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おりおりいっぴつ #041(あなたは星の光です)

生駒より

眺める光は銀河やね


旅をしていると、無性に夜景が恋しくなる時があります。

たとえば夜、街で食事をしている時、

「ああ今、この風景って、空から見るとどう見えてるんだろう?」

って思う時があるんです。

僕は、夜景とは人々が生きている証だと思っています。辛いながらも、明日への希望を失いかけている人でも、光の中で暮らしています。ご飯を食べて、生きています。その証明の照明が、この夜景だと思うのです。(あ、うまいこと言えてしまった?)

僕たちの住む地球は、銀河系の中のほんの小さな、ひとつの星に過ぎません。この夜景の中にある一粒の光にフォーカスしてみれば、そこに照らし出される家庭のひとつひとつが、それぞれの星であり、それは地球そのものだと思います。その星々が、肩を寄せ合い、温め合い、励ましあいながら、皆でこの世を生きています。

もし、夜景を見て「寂しい。なんか辛い」と思った方、このブログを最初から読んでみてください。

寂しくならないなにか、が見えてくると思います。

少し間抜けなフーテン大アホ野郎の男(僕)が、どうやってこの世を生きてきたか、どんな考え方で自分自身を救ってきたか、誰に支えられてここに存在しているかがよくわかります。

さて、夜景について語られている映画の中で、僕のイチオシがあります。

昭和48年8月に公開された「男はつらいよ第11作 寅次郎のわすれな草」という日本映画です。

僕はこのシリーズが大好きで、大人になってから50作全てを通しで観ました。この11作の中で、特に好きなシーンがあります。寅さんの一人語りのシーンなのですが、こんなセリフです。

見知らぬ土地を旅してる間にゃ、そりゃ人には言えねえ苦労もあるよ。

例えば夜汽車の中、少しばかりの客はみんな寝てしまって、なぜか俺ひとりだけいつまでたっても寝られねえ。

真っ暗な窓ガラスにホッペタくっつけて、じーっと外を見ているとね。

遠く灯りがポツン、ポツン。

ああ、あんなところにも人が暮らしているか。

汽車の汽笛がボーッ、ピーッ。

そんな時、そんな時よ。

ただもうわけもなく悲しくなって、涙ぽろぽろぽろぽろこぼれてきやがるのよ。 

引用:男はつらいよ第11作「寅次郎のわすれな草」より

このシーン、何度見ても僕は泣けます。

寅さんの旅路を思いながら、自分に重ねることができるからでしょうね。それと、僕が幼い頃、父もきっとこの映画を見たのでしょう。寅さんのセリフに父が言葉を重ねて言ってくれたことがあったのです。

僕が小学校6年生のとき。父と僕との二人旅で、北に向かう夜行列車。街の光を眺めながら、

「幸一。よく見ておきなさい。もうずいぶん遠くまできたけど、ほら。あそこにも、あそこにも光があるだろう? ほら、あそこも誰かが住んでるってこと。誰かが、生活してるってこと。どんなことを考えて、何をしてるかわからないけど、みんな精一杯生きて、俺たちの知らない場所で、しっかり生きてる。お前も、大きくなったら、どこか知らない街に住むかもしれないけど、どこに行ったって、生きていかなきゃいけない。そこがたとえ、しんどい場所だったとしても、生活していかきゃいけない。だから覚えときなさい。この日本は広い。広いけど狭い。窮屈なルールの中で、みんな必死に生きている。お前も、なんとしてでも生きなさい。光をともして、生きなさい。でも決して、自分の光は消さないように」

今思えば、深いです。父は、子どもの僕に対して、わかりやすい言葉で言ってくれていたので、幼いなりに理解できていましたが、今、思い返すと、辛いことがあっても自分の光だけは消すなよと伝えてくれていたことがわかります。

銀河の星の中の一つだとしても、遠くからでも見てくれている人はいます。例えば、僕の光を「おお、輝いてるなあ」と思ってくれている人がいます。本人はそれに気づかなくてもです。コメントを読んでそう思います。ありがとうございます。いつも本当に励まされています。

自分はひとりじゃないということを、このnoteのコメント欄で何度も確認しています。反対に、僕からも皆様に言いたい。

大丈夫です。あなたもひとりではありませんし、決してひとりにはさせません。

おりられオジさんの星の光は消えませんので、ゆるゆると見ておいてくださいね。

そしていつかまた、会いましょう。

あなたに、今日も幸あれ。


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