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よふかし

すっかり日が暮れて暗くなり、年季が入った街灯がぼんやりと小道を照らしている。
辺りを見渡せば、大小さまざまな草木が自分を取り囲んでいて、さながら絵本に出てくる魔法の森のような雰囲気を醸し出している。

教室を出るのが遅かったからか、周りに人影は少なく、
僕は、自然と足早に正門へと歩いていた。

正門には父が迎えに来ていた。父は昔から多くを語らない。正直何を考えているか分からない。宿泊しているホテルまで歩いて帰る間、無言の時間も多かったが、気まずいと思うどころか、むしろ言葉にはならない暖かさを感じていた。

今日で大学受験が終わった。でもこの時点で悟っている、確実に落ちた。はるばる東京まで来たのに落ちた気しかしない。
でももうしょうがない、第二志望の大学に行こう。きっと明るい未来が待っている。

ホテルに着いてからは何故かずっと落ち着かなかった。落ちたことを悟ったショックよりも、受験から解放される嬉しさの方が大きかった。明日から勉強という自分を縛るものが存在しなくなるのだ。

思えば、高校の3年間は部活勉強とずっと縛られていた。やっと自由の身になれるのだ。今なら独立宣言をしたアメリカの気持ちが分かる気がする。

その日は、未来への期待が自分では抑えきれないほど膨らんで、興奮して寝付けなかった。何度も寝返りも打っている中、ふと思い立って部屋の窓を開け、夜の風景に身を預けた。

初めて見る東京の夜の風景は、希望で満ちあふれていた。


✳︎


気がついたら夜の闇が広がっていた。ずっと部屋にいたから時間経過の感覚が乏しくなっている。
すっかり心の拠り所になっているこの部屋の欠点を挙げるとすれば、風通しが悪いという点だろう。
いつのまにか空気が閉塞感を纏っている。

ずっと付けっぱなしにしているラジオからは、思わず笑ってしまうような、一見すると馬鹿馬鹿しい会話が流れてくる。むしろ馬鹿馬鹿しい会話だから良い。深夜に眠れずに起きていることを何も言わずに受け入れてくれているような感覚がある。
1人暮らしをしているので、夜中に起きていても注意してくるような親もいない。気づけばオールナイトの居場所になっていた。

近頃、自分のたりなさが目につく。世間で言う一般的な大学生のような生活を送れているとは到底思えない。
内省で浮かび上がった問題を解決するための積極性、行動力もたりなければ、人の輪を広げる社交性もたりない。

そういう自らのたりなさを、優しく許容してくれる深夜のラジオで誤魔化してきたのだが、そんな生活をいつまでも続けているわけにはいかない。たりないなりにも努力しなければいけないし、そろそろ大人にならなければいけない。そんなことを考えていた。

その日は、漠然とした何かが自分の中で膨らんでいて、そのまま明日になるのが怖くてまぶたを閉じることができなかった。おもむろに重たい体を起こし、部屋の窓を開け、夜の風景に身を預けた。

見慣れたベランダからの風景で、自由と責任を感じた。




星野源さんのエッセイ「いのちの車窓から」の“夜明け”を読んで、記憶の底から浮かんできた風景たちです。

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