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◆読書日記.《本間龍『東京五輪の大罪――政府・電通・メディア・IOC』》

※本稿は某SNSに2021年12月28日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。

 本間龍『東京五輪の大罪――政府・電通・メディア・IOC』読了。

本間龍『東京五輪の大罪

 著者は元博報堂の社員で、退職後は著述家としてメディアと政治との癒着などを追っている著述家である。
 本書はそんな著者が、批判の多かった今年の東京五輪について、どんな問題があったのか一つ一つ総括していく内容となっている。

 著者は元大手広告会社の人間なので、恐らくその方面に取材対象となる人脈がいるのであろう。そのためにこの度の東京五輪によってなされた世論誘導やメディアの支配構造なども解説してはいるが、それ以外にも相次ぐ不祥事、ボランティア搾取、今後の日本に深刻な影響を与える巨大な赤字、といった「事実」を淡々と指摘する。

 そのために本書は今年行われた罪多き東京オリンピックで発生した様々な問題点を全体的に総括する内容となっていて、今年の総括として相応しいものと思えるのでこの時期(※2021年12月)に読んだのである。

 いやはや、既に知られている内容も多かったが、改めてこう総括されると、怒りも呆れもとうに通り越して途方に暮れてしまうほどだ。

 これを一過性の問題と捉えてはならない。
 現政権は日々、様々な問題を起こしているために五輪で発生した問題もすぐ忘れ去られてしまいそうだが、これは今後の日本にも深く関わってくる問題だ。

 今回発生した借金だけでなく、五輪競技会場が利益を回収できずどんどんと赤字を膨らませ続ける事だろう。

 五輪の問題はボディブローのように今後じわじわと、脆弱な日本の国力を更に衰退させていく。だから、本書のように五輪の罪を総括し記録する本が出版される意義があると思う。

 本書で指摘されている東京五輪の問題点を整理しよう。

 まず菅総理の再選と衆議院選挙の勝利を狙って強行開催したという「政治的問題」。

 緊急事態宣言が発令されている上に毎日コロナ感染者数が記録を更新している時期、国民の8割は開催に疑問を持っている状態で五輪は強行開催された。
 病床圧迫の状況で五輪専用に医療資源が使われ、更に医療資源を圧迫。そんな時期に全世界から選手やスタッフを集め、少なからぬ感染者を生み出した「コロナ問題」。

 広告会社は電通が一社独占という異様な「広告体制の問題」。

 全国紙の新聞5社とそのクロスオーナーシップを採っている全国放送テレビ局5社が東京五輪のスポンサーとなったために五輪批判が抑えられた「メディア問題」。

 スポンサー67社という通常の五輪と比べると異常なほど多いスポンサー企業が関わった「商売上の問題」。

 エンブレム盗作、JOC幹部の問題発言、様々な炎上事件による「スキャンダル問題」。

 招致の際「アンダーコントロール」「夏の東京は温暖」等と嘘をつき、招致に際して贈賄疑惑もあった「招致問題」。

「約7400億円で開催できる史上最もコンパクトな五輪」と言いながら結局総費用は3兆5千億円を超え、更に五輪用に建設した競技施設が今後赤字を垂れ流していくと予想される「借金問題」。

……以上、本書で挙げられている「大枠の問題」だけでも8つも指摘されているのである。

 上に挙げた問題にもある通り、今回の東京五輪は全国紙の新聞社5社(朝日・毎日・読売・日経・産経)が全部五輪スポンサーになったために、新聞紙上でも全国区のテレビ放送でも五輪批判をする事ができなかった。
 会社の上層部が関わって推進している事業を批判するのは、日本のサラリーマンには無理なのだろう。

 更に問題なのは、日本の広告事業の最大手である電通が東京五輪の広告を「一社だけで独占」しているのである。
 著者によれば、これはもうこのオリンピックは「電通の、電通による、電通のための商業イベント」であったという事なのだそうだ。
 だから真正面から東京五輪を批判できたのは、電通とかかわりのない出版社であり、『週刊文春』のような雑誌であり、個人でやっているSNSなどのネットメディアに限られたのである。

