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今後、先生の役割はどうなっていくのか。

中学・高校・大学の授業で何を学んだのか、ほんとうに覚えていない。

今自分が高校で教えている公民なんてその代表みたいなもので、最近ようやくそれを教えていた先生の顔がうっすら浮かび、ただ教科書を読まされて睡眠薬のようだったことを思い出したくらい。

他の授業も先生の顔はかろうじて数名浮かぶけど、内容は皆無と言っていいほど覚えていない。

一応高校ではテストで95点〜100点しか取らないくらい、ノートと教科書を丸暗記する努力をしていたので、みんなよりも先生が教えてくれたであろうことは頭の中に叩き込んだはず。

でも、何も覚えていない。

リスニング問題をラジカセから聞かなくても書けるくらい英語の文章を覚えたのに。
数学の問題も、もはや文系に思えたくらいなのに。

一方で、高校の陸上で学んだことは数知れず。

陸上に関する知識とか技とか練習方法とかはいまだに身体に刷り込まれていて、あの先生が何を教えてくれたとか、ありがたい声かけとかも、表情と言葉がそのまんま出るくらい覚えてる。

大学でも授業外での学内外で出会った同年代や世代を超えた方々との4年間の記憶しかない。
授業で覚えているのは、、金融論で「損しない株の買い方」くらいかな。(分散しろっていうことだけw)

教員免許取得のための授業では、アンチ牛乳派の過激な先生がいて、毎回授業で「牛乳の悪」について叩き込まれたことだけは覚えている。

こういう経験してる人って少なくないんじゃないかな。自分が30代に突入してかなり感じているけれど、10〜20代のとっても貴重な若き人生の真っ只中で今のスタイルの授業で1日何時間も使って良いんだろうか。

教科書があるのになんで先生がいるんだろう?
先生がいるのになんで教科書があるんだろう?

という疑問。

数学から見る人生論。
英語からみる人生論。
理科から読み解く愛。
国語から読み解く愛。
社会から学ぶ友情。
体育から学ぶ友情。

もうさ、

先生たち自身が人生に必要だと思ったことを語ってそれを一緒に深めて、生徒の疑問に向き合って自身も探究するくらいでいいんでない?って感じ。

学校から教科書を無くしてしまったらいいのに〜。

そうすると今の日本で選ばれるのは大学のネーム(偏差値主義)ではなくなって、「あの先生のゼミに入りたい!」もしくは、その探究心を大切にしてくれる素敵な会社でしょう。
もしくは自らコトを成すことかな。

で、やっぱりその学校に集った数十名〜数百名と仲良くしないといけないみたいなのももったいなくて、
もっと自由に行き来できたらいいし、中高の先生もゼミ化出来たらいいよね。

そしたら教員免許持ってるかなんて、重要ではなくなって、
共感と応援みたいな存在が学校に必要になってくるのかな。

教員は教科を教えるヒトではなくて
相槌と共感、応援というスキルを持った人で構成された、あたたかな場になってほしいな〜。

今の学校教育の仕組み的に先生たちのそれが発揮しにくいだけであって、今からでもこのマインドで学校経営は進められると思う。

これが2024年の学校に関わる目標になるかなぁ。

という、

ハリーポッターと成田修造さんのコメントをダブルで見て感じた正月ボケが治らない長いボヤきなのでした。



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