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サイゼリヤの満足する人に堪えられない人

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サイゼリヤで満足するのは「貧しい」という人

今回はTwitterで話題になっているツイートについてです。

「サイゼリヤで満足している感覚は『貧しい』ということを忘れないようにしたい」と発言されています。

どういった根拠でそのような発言をされているのかは、私にはよくわかりませんが、サイゼリヤは確かに安くて、クオリティが高い料理が提供されています。私も時々利用していますが、ランチとしてでも、そして仕事帰りに一人で軽くいっぱいワインを飲みながら食事を楽しめるのがいいですね。お客さんも学生さんからサラリーマン、高齢者まで利用しており、幅広い層に指示されています。

安価で美味しい食事を楽しめるサイゼリヤですが、その驚異的な安さから、ルドルフ=ラッセンディルさんは「貧しさ」を感じたのかもしれません。彼にどういった考え方があるのか私にはわかりませんが、彼にとっては「安いものは貧しいもの」という固定観念が強いのかもしれません。

星付きイタリアンシェフも認めるサイゼリヤ

安易なイメージでは「安いものは価値が低い」と思われがちですが、実際は星付きのイタリアンの名店のシェフが、サイゼリヤのビジネスモデルを学ぶために、アルバイトとして勤務をされている経験があり、その話がnoteに掲載されています。

こういった話は面白いです。

安さを実現するために、生産・農場・加工・流通・冷凍までに多岐に渡る部分を自社で行うことで、コストを徹底的に下げることに成功しています。kの上記のnoteによると、導線までもしっかり管理することによって、経験の浅いアルバイトであっても、ミスが少なくすることにより、余計なフードロスを起こさない点も見逃せません。

「サイゼリヤ=安い」のイメージはありますが、企業のきめ細やかな努力によって達成されていることを考えると、経営学を学んできていた自分にとっては、非常に興味深く感じられるものです。

しかし、村山さんの「エスカルゴはサイゼリヤが一番美味いと思いますよ」の発言は、大きく驚きました。

一度信じたイメージを見直せない人

ルドルフ=ラッセンディルさんのように「安かろう悪かろう」の固定観念が強い方であると、いくらサイゼリヤのシステムの素晴らしさを説明したところで、なかなか納得されないのかもしれません。

このようにサイゼリヤを楽しんでいるイタリア人通訳に対しても、納得されない様子なので、おそらくサイゼリヤに関するあらゆる記事を読んでも、イタリア人の話を聞いたとしても、はたまた料理研究家や星付きのイタリアンレストランのシェフが発言しようが、このような様子では、何を言っても考えを改めることは期待できないでしょう。

満足感に絶対的定義はない

ここからは若干異なる話になりますが、「サイゼリヤ満足する」ということは、どういうことなのかを踏み込んでみます。

単純に言えば、サイゼリヤで「満足できる・できない」については、あくまでも一個人が納得できるかによって決まります。サイゼリヤが好きな人であれば、サイゼリヤで満足できるものであり、別にサイゼリヤが好きでもない人は満足できないだけに過ぎません。これはサイゼリヤがいくら企業努力をしていて、クオリティの高い料理を提供していようが、サイゼリヤの価値を決めるのは、利用する一個人が決めるものです。

ルドルフ=ラッセンディルさんは「まぎれもなく貧しい」と言ってますが、彼にとっては「サイゼリヤで満足するのは『貧しい』というのは世の中の定説」と考えているのでしょう。しかし、サイゼリヤの評価は、利用する客それぞれが決めるものであり、絶対性はありません。

要は「貧しいと思っているのはあなたの主観ですよね」ということです。

サイゼリヤを利用している人と提供している企業に、相対的に満足感を得られているのであれば、そもそも「貧しい」と思い込んでいる人が、わざわざ首を突っ込むような必要はありませんが、彼には理解できないのかもしれません。

「性的」も絶対性は皆無

サイゼリヤに関しては、上記で「満足感は利用した人それぞれが決める」ものと書きましたが、これはサイゼリヤのみに当てはまるわけではなく、他の出来事にも同じことが言えるでしょう。

4月に騒がれた日本経済新聞の「月曜日のたわわ」広告が、「性的搾取」「ジェンダーのステレオタイプが強化される」「見たくない権利を守れていない」など苛烈な批判を受けていたのが話題になっていましたが、これらの批判に関しても、あくまでも「見た人が決めたこと」にしか過ぎません。

この件は批判者の多くは、まるでこの世の中があのような広告は悪であることを決めつけている方々は多いですが、この広告において「ほぼ絶対的な意味」を持っているのは、以下の事項になるかと考えられます。

  • (断言はできないが)女子高生である

  • (断言はできないが)胸の大きい女性である

  • ヤングマガジンで連載中の漫画である

  • 作者はTwitterフォロワー数100万人を超える比村奇石さん

  • 4月4日に最新単行本の4巻が発売される

  • 「今週も、素敵な一週間になりますように」と書かれている

  • 全体が青い

一個人が「性的」に見えたことに関しては、一切否定することはありませんが、横を向いているだけのセーラー服を着た女子高生に対して、さすがに「誰が見ても絶対的に性的である」ということは言えないでしょう。

要は「あなたの感想ではないですか?」ということです。

しかし、「月曜日のたわわ」の以外にも、「松戸市ご当地VTuber戸定梨香」「温泉むすめ」「誕生日にリンツのチョコで祝う幸せな夫婦」「マイメロママさんの『女の敵は女』」などにしても、まるで絶対的悪のように信じ込んでいる人はいます。

「人によって見方が異なる」「自分は嫌いでも他人は好き」など、物事を相対的に考えられるようになれば、あらゆる広告が登場したところで、口も出さなくなると考えられます。しかし、こういったジェンダークレームを発する人達は、自分の思っている意見については「社会の常識」「誰もかも同じく思っていること」と強く信じているために、口を挟まざるを得なくなると考えられるでしょう。

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