ゲストハウスを開業した同業者たちのヒストリーを聞くと、大抵のひとが物件探しに難航したり、妥協をしたりしている。私も、多少の難航はあった。
物件を探していた13年前、「ゲストハウスを開業したい」というと不動産屋さんや大家さんにいつも難色を示された。当時は今ほどゲストハウスという業態が一般的ではなかったころ。"不特定多数の人の出入りがあるし、外国人も多い。しかも他所者の訳のわからないひとに貸すよりも、一般住宅として貸す方が、安心" 。そりゃそうでしょう。そんななか、「なんだか面白そうじゃない。改修も好きにやっていいよ」と言い、家賃も当初より4万円も下げてくれたおじいちゃんがいた。その方こそ、1166バックパッカーズの物件の大家さんだ。
大家さんはこの建物で生まれたと言っていた。築年数の詳しい記録が残っていなかったこの物件を、不動産屋さんは「築60年くらいね」と言ったが、大家さんは「何言ってんだ、おれはここで生まれたぞ」と一蹴(その頃で大家さんは70代前半だった)。大家さんのこの言葉で、建物は少なくとも大家さんよりも年上だということがわかった。
大家さんは、天井を落としても壁を抜いてもいいが、「風呂釜だけは壊さないでくれ」と言った。私が借りる直前に工事をしてわざわざ新しく入れたらしい。私のことを、商売がうまくいかなきゃすぐに出ていくと思ったのか。それにしては天井も壁も好きにしていいと言ってくれたけれど。
風呂釜以外は「何してもいいさ〜」と言ってくれた大家さんだったが、私はその頃よく夢を見た。天井を落とすとき、壁をぶち抜くとき、その都度大家さんに怒られる夢だ。夢から覚めたとき、それが夢であったことに安堵した。
全国区で、ブラタモリやら紅白やらオリンピックやらで活躍し、いまや超有名なアナウンサー桑子ちゃんは長野放送局スタートだが、初の生放送は1166バックパッカーズから放送している。NHKらしく何度もリハーサルがあったんだけれど、一緒に出演してくれた大家さんは、リハーサルでは1度も噛まなかったのに、本番で私の名前を堂々と言い間違った(笑)。終わったあと、「緊張するな〜!」と照れ笑いしていたのを思いだす。大家さんはそれからも、ときどき車で宿の前につけては、「どうだい、順調かい?」「屋根塗り直さなきゃなぁ」「あれ、おれ一度も家賃あげてねえよなぁ…」なんて様子を見に来てくれていた。
そんな大家さんが、先日他界された。息子さんご夫婦がしらせにきてくださったけれど、そういうときの正しい大人の対応を未だに得ていないので、ぽかんとして、お悔やみの言葉さえきちんと伝えられなかった。ひとはいつまでも生き続けないのは理解しているし、それは仕方のないことなんだと思う。でも、調子を崩されてからは全然お会いできていなかったのもあり、私が知っているのはやはり元気で、優しく、ときにちょっとだけ怖い、そんな感じの大家さんだ。大家さんが生まれ育った家のバトンを受け取った身として、私はできるところまでここを借り続けて、建物が活躍してゆける場を繋いてゆきたいなぁ、なんて思う。
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