クソ客誕生秘話

小学生の頃、生活という科目で「消費者」という概念を教わった。
先生曰く、食べ物や工業製品をはじめ、サービスを金銭と引き換えに享受する主体を「消費者」というらしい。
現代社会においては全員が消費者であり云々、そうか周りの物には全て作り手がいるんだと子どもながらに思った。

そんな僕達誰もが消費者である一方、SNSの投稿やら日常会話で、今日の客はクソだったという声を頻繁に耳にする。
実際接客業のご経験がある方は共感頂けるかと思うが、だいたいどんな職場にも何割かのクソ客が訪れる。

僕自信も飲食と販売のアルバイト経験があり、
バイト中に「こいつこんなんでよく社会生活送れてんな。マジでなんの仕事してんだ??」
と思うことが多々あった。

人の話を聞かない。自己中心的な要求をする。言ってることが支離滅裂…etc
ケースを思い返せば枚挙に暇がない。

反対に、機材の搬入・設営やライン作業系のアルバイトをした時には、(接客業側から見れば)こういう奴がクソ客になっているんだろうな…と思うような人間を見かけることもあった。
むしろ肉体労働側から見れば、ゴミを片付けずに去っていくウェイ系の観客やモラルのない言動をする人間こそがクソ客と感じることが多かった。

また僕も、日常生活のどこかで自分自身がクソ客になっているという可能性を否定できない。
誰もが消費者である以上、どこかで誰かのクソ客になっている可能性は非常に高いのである。

話は少し逸れるが、僕が中学生の頃には職業体験というものがあった。
(多分全国的にも割とやっている?)
内容は希望やくじ引きで地域の様々な業種に分かれて、お仕事を体験させて頂くというものだ。
業種は広く、市役所からパチンコ屋まであり、皆それぞれの体験場所で頑張っていた。
ちなみに僕はコンビニに配属されたが、品出しからレジ、ポップ作りなどなど、コンビニ店員の業務の広さに驚いた。

僕も友達も体験後に口を揃えたのは、働くのって大変だなあ…ということ。
(大人になりたくないな、とも思った)
体験からしばらくの間、僕達は働く大人に敬意を持っていたし、少なくともクソ客度は引かったと思う。

そんな子ども達は、いつクソ客になってしまうのか。今回はそんな事を考えてみたい。
ストレス社会での捌け口であるとか、コミュニケーションが希薄な社会での寂しさであるとか理由は多く挙げられるけれど、
僕は「専門外への無関心」が大きな原因でないかと考えている。

働く必要すらない資産家や年金生活者を除いて、無産階級の庶民は労働によって生活を成り立たせている。
会社に勤めたり、自営をしたりしてカネを貰い、そのカネをもって生活に必要な他者の労働成果と交換しているのだ。

現代社会で、本当の意味で自給自足を行うことは殆ど不可能に近い。
自給自足に近いと言われる農家の人だって、他人が作った携帯電話と通信サービス網を利用しているし、他人が作ったランドセルで子どもが学校へ通っている。
代わりにその農家が作った米や野菜は、自分で食料を生産しないオフィスワーカーの腹を膨らませることになる。
すなわち、現代社会では高度な分業が進んでいるのである。

社会の構成員全員が食料を自前で生産した上でそれぞれの仕事を行うより、「食料を生産する職業」に任せて自分は専門の仕事に従事した方が全体のアウトプットは高くなる。
分業が進んだ社会において、家庭料理は外食・中食に置き換わり、育児も乳児保育によって代替できる。
掃除もハウスキーパーを呼べばいいし、買い物も宅配スーパーで回数は減らせる。

自分で行うのが当たり前な「身の回りのこと」という名の聖域はますます縮小し、「高度なIT知識を有しているが、一方でボタン付け一つ自分ではできない」というようなピーキーな能力を持つ人間が増えてくる。

これは別に悪いことでもないし、高度な専門家集団に支えられる社会への個々人の順応であるとも言える。
時間は限られているので、何かを極めようと思えば他がなおざりになるのは自然の摂理といえよう。

だがこの専門家集団には弊害がある。
僕たちが毎日、まるで身体の一部であるかのように使っているスマホも、どういう原理で動いているのかを明確に説明できる人は少ない。
静電気でタッチパネルが反応することや、5Gの中身なんてのはスマホを作る専門家さえ理解
出来ていれば問題ないからだ。

よく分からないが便利なものを使うことが当たり前になり、よく分からない人に支えられて生きるのが普通になる。
例えば銀行の窓口は3時で閉まるが、僕達は銀行員が3時から何をしているかよく知らない。
理由は明白で、見えないからだ。
となると今度は「あいつらは3時過ぎてからサボっている」と思うようになってしまう。

これを言っている人の中では(俺は仕事で色々なスキルを要求されたり勉強する必要があるのに)あいつらはズルい、のである。

当たり前だが、人の努力は見ることが出来ない。
定期試験前に全然勉強してないわ〜とヘラヘラしていう奴は大体ちゃんとやっている。

纏めるとクソ客は、高度に各職業が専門化した結果、自分以外の仕事がブラックボックスとなり、要求水準と提供水準に乖離が生じた結果発生する。
これは一定不可避であり、解消するには各人の自戒か大人の他職業体験でもするしかない。

従ってクソ客に遭遇した際は、
「こいつは僕の苦労の1割も知らない阿呆だからトンチンカンなことをいってるんだなあ」と思えばいいのである。
ただし代わりに、
「僕自身も他の仕事の辛さを1ミリもわかってない阿呆である」と言うことも自覚すべきである。

全国の皆様、今日もお仕事お疲れ様です。

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