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【クリエイター未経験・派遣社員・バツ1・37歳】の私が、「シーライクス」に入会し、0から「webデザイナーになる」という新しい夢を叶える、と決めた話

こんにちは、おりぞめのさちです。


webデザイナーになることにしました!

そのための勉強を

シーライクスで始めることにしました。


なぜ今更Webデザイナーなのか?

なぜシーライクスなのか?

とても長いですが、

書いていきます!


【クリエイター未経験・派遣社員・バツ1・37歳】の私


長くなりますが、ここまでの経緯をば。
興味ない方は飛ばしてくださいね!


私は1983年9月29日生まれ、37歳。


27歳のときに結婚して、

短い不妊期、11週の妊娠期間、流産を経て

32歳で離婚。

そのとき、


大学を卒業して

「ちゃんとした」ところで働いて

「いつの間にか」結婚して

「なんとなく」子供ができて

「一生懸命」住宅ローンを返しながら

夫婦二人であくせくしながら働いて

素敵なママになる。


・・・そんな、

いつの間にか抱いていた

これから自分の人生に「普通に」起こること

と思っていたことが


全然「普通」ではない、

ということを知りました。


それまでに自分の夢だと思っていた

「いいお嫁さんになりたい」

「いいお母さんになりたい」

という思いは、


それまでの教育や周囲の環境から

いつのまにか自分の中に生まれた「イメージ」でしかなく、

私が知らないうちに、

私から

「したいことをする私」

「好きなことをやる私」

「やってみたいことをやる私」

「挑戦する私」

「いろんな夢を叶えていく私」

「自由に伸び伸びと生きていく私」

というアイデンティティを

少しずつ少しずつ奪っていっていたようでした。


誰からか拘束されたわけでもありません、

夫だった人から強制されたわけではありません。


ですが、私はいつの間にか

ガンバって

頑張って

疲れて

疲れ切ってしまっていました。


頑張ることが好きでした。

努力することも好きでした。

なにか目標に向かって進んでいくことも好きでした。




いいお嫁さんになりたい

いいお母さんになりたい

それは私がずっと抱いてきた思いでしたが、


「いいお嫁さん」も「いいお母さん」は

私にとっては抽象的過ぎました。


正解がない。

どこまで頑張ればいいのか、いつまでやればいいのか、

どうやればいいのか。


正解はないのでなく

たくさんありすぎたのかもしれません。




私は

私一人で自由に生きていきたい

誰からの制限も受けたくない、

という思いも強く持っていました。

多分、今でも持っています。


でもそれは

「許してはいけない」とも思っていました。


不器用で集中すると1つのことしか見えなくなる私には、

いいお嫁さんやいいお母さんとは

両立できない、とも思っていました。

だから、

いいお嫁さんになるために、

いいお母さんになるために

自分が自由であってはいけない、と

いつの間にか思い込んでしまったようです。


頑張ったらきっとなれる。

努力したらきっといいお母さんになれる。


「またねーーーー!」と言いながら

あれは多分神様とともに空に去っていく光になった赤ちゃんを見送りながら


私はもう「いいお母さんにはならなくていいのだ」と

寂しいけれどもどこか安心した気持ちも

私の中に生まれてきたのも

今なら認められる事実でした。





だから、

離婚して「まっさら」な私になったとき、

私は”自由”になった気がしました。


今まで拘束されていたわけでもないのに、

それは自分でも不思議な開放感でした。



「シアワセにはいろんなカタチがある。」

「愛にもいろんなカタチがある」

それを痛感しました。




私は働くことが好きでした。

今でも好きです。


それが、

「お嫁さん」になったり

「お母さん」になったりすると


「自分の時間」がなくなるのではないか?

思い切り働けなくなるのではないか?

