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想像と現実

2年前、私は社会人1年目だった。

社会人1年目とは何だろう。会社に属している人が社会人なのだろうか、どこにも属さず、家にいる人も社会人1年目と呼ばれるのだろうか。


書き始めてから持つこの疑問を解決しようともせず、2年前の私へメッセージを送ろうと思う。


「想像は現実にならないぞ」と。

食品業界に内定が決まり、営業職として働き出した私は、「出世したい!売れる商品を作りたい!」と心を躍らせていた。

しかし、実際に待ち受けているのは創造主では無く模倣者だった。



入社式が終わり、数日間休息を挟むと労働者としての日常が始まる。

始めの3ヶ月は食品工場での研修という名の模倣。

主な流れは、決められた生産ラインに入りパートのおばちゃんの動きを模倣、模倣、模倣。

そして、疑問があれば社員やおばちゃんに聞き解決しようとする。昼休憩をとり午後の模倣作業が終われば会社の用意した住居に帰っていく。そこで待ち受けているのは1日を振り返るPDCAという馴染みの無いアルファベットだった。

毎日この繰り返しで3ヶ月の研修を行っていた。

元々は、食が好きだからなどの単純な理由だけで食品業界を志望していたので、研修に楽しさを見出す事は出来なかった。



労働力としての3ヶ月を終え。

私は、晴れて営業職の仲間入りだ。

営業か開発で部門を迷っていたが、以下の理由で営業を希望した。

1:営業職もお客さんと話をして、開発と共に商品開発に携われる。

2:会社の外に出て、様々な土地へ行ける。

3:会話する力がつく。

この3つの理由は社会人1年目の私が思っていた想像でしか無い。


営業になっても初めは研修だった。事務作業、電話対応、片付け、先輩社員の手伝い等。営業になったら必要と言われる一方で私は体験してない営業の仕事を想像できずに研修の時間だけが過ぎていった。

勿論、そんな状態を楽しむ余裕も無く。いつもの様に「一番搾り」を1缶買いグラスに注ぎ飲んでいく。(無論、私はラガービールの中では「一番搾り」が一番好きだ。)


一通り研修が終わり、営業の仲間入りした後は先輩社員の同行だった。先輩社員が何を準備し、何を話すのか、顧客がどんな会社なのか。事前に調べ、初めて出てくる単語に対応していく必要があった。そこでも私はまだ自分が営業で働く事を想像できずにいた。


勿論、先輩社員も忙しく。事細かに説明してくれるわけでは無い。自分で調べて、考察し、確認として質問する。私は新人として、自主的に学ぶ姿勢が求められていたのだ。




結果として、営業の1人立ちには一年を要したのだ。

なので、私の1年目は学びの1年であり、会社に貢献したのかどうかは定かでは無い。ただ、分かることは自分を知ること。どんな時でも自分が何を感じるのか言葉で説明出来るくらい感情の動きを知らなくては、1年先の未来を想像しても、現実は違うだろう。そして、会社、社会を知らなくては想像出来ない出来事が降りかかってくるだろう。





もし、私が自分を知り、感情の動くモノを見つけられたのならば社会人1年目の働きも未来への想像も変わっていただろう。そして現在も。



営業として1人立ちした私は、先輩から運良く伸びる予定のある得意先を引き継ぎ新人の中でも、誰よりも早く予算を達成出来た。


能力があるものは安定して、実績を出せるが、運だけだといつかは衰退していくだろう。

私は完全に運が良かった。もし、私が研修中に想像し、自主性を持つことが出来たならば運を引き寄せたと思えるかも知れない。

未来の自分を前向きに捉える事が出来るのは今の自分の行動。

社会人1年目の私。いや、人生1年目の私に教えこみたい。都合の良い想像は現実になり辛いと。考えろ、そして、確かめろ。と。




皆さんの意見を参考に変化していきます