 ネットや本や雑誌などで情報収集していた人はもう東京五輪が、JOC関係者と一部のスポンサーと建築業界だけが群がって日本から甘い汁をチューチュー吸っていた「巨大な見世物」だったと知っているだろう。

 ぼくもネットや本で情報収集する人間なのでそういう状況は知っていたものの、本書で更にその詳しい内容を知って、悪い意味でため息が出たほどである。
 今後の日本の事を考えると胃が痛む、それほどの影響があったのだ。

 これはあまりに酷い。ぼくは今回の件で、何も知らずに「でも何だかんだで五輪は感動したよね」等と言っている人間は軽蔑に値すると思っている。
 彼らの無知によって、更に日本は悪い方向へ追いやられて行くだろう。

 上に挙げたあらゆる問題がありながらも東京五輪に協力したスポーツマンとも、袂を分かとう。ハンマー投げの室伏広治も尊敬していたスポーツマンの一人だったが、彼を応援する事はもうぼくにはできない。
 スポーツマンという人たちは、偉業を成し遂げたという事のみをとって尊敬されるべき誠実な人間であるかのような扱いされる類の人間では、必ずしもないのだという事が、今回の五輪でありありと証明されてしまった。悲しい。
 彼らは、国内の惨状を目にしておきながら、自らの栄誉と個人的な勝利を優先させたのである。
 あまつさえ「感動を与えたい」等と言う傲慢な物言いをする者までいた。
 彼らの多くは、それほどまでに視野の狭い人間たちであったのである。悲しい。ああ、悲しい。

 以前から東京五輪の問題を理解していた方も、ぜひ機会があれば本書を一読して頂きたい。この酷さは想像以上である。

◆◆◆

 本書で指摘されている問題はあまりにも多く多岐にわたっているため以下、ぼく個人が本書を読んで特に印象に残った問題のみに焦点を絞って紹介したいと思う。
 くれぐれも言っておきたいのは、今回の五輪の問題は以下の内容に収まるものではないので、関心を惹かれた方は是非とも本書をご一読頂きたいと思う。

◆◆◆

 皆さまは「ボランティア」という言葉にどのようなイメージを持っておられるだろうか。

 本書によれば「ボランティア」とは、公共の利益になる事について、自ら志願して、非営利的に行う活動の事を言うのだそうだ。つまりボランティアの中核概念は「公共性・自発性・非営利性」なのである。

 それに対して、オリンピックはスポンサー料が発生し、チケット代も入る「営利目的」の「興行イベント」である。ボランティアの入る余地はない。

 上に挙げたボランティアに関する3点の中核概念を見ても、そもそもボランティアに「無報酬労働」などという概念はない。

 事実、過去のオリンピックに参加したボランティアには「報酬」があった。
 2018年の平昌冬季五輪ではボランティアに対して交通費は全額支給、宿泊場所も全て用意されていたという。
 また、食事も三食無料であった。2016年のリオ五輪のボランティアには日給が支払われており、2012年のロンドン五輪ではボランティアはロンドン市内では交通費無料、遠隔地から来たボランティアのための宿泊地も用意されていた。

「ボランティアはタダ働き」というのは、日本独自の悪しき文化なのである。

 つまり「ボランティアが働いてくれたおかげでスポンサーが儲かる、ボランティアが働いてくれたおかげでJOCの利益が上がる」等で言われる「ボランティア」とは本来の意味でのボランティアではなく、単なる「タダ働き」なのだ。
 もっと言えば、営利活動の利益に協力する事も「ボランティア」とは言わない。

 本書の著者である本間龍は『ブラックボランティア』(角川新書)でも、JOCによる「ボランティア」と称されるこの凶悪な「無償報酬の要請」の実態を暴いている。

「五輪ボランティア」の交通費は1日千円支給で、これでは地方から参加するスタッフは交通費も現地での宿泊費もほぼ自腹でやらねばならなかったという。

 弁当も支給されたというが、スタッフからは「異様にしょっぱくて不味い」と不評だったらしく、SNSなどでは、それが原因で「弁当13万食廃棄」という事態が起こったのではないかと噂されたほどであったという。

