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おりおりいっぴつ #047(待つって、苦しい)

あなたをここで

ずっと待っています


待っている存在がいるだけで、人は強くなれます。相当きついことでも耐え抜けます。なぜなら、待っている辛さの方が、しんどいことを知っているから。

でも、待つって、苦しい。

だって、自分には何もできないんだもん。どうやってその人の役に立とうとしても、前線で戦う人の代わりにはなれませんし、その苦しみを共有することもできない。想像するしかないんです。そこが本当に苦しい。

待つことに慣れている人でも、相手の状況がどうなっているかわからない状態で待つのはしんどいです。少しくらいは今どうなっているのかを連絡して欲しいと思うのが人情です。

しかし、待たせている方は、そこまで気が回りません。必死にことに当たり、自分の命のギリギリのところで踏ん張っていたりするのです。でも、そんな中でも待っている人の顔がチラチラと脳裏に宿るもんだから、どんどこパワーが出てきてますます発奮していく仕組みです。

やり遂げ、目標を達成して、あるいは諦めて、凱旋する気持ちで、もしくは絶望で帰っていくと、待つことに疲れ果てた人がいて、待たせた人は凱旋よりも、絶望よりも、まずは疲弊した人に寄り添うことから始めます。待つ方の気持ちを汲むことができないと、次に進んではいけないと思うのです。

「子育ては、待つことなんだよ」

と言った母は、相当心の強い人であったと改めて尊敬します。

僕は小さい頃から、飛んでいったら帰ってくるかどうかもわからない冒険者? だったので、よく行方不明(迷子)になりました。まさかの知らないおばちゃんの手を握って歩いて周っているところを両親に発見されたこともあります。

今ならわかります。母が言った、「子育ては待つこと」の意味。

子どもの失敗を見たり、悔し涙を見たり、傷つく姿を見たい親なんていませんよね。だからなるべく危険を回避できるような選択を促したり、答えを告げてそこへ向かわせて安全を見守ったり、わざわざ傷つくような場所へなんか、行かせませんし、許しません。

母は、僕が遊んで傷だらけで帰ってくることが、さも面白いことのように振る舞ってくれて、いつも、

「よかったね。面白かったね。また勉強になったね。次はもっとうまくできるね」

と声をかけてくれました。母がそんな僕を見て、本当は心配で心配で仕方がなかったなんて、僕自身は露とも思わなかったわけです。人に騙されても、大きな怪我や病気をしても、バイクで長旅に出ていた時も母はいつもと同じでした。

しかし、父から聞いた話で母がどれだけ僕のことで心を痛めていたかがわかった事件がありました。

それは、僕が大きな決断を迫られていた時で、人生を左右する別れがあり、自分が死んで詫びるしかないなと思っていた時です。それを電話で告げた時、母は言いました。

「お兄ちゃんが決めなさい。あなたが決めたことなら、私は全部受け入れます」

でした。

絶望の淵って、こんなにすぐ近くにあったんだ。と思いながら当時住んでいた場所の近くの海岸線を一人歩いていた時、滋賀にいた弟が、大阪まで探しにきてくれて、トボトボ歩いていた僕を偶然見つけてくれました。

僕は命を捨てずに、福井に戻りました。

取り返しのつかないことをしてしまった自分を責め、責め、責め続けて僕は憔悴しきっておりましたが、弟は全力で励ましてくれました。

実家に帰ると、母は、

「おかえり。少しゆっくりしなさい」

と言ったまま、寝室に戻ってしまいます。

様子がおかしい母のことを父に聞くと、一瞬、迷いの顔になりました。父は僕のためにお茶を淹れてくれ、テーブルに座り、昨日の母の様子を訥々と僕に伝えてくれました。

「実は昨日、お母さんが眠れなくてね。寝ついても夢にお前が出てきたんだって。お母さんは夢の中でお前の名を呼んで、きゃあああああああって叫んで。何度も何度も叫んで起きるんだよ。お前が死んでしまう夢を見ながら、お前の苦しみを自分に全部欲しいって言って。このことは絶対、幸一には言わないようにって言われたけど、俺も辛くてさ・・・」

父はそう言って涙を拭いました。僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになったのと、母が僕にそのことを言うなと言った意味もわかり、声を殺して泣きました。

母は、僕の性格をよく知っています。母の状態を知ったら母の心配をしてしまい、自分の考えを無くしてしまうのではないかと不安に思ったと思うのです。

「お兄ちゃん。気をつけないといけないことはね、あなたは、困ってる人がそばにいると、それを見過ごせないでしょう? あまりそれをやってしまうと、あなたが困っちゃうからね。あまり頑張りすぎると誤解もされるから、そこはちょっと気をつけないとね」

と言われていたので、そこを心配して、自分のことを言わないようにと釘を刺したのだと思います。しかし父は、母の絶叫があまりにも辛かったみたいで僕に全部それを伝えてくれたようです。

僕は、自分を責めていた僕以上に、母が自分を責めていたのだと知りました。母として、僕を人間として信じ、自分で決めることを促し、本当に死んでしまったらどうしよう、と心の中でずっと苦しみ続けたのです。

僕は、母の姿をみて、これ以上悲しませたらだめだ。と思い、心が決まりました。

自分がしたことへの贖罪や、誤解の中の真実を伝えることや、心からの謝罪をすること。

そのおかげで、今の僕がいます。しかし、いまだに贖罪は終わっていません。僕が生きる意味は、待っている人が幸せになるために、自分ができることを精一杯やることだと思っております。

さあ、今日も全力で、動きます。

あなたに、今日も幸あれ。


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僕はここで待っています。

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