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私が”安定”の教員を辞めて 「自分の夢を叶える」生き方に全振りした理由

本日、ありがたいことに、
「『生き方』『働き方』をテーマに、読んだ人が一歩踏み出せるようなインタビュー記事を執筆し、発信していきたい」「『夢を叶えるために前へ進む理由とは?』をテーマに記事を作成したい」
という思いを持った方からインタビューをお受けいたしました。

インタビューでは、職歴や転職したときの思い、「おりぞめのさち」誕生と「夢を叶えるおりぞめノートを作る会」、SHEコンプリートして得られたこと、NY留学について、今後の展望などをお話ししました。

インタビューを終えて、「あれ?そもそも、なぜ安定の公務員をやめて好きな人生を生きるようになったんだっけ?」と改めて浮かんできました。そこで、当時のエピソードを思い出しながら書いてみます。

インタビュー記事は
https://note.com/mink1103/n/nab9fb78235cf
こちらです!

(みんくさんありがとうございました!)





はじめに

私は大学を卒業した後、正規の小学校の教諭として11年間勤務しました。「結構長いですね」と言われることが最近多いので、「自慢してもいいのかな」って最近になってやっと思えるようになりました😌

教員を辞職し、美容部員→派遣社員の事務と仕事を変えながら、上京し、「おりぞめのさち」として副業を始め、今はNYの留学を控えています。

安心安全安定の公務員を辞職し、一気に「自分の好きなこと」をする世界線へ。振り幅。

11年も勤めた公務員を辞めると決めた当時の私に何があったのか。

当時の思いが溢れてきて泣きながら書きました。
6000文字少し超えて長いですけど笑
最後まで読んでいただけたら幸いです🍀


私が”安定”の教員を辞めて「自分の夢を叶える」生き方に全振りした理由








きっかけは短い命が天に召されたこと


 私が教員を辞めて「自分のやりたいこと」を生きる生き方に全振りしたきっかけは、知人のお子さんが急死されたことでした。

 とても悲しいお知らせは当時小学校の先生をしていたお仕事中に届きました。その夜、私は支度をしてお通夜に行きました。後から考えれば、通常職場の人と時間を合わせて連れ添って行くのですが、この夜誰かと一緒だったのか、1人で行ったのか思い出せません。その時からすこし冷静さを失っていたのかもしれません。悲しくてたくさんたくさん涙が出ました。メッセージを寄せられるスペースでその子に向けてお手紙を書きました。生きてきた数年の命の様子が写真に納められていて、その笑顔がとても幸せそうだったことがせめてもの救いでした。

 翌日は平日でした。出勤でした。私は平常通り車を運転して職場である学校へ向かいました。片道40分くらいある道のりの、ちょうど半分くらい行ったところで突然、涙が出てきました。少し泣いたら収まるであろうと思っていた涙は、溢れて止まらなくなって、ついに私は車を停めて落ち着くのを待ちました。しかし、何分待ってもなかなか涙が止まらないのです。職場に連絡をして、担任していた子供たちへの指示を出してもらって、自分の気持ちと涙が止まるのをひたすらに待ちました。

 私は経験上、「仕事に急に行けなくなる人がいる」「(首都圏では)電車に乗れなくなる人がいる」と知っていました。でもまさか自分がそうなるなんて信じられなかったのです。涙は流しても流しても一向に止まらず、そこから一歩も動けないまま、一刻一刻と時間が過ぎていきました。

私が向かうべきところは学校ではない


 泣いていた私がどんな気持ちだったかというと「私が向かうべきところはそこ(学校)ではない」という気持ちでした。私はその子のお葬式に行きたかったのです。私は遅刻しそうな旨と私の思いを電話に出てくれた教頭先生に泣きながら伝えました。しかし、教頭先生は私の気持ちをわかってくれた上で、「今日はお葬式には行かず、とりあえずひとまず、学校に来るように。」と指示を出されました。

