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彼の人生、私の人生

「私たちは親子だけれど、別の人間。お互い自分の人生を生きようね。だからあなたはママの人生を歩む必要がないしママもあなたの人生を歩まない。もちろん20歳になるまでは、あなたを全力で支える。でもそこからは家を出て、あなたの人生を生きてね。そのために、君だからできることを今から一緒に探していこう。」

歩き出した妹を見て驚きを隠せないでいる彼に、私はそう伝えた。

重度身体障害のある彼。

器用に話すことも、歩くことも、座ることも、食事も、入浴も。一人では何一つできない彼。


「家族の中で、自分だけが歩けない」

彼が初めて自分の障害に真正面から向き合ったのは、生後9ヶ月の妹がつかまり立ちをした、彼が小学四年生の冬だった。


なぜ妹は歩けて、自分は歩けないのか。

絶対に嘘はつきたくない。だから伝えた。

そうやな。この家族で歩かれへんのは君だけや。けど、義足ってわかる?それもその人なりの「歩く」やろ?じゃあ君の「歩く」って何なん?車椅子やろ?確かに義足で歩く人も車椅子で歩く人も、自分の足で歩く人たちより少ないかも知れん。でも、少なかったらあかんのか?多いから良いんか?関係ないやん、そんなん。でもな、ママはこう思うねん。

人と違うからこそできることがあるんちゃうかって。


当時の彼には、きっとピンとこなかったはず。でもその後も何度も繰り返し彼に伝え続けた。

私は彼を一生守ってあげられない。

だから、少しでも早く彼には自分の人生を感じ、自分の足で生きてほしい。

障害を言い訳にして生きるのではなく、障害をも含めた自分の可能性を信じ、自分を愛せる人になって欲しい。そう願いを込めて。

彼とこんなこともよく話した。

・沢山の人と出会い、自分の価値観を広げる。

・一人の人として魅力的な人間になる。

・自分の可能性を自分で見つけられる人になる。

・どんな環境にあってもその中から自分で光を見つけられる人になる。

・同情やいたわりではなくwinwinの関係性で人と繋がれる人になる。


そして彼は20歳になった。

真っ直ぐに話せない自分を「話せないから伝えられることがある」そう言って今大学講師として自分を輝かせる生き方を手探りで見つけ出した彼。

もちろんこれからどんな人生を歩むのか、私には分からない。

でも私は彼を一人の人として心から尊敬している。

私たちはいつも少し離れた所からお互いを見ていた。

それは今も昔も変わらない。


彼の人生
私の人生

これからも少し離れた場所から、これからはお互いに応援しあえる関係でありたい。

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