シリアルキラー展に行ってきたよ。

 正直、おじさんなんで此れを見ようと思ったの分かんない。

 友人なら喜んで行くんだろうなと言うのが、常に脳裏にあったシリアルキラー展。2016年から催しているらしいんですが、あまり知る事もなく。ここ最近は定期的に何かしらの【東京 展覧会】みたいなので調べて、目についたが故に行ってきたんですけれど、何で改めてスプラッターホラーとか見れないのに行ったんだろうなと言う後悔があります。正直、シリアルキラーそれぞれの紹介の際に、生い立ちを書いてる訳ですが、殺害方法とか偶に書いてる訳ですよ。正直、思い出しただけで名探偵ピカチュウのしわくちゃになってるピカチュウみたいな顔になるんですよね。見てるのも痛々しくて。

今回の展覧会で飾られている物の一部

 銀座の隅で、アングラな物を取り扱っていますと言わんばかりのヴァニラ画廊と言う場所で、今回も行われていたシリアルキラー展。そもそもシリアルキラーってなんぞや?と思って、Wikipedia先生を頼った所。

シリアルキラー: serial killer)とは、一般的に異常な心理的欲求のもと、1か月以上にわたって一定の冷却期間をおきながら複数の殺人を繰り返す連続殺人犯に対して使われる言葉である。

ほとんどの連続殺人は心理的な欲求を満たすためのもので、被害者との性的な接触も行われるが、動機は必ずしもそれに限らない。猟奇殺人快楽殺人を繰り返す犯人を指す場合もある。自らの犯行であることを示す手口やなんらかの固有のサインを残すこともあり、その被害者たちの外見や職業、性別などに何らかの共通点が見られる場合もある。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 こうして見ると、一定の冷却期間を起きながらとか必要なんだなって言う感想がありました。もっと細かく区分をしていくと、上記記事内にも書いてあるんですが、元FBI捜査官のロバート・K・レスラーさんによると

・1人、稀に複数人による犯行
・2人以上の殺人の被害者がいること
・殺人事件が、それぞれ別個のものであり、別の時に起きていること
・犯行が一定の間隔を置いて行われることが大量殺人 (mass murder) と連続殺人 (serial murder) を区別する

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 こうして見てみたら、色んな方々は居たんですが…確かにほぼ該当するばかりの人達で、意外と異常者と言う括りの中でも思考や嗜好は同じなんだなと言うのも帰りの中の電車で思いました。

以前展示されていた物や今回展示されていた物

 今回のシリアルキラー展、興味本位で見に行ってきたと言うのは強ち否定出来ないでしょうか。流行り廃りを食らう様に見に行こうとしたと言うよりかは、本展の肝でもある【異常者の字と絵の独特さ】を直に見に行こうと思ったのが理由です。

 やっぱり色んな研究成果みたいな物で、データに基づいた人の見えない物の可視化がされてきている中、ある程度納得せざるを得ない物も様々あって。それでデータとして残っている物を見ても、感じれる物って意外と薄ぼんやりとした物でしか無いと思うのを偶に思うんですよね。感情ってデータとして脳の何かを探る様に見ても、図れる物でも無いと思いますし。俺みたいな鬱病で苦しんでるとかADHDの前頭葉の活発感の無さとかもデータがあったとしても、それで納得したら多分何処か自分を自分で殺す理由にしかならない訳だから、信じたくないって言う気持ちも強いんでしょうけれど。

 今回、色んな獄中で描かれていた絵を見た時に夢に出てきそうみたいな不気味さがあるインパクトも凄かったんですが、正直な所…それぞれ細かなシリアルキラーにおける生い立ちを見ていると、機能不全家族が多いのがやはり目に付いたと言うのもあるでしょうか。人が生きている世界を全体的に見ていて、所謂父子家庭、母子家庭、貧困から立ち直って立派にやっている人もしっかり居ると言うのも分かるのですが、どうしても歪さと言うのはこういう所から生まれてしまうんだなと言うのは少しだけ悲しくなりました。

 歪だった人間は誰が正してくれるんだろうかと言う投げかけをする様な絵ばかりだったとも言えます。自分自身でやった行いを、他責にする事自体の無責任さも感じる稚拙な節もありながらも、何処か歪みを正す為に誰かが何かをしてくれたか?と問いかける様な虚ろな目をした絵のキャラクター達。彼らのした行いに一切同情の余地は無いけれど、生い立ちには何処か情が移ってしまうんですよね。人間関係が構築出来ない歪みが離婚歴に繋がっていたり、拉致監禁を行った上の様々な暴行が人と関係を結ぼうとする結果なのかも知れないと言う何処か当人の思いをぶつけている様な様々な絵は、ある意味見れてよかったのかなとも。

 スプラッターホラーは泣く、ゴア表現は嫌い、単純に怖い物は怖いと思う自分でも、決め手になったのは【相模原障害者施設殺傷事件】における植松聖死刑囚の絵のインパクトが強かったからかも知れません。

 シリアルキラーと言うよりかは、単なる大量殺人者でしか無い括りになると思いますし、被害者家族がいらっしゃる中でのこの様な表現は相応しくないとは思うんですが、植松聖死刑囚の絵を見てると正直に綺麗だなと僕は思った時があります。

 植松聖死刑囚が脳内で描いていた世界は、とても美しい物だけで満たされていたんだな。…と言う犯行に及んだ理由其処にがあるといった不気味さを際立たせる絵ですよね。結構衝撃だったんですよ、字の綺麗さから様々に漏れ出る人間らしさが人間としての倫理観に歯止めを掛けずに、アレほどの事を行えたんだなって言う恐怖があったんで印象深くて。

 全ての犯罪者に憐れみと慈しみを与える事は正しいとは思えないですし、バックボーンを考慮しても許される事は無いと思うんです。それでも、彼らが何か訴えてくる様があるんだなと言うのを実感させる様な、様々な絵達は多分人生で一度感じるべきなんだなと言うのは思いました。性善説や綺麗事が蔓延る世の中で、現実を突き付けてくる彼らの地獄を僕らは一度だけでも見て感じないと、きっと生きてるだけで綺麗だって言う事は、僕は正しくないかなって思えた今日でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?