 今思えば、そんなことぶっちぎって、有給を取ってお葬式に行ってしまえばよかったんですよね。そもそも、そんなに行きたいなら、周囲に事前に事情を説明して、休むべき手段を使って、授業の準備をして代理の先生に入ってもらって、私は正規のルートでその子のお葬式に行けばよかったのです。
 今は当然の権利としてちっとも感じなくなったことですが、当時の私は、「仕事を休む」(担任している子を他の先生に頼む)ということに対して強い罪悪感を感じていました。多少体調が悪くても休まずに仕事に行っていました。自分の気持ちを後回しにして「何を求められているか」を先に考える思考の癖がついていました。自分が仕事を休んでその子のお見送り(お葬式)に行きたいと思っていることに、そんな状態になるまで全く気づいていませんでした。周囲から望まれているであろう道を生きていく、それが絶対的に正しいし幸せだ、と信じて疑っていませんでした。

 結局、始業時刻を過ぎ、朝の会も朝活動の時間も1時間目も過ぎても嘘のように涙は止まらず、私が把握している中でも断トツの長時間続いた涙でした。前にも後にもこんなに数時間の間1人で泣いたのは、この時だけです。2時間目が始まるとなった時だったでしょうか。事情を知ったある先生から「そこで待ってて、迎えに行くから」と連絡が来ました。その言葉で目が覚めたように私は「学校に行く」と答え、無事涙を抑えて学校に行けたのです。
 少し保健室で休ませてもらって、落ち着いた後、4時間目くらいからだったでしょうか。何事もなかったように私は子供達の前に立って授業をし、その日を終えました。

 その後、お葬式に行った方から、「とても良いお葬式だった」と聞きました。「お嫁さんになりたい」というその子の夢を叶えるためにフラワーシャワーもしたと教えてもらいました。

 私も花を投げたかったしお葬式に行きたかった。私もその子をお見送りしたかった。冷静に、かつ温かく対応してくれた職場の先生たちに感謝しつつも、私はそう思っていました。その温かい対応は、逆に「あなたの気持ちはわかる、でもそれには対応できない、それが学校だ。そういう職場に私はいる」ということを再認識させられたことになりました。「もっとわがままに自由に生きたい」「私はこのお仕事を選び続けていいのだろうか?」ずっとずっと押し殺していた自分の気持ちに気づかされた日でした。


「好きなことして生きていいよ〜!」


 その夜、私は1人で近くの海に行きました。泣きながらたくさんの流れ星を見ました。数年前お腹に来てくれたけど産まれなかった私の子と、今回天に召されたその子が、きょうだいになって、空の上で手を繋いで仲良く遊んでいるイメージが浮かんできました。サンリオのキャラクターの「ききらら」みたいに、とても楽しそうでした。

 その子達から
「もう頑張らなくていいよ〜!」
「もう我慢しなくていいよ〜!」
「さっちゃんも、好きなこといっぱいして、生きていいよ〜!!!!」
と言われた気がしていました。

 自分たちが生きられなかったこの世を楽しんで生きていってね。
そう言われた気がしました。


今思えば私の人生なのにどこか誰かの人生を生きているようでした。私の人生に対して責任感や自分ごと感がとても薄かったのです。誰かの期待に応えて生きることが私の幸せだと思っていました。そうすることに苦しさを感じていたことともう頑張れなくなっていることに、私はようやく気がついたのです。


自分の気持ちにさっさと降参して、正直になる。

 私は元々、人や子供という存在が好きで学校という場も大好きでした。先生にはなりたくてなりました。素晴らしい仕事でした。だから辞めたくもありませんでした。
 しかし、学校という場所で、集団として皆が生きて行くために、どうしても個別に対応しきれない文化や風土がありました。子供たちを管理して評価しなければならないという部分に対して、徐々に息苦しさを感じるようになってきていました(実際に気管支を患ってもいました)。私は子供達を自由にさせてあげることが好きでした。しかし学校で生活していると、私自身が謎に思っているルールも子供に守らせなければなりません。私は子供との関わりの中で、あんなに大好きだった「子供」という存在をこのまま仕事を続けたら嫌いになりそう、という錯覚を覚えていました。
 また、好きだなと思う先生はいましたが、私が歩みたい未来を生きている、この人みたいになってみたいな、と思うようなロールモデルがいませんでした。学校という世界しか知らず、教員以外の人間関係が広がらない故の自分の見解の狭さにも「このままでいいのだろうか」という思いを感じてもいました。「この生活を続けて行くことが私の幸せなのだろうか?」という問いは、数年前から私の中には生まれてきていました。(イメージの中で星になった子供たちが言ってくれたように)私は本当はもうこの環境で頑張り続けたくないのではないか?もっと自由に生きられる環境の方がいいのではないだろうか?と思ってもいました。