という強い懸念は今でも払拭されていません。


私は子供が好きでした。

今でも好きです。


でも子供を

うるさいな、と思うときもあります。


自分が好きな人の子供を

産んで抱いてみたい、という気持ちもあります。


でも、

その子をおとなになるまで育てていけるのか

ケッコンをもう一度して

私の抱いている懸念が払拭されるのか

本当に「案ずるより産むが易し」なのか、

については、

まだ私の中では解決できていません。

(解決は保留のようですし、もう解決しようとするのは諦めました)笑



「家族がほしい」という気持ちと

(語弊はありますが)「自分ひとりで自由に生きて

制限なく好きなことをしていきたい」という気持ち。

そのどちらもあるのが今の私です。

今は付き合っている彼と仲良く暮らしていく、それが今の私のシアワセです。

(自分が好きな人の赤ちゃんは生んで抱いてみたいけどね。)



この先、

「お嫁さん」や「お母さん」として生きる未来が

私にはあるのかわかりませんが、


とりあえず私は、

ずっと自分には無理だ、と諦めていた

「webデザイナー」になりたい、という夢を

先に叶えることにしました。



「なんでwebデザイナーになりたいの?」

「webデザイナーになりたい」と私が言ったら

何人かの人にそう聞かれました。


私は実は、ずっとずっと

デザインやIT系の仕事は興味がありました。

デザインすることも作ることも好きでした。

ずっと、というのは、子供の時から、です。

でも「自分が職業として(肩書として)やっていくのは無理だ」と

思い込んでいたので、

そう思っていることさえ誰にも言わなかったのです。

小さいときから「かく/つくる」は好きだった

私は小さいことから「かく(書く・描く)」「作る」ことが好きでした。


小さいときには、よく絵を描いていました。

幼稚園の粘土遊びも、小学校の図画工作も大好きでした。

もっとやりたいなぁ、そう思っていました。

色鉛筆や色ペンを使って授業中のノートをまとめることも好きでした。

休んだ友達から

「さっちゃんのノート見やすいから、貸して」

と言われて貸したことも何回かありました(今思い出しました)。

絵の具を使って図工で絵を描くのも好きでした。


ただ、絵は

小3くらいから「斜めの線」や「立体」を平面(絵)に書き表すことが

難しくなって、いつの間にか嫌いになっていました。


ノートを書くことは、中3のとき

「ノートをまとめることではなく、お勉強に集中しましょう」

みたいな先生のコメントを見て、

(そうか、ノートまとめは勉強にとっては良くないことなんだ)と

思い込んでしまってどこか封印してしまっていました。


そんなふうに

昔は好きだったけど

何かをきっかけとしてもう嫌いになっちゃった(と思ってること)

「どうせ仕事としてやっていくのは無理だから」と思って

「自分が好きなこと」を「もう好きじゃない」ということにしておく、

そんなことって結構あるのではないでしょうか。


こちらを読んでいただいたいる方、いかがでしょうか。



私はこう思うのです。

「自分がすきなこと」ってきっと本当はずっと好きなこと。

誰かからなにか言われたり、失敗したりして、

諦めようとしたり、やめようとしたり、もう出さないようにしたりしたとしても、

多分、「才能」があること、だから、

隠せないし、どうせ早かれ遅かれ周囲にバレていきます!!!笑

(と思い切って書いてみます笑)

(だから「自分の好き」を諦めないでほしいな)


