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「貨幣の信用」と「貨幣の価値」5   ―金本位の「貨幣の信用」は脆弱―

前回は「金本位制」由来の「貨幣の信用」は「信用を保つためのに行われる『交換』が停止される」と、簡単に崩壊する、ということを説明しました。

さて?何を「交換」しているのでしょうか?

実はこれが

「貨幣の価値」の交換

です。

つまり、金本位制由来の「貨幣の信用」は「貨幣の価値」この場合 金と交換されなくなると崩壊するわけです。

貨幣とは「貨幣の信用>貨幣の価値」でなければならない、と私は一貫して述べていたのですが、
金本位制の場合は
「貨幣の信用<貨幣の価値」
という不等号になってしまうのです。
「貨幣の価値・金>貨幣の信用>貨幣の価値」という表現もできますね。)

これは
「政府が『例えどんな状態になっても必ず貨幣を金という<価値>あるものと交換する』という鉄の掟」により、「貨幣の信用」が保たれるわけです。

とすると、不思議ではありませんか?

今の日本は金本位ではありません。
金との交換が停止されているにもかかわらず、しかし、誰しもが「円」という貨幣に金と交換した時のような「貨幣の信用」があり、その「価値を信用している」わけです。

ビットコインや、通貨スワップはまだ理解できます。
ビットコインが「円という価値ある物との交換が停止」されれば信用は無くなり価値は暴落するでしょう。
韓国ウォンも中国やアメリカが通貨スワップを反故にすれば、「価値ある物との交換が停止」しますので、信用がなくなり価値は暴落するでしょう。

しかし、日本円や米ドルという特定の貨幣は、「価値あるものとの交換が停止されて」も価値を暴落させることはなかったわけです。

「誰しもがその価値を信じたのです」

なぜ、日本円は金本位制でなくとも、金との取引が無くても「貨幣の信用」を保てたのでしょうか?

現在、一般的にこれは「租税貨幣論」という理論で説明されています。

しかし、私は租税貨幣論で示される「貨幣の信用」は「不完全なのではないか?」という独自見解を持っております。

次回からはその独自見解を、皆さんに少しずつお話してゆければ良い、と思っております。

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