"気になる"に、手を伸ばし続けてゆく
小学1年になったばかりの我が子は、毎朝近所のお兄ちゃんお姉ちゃんたちと一緒に登校班で通学する。私は運動も兼ねてときどき小学校までついてゆく。今朝、「算数が得意!」と話す女の子の横で、「ぼく、得意なことがない」と聞こえないくらいの小さな声で男の子が呟いた。何か気の利いた返しをすぐにできればよかったけれど、私もそういうのが得意ではないので、小学生の歩幅に合わせて歩きながら、「得意」ってなんだろうな、なんて考える。
学校の教科に合わせて「得意」を見つけられるのは、一握りなのかもしれない。そしてその「得意」でさえ、「好き」に分類されるだけで、他人と "出来具合" を比べ始めると「得意ではないかも…」と落ち込んでしまうかもしれない(なので、他人と比べないのが一番だ)。
「どうしてゲストハウスを始めたんですか?」とよく聞かれる。「英語が得意だったんですか」とも。学生時代、胸を張って「得意だ」と言えることは私にもなかったように思う。それでも、英語、英語を使ってのコミュニケーションはなんだか "気になる" ことのひとつではあった。そのほかにも、長距離の移動をすること、寝床が変わること、妄想すること、本を読むこと、何かを書くこと、見たことがない景色を見ること、知らないひとと話してみること、バイト先に入ってきて緊張している新人くんのこと、そういった "気になる" という気持ちの方へ少しづつ手を伸ばし続けていった結果、ゲストハウスを初めていたんだと思う。
小学生の彼にも手を伸ばしてみたくなることが、この先きっとたくさんでてくると思う。手を伸ばしてもいいんだよ、という社会のなかで子供たちが育っていきますように。
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