・・・・

と言いつつも、私も完全に自分を騙し続けていました。笑

「あなたは、デザイン系の仕事が向いていると思うな!」


高校生の時、私が提出した修学旅行先を調べたレポートを見た先生が、

「あなたは、デザイン系の仕事が向いていると思うな!」

とコメントをくれました。


その「デザイン系」という言葉は、私に強烈な印象を与えたのですが、

果たして「デザイン系」というのが

どういう分野で、どういう職業になるのか、

美術的センスのない、「斜め」が描けない私には

どうせ無理に違いない、と早々に考えることを諦め、

もう1つ興味があって、好きだった「子供」について勉強するために、

教育学部系の大学へ進んだのでした。



教育学部系の大学を卒業し、晴れて「先生」となった私は

11年間小学校の先生として働きました。

普通学級と特別支援学級を担任をしました。


先生は素晴らしい職業でした。

子どもたちが大好きで、学校も勉強も好きだった私に

ピッタリだと思いました。


ただ、私は、やめる1年間は特に

「学校現場」の「時代遅れ感」をひしひしと感じました。

(私が務めた10年間でさえも)子供や「時代から求められていること」は

どんどん変わってきていました。

ですが、「学校」という仕組みやシステムでは、

それに「対応」できないのです。

日本では「学年」「年齢」という分け方がメインです。

年齢に応じてクラスを分けて、習熟度や本人のニーズに関係なく

「教科書」や「指導要領」の内容を画一的に教える、ということがベースとなっています。

能力や学び方、意欲や生活環境等、子どもたちは一人ひとり違います。

地域によっても少しずつ違います。

ですが、

内容や時間的に自由度がほとんどないこと、

子どもたちを決まりや時間に合わせて動くよう指示を出し続けること、

子どもたちを「評価」をすること、

に対して、

私は子どもたちを「枠」に閉じ込めているような気持ちになってきていて

とても息苦しさを感じるようになっていました。


みんな「はなまる」でいいのにな。

やりたいようにやっていいのにな。

でもそれを認めてしまったら

「学校」としてはうまく立ち行かなくなるんだろうな、

そんなふうに思っていました。



私は学校という場所が好きでした。

勉強も好きでした。

でも、私は先生としては十分やりきった、

そう思って教壇は降りることにしました。


「次に何かをやりたい」と思うまでしっかり休む、と決めた私が

次にやりたいと思ったのは「メイク」でした。

もともと「女性のためになにかしたい」と思っていた私にとって

「美容部員」はぴったりでした。

(※私は今の仕事もぴったりだと思っています、笑)

(天職ってきっといくつかあると思います。笑)

外見から自分を変えられる「メイク」は私にとってとても楽しいものでした。

メイクも色の勉強も楽しかったです。

自分が勧めたものを買っていただけるのも

メイク後「ありがとう」と嬉しそうに帰られるのも

とても嬉しかったです。

パーソナルメイクの勉強もとても楽しかったです。

一人ひとりに合ったメイクを追求すること、

とても楽しかったです。


でも私は東京に行ってみたかったので、

「授かり婚」を建前上の目標として、上京することにしました。


初めは美容部員の仕事は続けるつもりでしたが、

勤務条件が希望と合わず、美容部員は一旦辞めて

新しい仕事を見つけることにしました。

「IT系の仕事が向いていると思うな!」



転職活動中の私に、

元プログラマー(現在はカウンセラー)の方に

「さっちゃんはIT系が向いていると思うな!」

とコメントを貰いました。

元プロが言うのだからそうなのでしょう。

とても嬉しかったです。


確かに私はパソコンを使うことは好きでした。


また、そのときすでに「おりぞめのさち」として個人で活動していた中で、

ブログで文章を書いたり、

バナーを作ったり、

フォームを作ったり、

動画を作ったり

というそういうスキルが自分にはあることが

わかっていました。

その全ての作業は確かに時間はかかりましたが、

私はとても好きでした。

ただそれは全て「スマホ」で、

作ったものでした。


私には「実務経験」も「スキル」も

何もない(´;ω;`)


”IT系”の求人、、、、

たしかにたくさん求人はありました。

ただ、全て応募資格が「経験者のみ」でした。


業界に入ったこともない、

マックも使ったこともない、

Illustrator・Photoshop・・・・大学の時先輩のパソコンで少し触ったけどよくわからなかった


そんな何もわからない・何もできない未経験のままの私が

運良く雇ってもらえたとしても

使い物にならないことは明白で、


私は「IT系」も「デザイン系」も、

どちらでの再就職は

早々に諦めて、


もう1つやってみたかった

「OL」になることにしました。

(私はやりたいことがたくさんあるタイプです)


Office系の仕事は初めてでしたが、

未経験OKで雇ってくれる会社がありました。

そのとき導かれるように入社し、もうすぐ1年を迎えます。


右も左もわからなかった私に優しく教えてくれる

そして、入ってみてわかりましたが、

とても休みやすくて暖かくていい会社でした。

(Windowsだったので、仕事はできました。笑)