(念の為書いておきますが、上記は私が感じたことであり主観です。全ての教員の方に当てはまることではありません。)

 でも、安定の公務員だったし、なりたくてなったお仕事だったので、決断がなかなかできずにいました。本当はもう頑張りたくない、自由に生きたいという自分の気持ちを認めたら、何かに負けた気がするとも思っていました。そう考えていることを認める勇気もなかなか生まれてきませんでした。
 そもそも、当時の私は「いい仕事に就いて、いい人と結婚して、子供を数人産んで、家を建てて、定年まで働いて、一生を終えるのが私の幸せ」という1つの価値観に対して、強いこだわりを持っており、それが私の幸せだと思い込んでいました。いい仕事に就いて、いい人と結婚、まではいけたのに、子供がうまくできなかったことで、「努力では超えられない壁がある」ことを知りました。と同時に、「本当に私の夢はママになることなのだろうか?」という疑問にYESもNOも言えないまま、数年をもやもやしたまま過ごしていました。私は仕事と自由が好きでした。子供を産み育てることは、当時の私にとって「その好きなことのどちらもできなくなるのでは?」と感じられ、それが私にとって幸せだとは思えませんでした。しかしこのまま結婚しているのに子供が生まれないというライフスタイルが幸せなのかもわかりませんでした。今で言う「選択制子なし」を選択できるほど、自分がこだわり信じていた価値観を潔く捨て、別の幸せが私の幸せであると認める強さも勇気を持つには、当時の私は若すぎました。

 そうやってぐずぐずと自分の気持ちに向き合わず、蓋をしていた私に、子供たちが天使になって、「もっと自由に生きていい」ということを教えにきてくれた、と当時の私は思いました。
「そうするべき」ということよりも「そうしたい」と思うことを
もっと自由にやっていっても良いよ😉

彼らに背中を押される形で、私は教員を辞める決心がつきました。


 その決断はご想像通り波紋を呼びました。そうだと思います。急にそんなこと言われたらびっくりしますよね。私の家族をはじめ、周囲にいる大事な人たちを驚かせてしまったり、悲しい思いをさせてしまったりしたことは、私にとってもとても悲しいことでした。しかし、これ以上自分の気持ちに気づかないふりをして自分に悲しい思いをさせて生きていくのは、もっと悲しいことになりそうだと思いました。きっとこのまま蓋をしてなかったことにしたら私は心身を壊すと思いました。(実際、当時の私はどこかおかしかったと思います。)
 「今後、自分の人生を楽しく生きる。あの子たちとの約束。」そう思いました。

 




 そして、その後、迷いながら、困りながら、泣きながらも、笑


 実際に多くの「夢を叶える」人生をスタートさせることとなったのです。







と書くと、とても綺麗に聞こえますが、

 実際は、人に言えない失敗があったり、墓場まで持っていきたいこともあったりします。私はビジネスには向いていないということもよくわかりました(先日諦めがついて、廃業届を出しました💌)。向き・不向きは人それぞれだし、人に言えない失敗も、墓場まで持っていきたいことも、みんな言わないだけでみんなあるだろうな🤫、と歳を重ねたら思えるようになりました。私はだいぶ楽に、生きられるようになったと思います。

 それらは「やってみた」からわかることでもありました。経験は貴重です。教員を辞めた時、私は自分にたくさんの失敗をさせてあげようと思いました。教員時代は「(自分が)失敗をしないように、(子供たちに)失敗をさせないように」という思考で生きていました。だから1つの「失敗」に対していちいち強い思いを感じていました。
 しかし、特にSHEに入って、私が失敗だと思っていたことは実は失敗ではなく、「成功への大事な一歩」だとわかったのです。「失敗は成功のもと」と言う言葉もありますし、「スパイシーチャンス」と言って、一見失敗や自分にとっては良くなかったと思えることの中にも、チャンスが潜んでいることがたくさんありました。

