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鬼滅の刃についての一考察 1

〜上弦の肆 半天狗から考えた人間の防衛機制〜

「鬼滅の刃」の一ファンです。
読むたびに様々な示唆を得られると感じています。
私が「鬼滅の刃」から感じたこと、考えたことを気ままに書いてみたいと思います。
※ご注意ください
1.あくまでも個人的見解であること
2.ネタバレになる可能性があること
以上2点を予めご了承ください。

今回は十二鬼月の中の「上弦の肆 半天狗」から考えた人間の防衛機制について考察してみたいと思います。

●防衛機制とは?

そもそも「防衛機制」とはなんでしょうか?
人が受け入れがたい出来事に遭遇した時、不安や葛藤などから自分を守ろうとして働く心の機能のことです。
ですので、出来事をありのままではなく、自分の都合の良いように解釈し捉えてしまいます。
防衛機制にはいくつか種類がありますので、ぜひ調べて見てください。
自分に当てはめると、案外無意識に防衛機制が働いていることに気づくかもしれません。
防衛機制は自分の心を守る機能でもあるので、私はそれ自体悪いと思っていません。
自分の防衛機制に気づいた時、何を守りたかったのか考えてみると、自分の大切にしている価値感などに気づけるかもしれません。

●半天狗の舌に記された漢字

半天狗は「十二鬼月」の中でも「上弦の肆」、つまり4番目に強い鬼です。
相当強い鬼なのですが、半天狗本体はとても小さくていつも逃げ隠れしているだけで一切戦いません。
この半天狗は舌に漢字一文字が記されているのですが、最初に本体から分裂した鬼(分身?)は「喜」「怒」「哀」「楽」が舌に記された4人の鬼が出てきました。
戦いの形勢が悪くなると今度は一つに合体し「憎」という漢字が舌に記された5番目の鬼となります。
この「憎」は、鬼殺隊のことを「弱いもの(半天狗本体)をいじめる悪鬼め!」とあたかも鬼殺隊が悪者のように、めちゃくちゃなことを言い攻撃してきます。
「憎」と鬼殺隊が戦っている間に本体の半天狗はさらに逃げ、本体のダミーの「恨」の胃の中に隠れます。
そして最終的に半天狗本体の舌には「怯」という漢字が記されています。

●防衛規制の源は「怯」なのではないか?

この「怯」という漢字を見た時に、「なるほどなぁ〜!!!」と妙に納得してしまいました。
前述のように「防衛規制」とは「受け入れがたいことに遭遇した時に、不安や葛藤などから自分を守ろうとして働く心の機能」です。
不安や葛藤は受け入れがたいことに対して恐れること、つまり「怯え」から生まれるもののように思いました。
半天狗は、かつて人間だった頃、盗みや殺人など悪いことをしつくしていましたが、「盗むこの手が悪い」など全て誰か(何か)のせいにして逃げていました。
盗みや殺人を「自分がやっている」という事実は半天狗にとっては受け入れがたいことであり、目を背けています。
悪事を働く自分は観たくない自分であり、そのような自分を受け入れることに「怯える」からこそ、誰かのせいにしてずっと逃げていた、ということなのではないかと思います。

●「受け入れがたいこと」の背景に「自分が本当はどうありたいか」がある

「防衛規制」は「自分の心を守る」ための機能です。
ですが、半天狗のように「怯え」て目を背け続けていると「怯え」の感情は「怒り」や「憎しみ」という強い感情を生み、他者を攻撃し寄せつけず「孤立」「孤独」を招くことになります。
半天狗は受け入れがたい自分を見つめる事なく鬼になりましたが、もし自己を見つめ悪事を働く心の弱い自分がいることを自分自身が認めていたら、本当は「心正しく生きたい」と願う自分に気づいていたかもしれません。

●まとめ

人は誰もが何かに怯え、それを見ないようにして心の安定をはかろうとします。
そうやって自分を守ることも大切ですが、それだけをやっていても成長につながらず、他者とのつながりをを断ち孤独に陥ってしまうのかもしれません。
「鬼滅の刃」をこんな視点で読んでみるのも楽しいですね。

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