年末に「#国尻島で年越しSEXだ安倍晋三」がトレンド入りしたことを考慮に入れると、Twitterデモはあまりにもお手軽すぎる…という点は指摘せざるを得ません。ふざけたTwitterデモが発生しやすくもなっていると言えます。

面白がった人も、怒った人も「#国尻島で年越しSEXだ安倍晋三」でツイートしてしまうので、ツイートしている人が賛成でも反対でも、初めからトレンド入りを狙っている発信者の思惑通りになってしまうものです。無視してスルーしていれば、トレンド入りしないはずですが、みなさん釣られてしまうのですよね。

「安倍さんに失礼だ!」「ふざけてるのか!」とタグ付きでツイートした人は、Twitterデモに参加したつもりではないはずですが、数としてカウントされるところが、Twitterデモのバカバカしさを表していると言えるでしょう。

これはいかにも「Twitterならでは」の現象で、確かに思わず苦笑いしまいそうなネタではありますが、これはあくまでもインターネット上だからできることに過ぎず、公道に出て同じようなことはまず言えるわけがないでしょう。公道で行ったところで、周りで見ている人達も、さすがにノリで参加するような真似はしないでしょう。

このようなタグが発生することを考慮すると、やはりTwitterデモ自体には、あまりにも軽薄すぎて真剣味が欠けるのは否定できないでしょう。

あまりにも乱発しすぎるTwitterデモ

最後にまとめとなりますが、個人的にはTwitterデモが大嫌いです。これを「デモ」と称すること自体が、とても馬鹿げているというのが私の考えです。

確かに2年前の「#検察庁法改正案に抗議します」のタグが流行った当時は、大きな話題になり、多少目新しさは感じさせられたものですが、それ以後はこのときの成功体験を忘れられないのか、あまりにも乱発しすぎて、軽薄な印象が拭えなくなってきています。

あまりにも乱発しすぎると、結局トレンドに乗っても「またいつもの人達か」と言わんばかりになってしまい、印象に残らないものになってしまいますが、乱発している人達には、その事実に気づくことはなく、何度も何度もTwitterデモを繰り返してしまいます。

「社会を良くするため」の名目のはずですが、結局第三者的な目線で見ると「目立つためにやっている」「自己満足」としか見えなくなるのですね。

Twitterデモは「集団自慰活動」である

Twitterデモの発信源になっている側の人も、それに乗ってしまう人も、もはやTwitterで憂さ晴らしたり、注目浴びることが気持ちよくなってしまって、本来のデモの目的である主張や要求を世間に広めて、幅広い層に知ってもらい、法整備や政権交代などに繋げていく…というところからかけ離れてしまっているように感じられます。

タグを飛ばしている人々同士で、溜飲を下げたり、憂さ晴らししているだけで、そこで満足してしまっている感が否めません。これはほとんど自慰行為と変わらないでしょう。

デモは「集団示威活動」と言いますが、Twitterデモは「集団自慰活動」ではないでしょうか?公然でオナニーを見せつけている行為と同等と言えるでしょう。

Twitterで注目されただけで舞い上がっているよりは、外へ出て、人数を集めて、正当な形でデモ活動を行うべきでしょう。

楽な手で甘えてばかりではいけませんね。

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