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負けると思ったら負け


ゴールまであと100メートル。すぐ後ろには、選手が1人ぴったりと貼り付いていた。

最後のヘアピンコーナーは、泥でぬかるんだ丘。登りながら左へ曲がり、ホームストレートへと向かう。

先にこの丘を越えた方が勝つ。スリッピーな登り返しで、周回を重ねるごとに路面は荒れ、バイクコントロールが未熟なわたしにとって、苦手な箇所へと変わっていた。

後ろから感じる息づかいと、見えないプレッシャー。焦る気持ちのまま、コーナーを先行した。

「負ける」

体がこわばったその瞬間、前輪が轍から外れて右横にスリップした。わたしは50センチほどの高さの丘を登りきれずにバランスを崩し、左足を地面についてしまった。

ピタリと後ろを走っていた選手が、わたしが立ち止まった様子を確認して、冷静に右側から大きく回って勢いよく丘を超えてゆく。遠くから、彼女のチームの仲間の歓声が聞こえた。

わたしはレースの最後に、順位を落とした。


30代なかば、遊びで始めたシクロクロス。冬のスポーツで、オフロード用の自転車で森の中や雪道、牧場のウッドチップ、砂浜など、舗装路と未舗装路が混在する周回コースを走り抜ける競技だ。

競技を初めて数ヶ月。本格的なエリートクラスの選手でもないし、専門的な練習などほとんどしていない。当時は参加者もまだ少なく、初心者クラスへエントリーすれば参加費以上の商品がいただけるくらいだった。

休日になると仲間とレース会場へ向かい、泥だらけになって大笑いして、応援したり、応援されたり。日常生活からかけ離れた世界で、自転車を走らせることが楽しかった。

なのに。

いつも楽しいレースのはずなのに、この気持ちはなんだろう。表彰式の時も、家に帰ってからも、気持ちは沈んだまま。胸の奥がもやもやして苦しくて、わーっと叫びたくなった。


難しくない箇所なのに、なんで足をついたんだろう。なんで、なんで。

なんで「負ける」なんて思ったんだろう。

他の選手に追い抜かれたことよりも、自分を信じきれなかったことがとても腹立たしくて、悔しかった。


負けると思ったら、負け。

この場面が、わたしの競技人生のターニングポイントになった。

もっと上手くなりたい。もっと強くなりたい。負けるなんて思わないくらいに。基礎的な練習を重ねるごとに、できることも増えた。自転車と体がひとつになる感覚も、少しずつわかるようになった。

初心者クラスから上のクラスへと昇格し、レースがより楽しいものとなった。選手同士、ライバルでもあり、良き仲間でもある。レースが終われば、泥だらけのままハグして握手する。満足のいくレースは数えるほどだったけれど、毎回精いっぱいの力を出して、どんな結果も素直に受け止めた。

そして、チームの仲間や家族の協力もあり、たくさんの大会に出場できた。じゅうぶんやり切ったと思えるところまでやった。だから、競技をやめてしまった今、悔いはない。


わたしは競技を通して、相手との戦いよりも、自分を信じることがなによりも大事だと知った。そのために、たくさん準備することも。

いまも何か壁にぶつかったときは、レース中にあちこちから飛び交っていた言葉を思い出す。そして、自分に言い聞かせる。

大丈夫、まだいける、まだいける、と。



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