 ま、いろんなことがあるし、それが人生だということです。
 みんなそんな完璧じゃない、ということです。



このnoteを読んでくれた人に伝えたいこと


  私のことに興味を持ってくれて、私のどこかに共鳴してくださった読者の中では、昔の私のように完璧主義だったり、知らず知らずのうちにご自身のお気持ちよりも周囲の気持ち(と思われるもの)を優先してしまうような優しい優しい方が多いのかもしれません。

 私がそんな方達に声を大にして申し上げたいのは、
もう1人で頑張らないでいいよ〜」ということです。

 これはニュアンスとして頑張るのを「全部」辞める、というのではなく、自分が頑張りたくないところや苦手なところを頑張るのを辞めるということです。自分のやりたい気持ちとやりたくない気持ちに正直になる、ということです。我慢していいことは1つもありません。自分だけが我慢すれば良いという思考は誰も幸せにしないということがわかりました(いつか爆発するし)。なので、さっさと自分の気持ちに降参して「どうすればもっとやりたいことをやれるか?やりたくないことをやらなくてすむか?」と考え方をシフトしていただけたらと思います。

 おそらく、あなたも頑張るのが好きな方とお見受けします。頑張ることは良いことだと私は思っています。しかし、「自分ができること(範囲)」も時間もエネルギーも有限ですので、頑張り続けると必ずどこかでパンクします。そうなるとそっちの方が大変です。
 なので、そうなる前に人にお願いしたり頼ったりするのです。私もなかなか苦手でしたが、「人に頼む才能がある⁉️かも」と気づいてからはどんどん人的リソースを大活用しています(笑)。あなたを助けたい人もあなたの力になりたい人もいっぱいいます。それで、お互い幸せになっていけばいいのです。「三方良し、四方良し」の方法はあります。全員が一気に幸せになれることは可能です。歳を重ねた私はそう思います。

(イメージですけど)星になった子供たちが伝えてくれた、
「もう1人で頑張らなくていい」
「もう1人だけ我慢しなくていい」
「好きなこといっぱいして、生きていいよ〜!!!!」

というメッセージをこれを読んでくださった方全員に送りたいと思います。



あなたはどんな夢を叶えたいですか?


 「夢を叶える」前後で付随する「もやもや」「ざわざわ」した気持ち、調達しなければならない資金、越えなければならない壁は山のようにあります。それは宇宙から(=迷っている自分自身から)の「それでも本当にやりたいか?」という「お試し試験みたいなもの」だと私は思っています。生じる迷いや不安、それらの「障壁(に見えること)」に対して「それでも私はやりたい!」「YES」と言い続けて、行動し続けられた人だけが、夢を叶えられることができるのです。
 みんな成功の瞬間しか見ていません。私はずっとそう思っていました。しかし、振り返ると、割とその夢を叶える過程を見守り、温かく応援してくれて、その姿を評価してくれている人もいるのです。
 あなたは1人ではありません。どうか1人にならないで。
 夢を叶えるには思っている以上の多くの年月と努力、小さなことを積み上げていくことが必要です。だからこそ、夢を1人で叶えようとしないことが大事です。苦しくなった時は1人で頑張ろうと思い過ぎていないか、確認してください。応援してくれる人に感謝をしながら、(多少恥ずかしい思いをすることもありますが、人はあまり気にしていません)堂々と夢を叶えていきましょうね😉

 私やあなたが生きる先に、どんな夢を実際に叶えられるかはわからないけど、何事も自分次第。何歳からでも挑戦できます。私はそれを信じているし、今回NY行きで証明します。周囲に助けてもらいながら、共に頑張りましょうね!🥰🥰🥰


この世を楽しんで生きていきましょ〜!👏


最後まで読んでくださりありがとうございました〜🌸

サポート嬉しいです☺☻