私は前回までの

先生や美容部員のように

「自分でしかできない仕事」「自分を活かす仕事」

「休みにくい・シフト制」

の仕事から

「誰にでもできる仕事」「定時で帰れる仕事」

へシフトしました。

これは、とても気楽でした。

そして

別に私のデザイン性や個性は全く求められていませんが、

それは先程も書いたように

「醸し出されるもの」ということがわかりました。

私がパワーポイントで作ったマニュアルを見て

「わかりやすい」と言ってくれる人がいたのです。

それを参考に別のマニュアルをつくりました。

「資料作るの速いね」そう言っていただきました。


自分の良さや才能を認めてくれる人が

一人でもいると、

やっぱり嬉しいなぁ、そんなふうに思うのです。

そして、仕事ってそういうのがとても

わかりやすくやりやすい場所だと思うのです。



(そして、これはこっそりと、ひっそりと、ですが、

東京に来ても、楽しくうまくスタートを切れた自分に対して、


どうやら私は、コミュニティや場所が変わっても、

うまくやっていける才能があるようだ✨

そして、どうやら私は、

周囲の「人」に恵まれている星の下に生まれたようだ、

と自分のそういう才能も認めることにしました。笑)


「義務教育を民間から変えていきたい」と言ったえりさんに出会った


コロナで急速に変化した中で、不安はたしかにあったけど、

どうやら来年も東京で暮らしていけそうだ、

と安心し始めた2020年がもうすぐ終わろうとしていた11月、

東京都が主催し、女性経営者の活躍を応援するという

「第3回N E W CONFERENCE」女性経営者等の活躍に向けた会議 ~女性社長が動かす東京の未来~

というイベントの案内が私のもとへ流れてきました。


「東京には、こんなイベントが毎年開催できるくらい

女性経営者の方がいるんだなぁ。

すごいイベントがあるなぁ(さすが東京)」

と感動し、オンラインで無料で参加できるということにも誘われて、

私は

早々に会社に半休を申請し、導かれるように参加申込をしました。


どこか遠い存在だった女性経営者たちの会議の中の

「どうする資金調達」という分科会で

私はSHE株式会社の代表取締役/CEO&CCOのえりさん(@eri_razapii)に出会いました。

三人の登壇者の方々が全員とても素晴らしくて、分科会はあっという間に過ぎました。

分科会のさいごに、ファシリテーターの方が、「最後にそれぞれの夢を教えてください」とおっしゃいました。

そのとき、えりさんが、SHEの事業を幅広く展開していきたい、ということと

「義務教育を民間から変えていきたい」とおっしゃったのです。


その言葉に私は大変共感を覚えました。

「息子が生まれてから”教育”にとても関心を持つようになった。
学校では”みんなと同じ”を求められる、
社会に出ると”個人”の”強み”や”やれること”などが求められる。
そこに大きな”ギャップ”ができる。
そのギャップを埋めていきたい。
義務教育を民間から変えていきたい」
(概要)

学校現場で働いていた私は

学校を学校現場から変えていくのはとても難しいことだと

感じていました。

何年も同じ仕組みや方法がまかり通っているのです。

それは、先生がいくら変えたいと思っても

中からはなかなか変えられないようなシステム(仕組み)になっている

と私は思ったのです。

だから「民間から」「外から」というのは

とてもいいアプローチだと思いました。


そして、約1時間程度の時間を

3人の登壇者と1人のファシリテーターで交互に話す、という

限られた時間ではありましたが、

その分科会の中での発言などから


えりさんの魅力的な人柄や

「なに、この人、すごい!面白い!興味ある!」みたいな

なんか急に惹きつけられる感じ

(私はこの感じ・気持ちをなんという言葉で表現すればいいのわかりません。笑

私の、現存している嗅覚、みたいなもの、だと思います。)

を感じて、


どうやら「SHE」は

「ただのスキルを学ぶだけのスクール」ではなさそうだ、

と急に立体的に感じたのです。


早急にシーライクスを検索して、

無料体験レッスンがあることがわかりました。

早速、ウェブデザイナーとライターの

無料体験レッスンを申し込みました。

(その間、6日間!すごい!我ながら決めたときのスピード感が速い!!)


ただ、私はその時は入会しませんでした。

一番のネックは

「お金」でした。


続く。






長い。

私の文章長い。

書ける私もすごいけど

読めるあなたもすごい✨🕊✨

ありがとうございます♪

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