 また、真夏の炎天下でのボランティア活動は熱中症の危険性があるのではないかと危惧されていたが、組織委がボランティアへの「酷暑対策グッズ」として出したのは誠にお粗末なものであった。

 1)「体調管理シート」と称する紙ペラ一枚
 2)ローヤルゼリー
 3)額に貼る熱さまシート
 4)うめ塩飴2個
 5)ヘルシー焼きショコラ

 ……これらと共にお茶または飲料水のペットボトル1本が一日分として支給されたという。

「1」は自分の体調を紙の記入欄に記して提出するというもので、こだけとっても組織委が「ITシステムによってボランティアの状況をリアルタイムに把握して安全管理をしよう」等と言う考えはつゆほども考えておらず、スタッフの健康管理については基本的に「自己責任」にしようという意思がありありと出ていた。

 そもそも、本間龍が指摘するには五輪スタッフを「ボランティア」にする事に組織委がこだわったのは、五輪に関わる十万人単位のスタッフを全てアルバイト等にしてしまうと「雇用関係」が発生してしまうからだ、という。
 つまり、スタッフの健康管理について不備があった場合、組織委の法的責任が発生するのだ。
 それに対して「ボランティア」という事にしてしまえば、その活動中に起こった事については「ボランティアスタッフが自ら進んでやった事だから健康も自己管理してください」として、組織委が責任を負う必要はなくなり、訴訟リスクも減る。「徹底的に利用してやれ」というJOCの傲慢な意図が透けて見えるようだ。

 その他の「酷暑対策グッズ」も酷い。
 真夏の日本の炎天下の中でペットボトル1本とローヤルゼリーの水分だけで一日やっていける人間はいないし、汗で失われた塩分は塩飴2個程度では補給できない。

「熱さまシート」は暑さ対策ではなく「急な発熱を冷ます」ためのもので、そもそも用途が違っている。

「焼きショコラ」に至っては何がどう「酷暑対策」になっているのかもはや意味不明である。これもスポンサー商品を買い上げて利益還元する手段だったのでは?と邪推してしまう。

 以上の様に、こと「五輪ボランティア」だけの問題をとってみても、めまいが出そうなほどに様々な問題があったのである。

 東京五輪の「ボランティア」問題でも文科省が各学校の関係者に「ボランティア参加を促す」と称する通知文を送って「圧力をかけた(ととられてもおかしくない事をした)」のを考えても分かる通り、そもそも日本では「自ら志願する」という考え方が、どこか歪んでいると感じる。
 ボランティアは自ら志願するものだ。

 先述した通り、ボランティア学の専門家の定義によれば、ボランティアの中核概念は「公共性・自発性・非営利性」である。
 つまり「ボランティアを募集する」という言葉の意味する事は「自発的な参加を要請する」という異様に歪んだものなのである。これと似たような状況は過去にも事例がある。

 第二次世界大戦では、日本の「志願兵」として台湾の中国人が多数参加したと言われているが、山村基毅『戦争拒否 11人の日本人』で取材されている当時の台湾人の証言によれば、例えば政府の役人から地域に住んでいる台湾人が集められ「明日までにこれに記入して提出しろ」と志願兵への参加手続きを強制されたという。
 また、その当時彼ら台湾人が日本国内を移動する時にも、港や空港にいる役人や憲兵に「貴様、なぜ志願兵に参加しないんだ」と誰何されたという話まである。

 過去にも、日本は「志願するよう要請していた」のである。
 本来、自由意思で決めるべき事柄について「自由意思で参加すると自ら決めなさい」と促される異様さというのは、同調圧力の強い日本文化の中にいると気づきにくい事なのかもしれない。
 こういう日本人の感覚と言うのは、今も生き残っているのだなあとつくづく呆れさせられた。


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