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味と記憶のことについて。

  こんばんは。スマホからノートって書けるのかな?  と思って(いつもパソコンからだったので) 試しに書いてみています。出来ないはずがないんですけどね…(笑)  どんな週末でしたでしょうか? 私はなんか、トータル15時間くらいしか記憶が…ないですね…。熱が出てしまって、しんどくて、ずっと寝ていました。おかげでちゃんと回復しました。いまは平熱です。今週こそどこかで休みたいな、という気持ちと希望を捨てずに行きたいと思います。

  さて、これは他愛もない日記なのですが。実家から届いた荷物の中に、祖父の葬儀に関連したものがすこし入っていて、いなくなってしまったんだなぁ、と深く思いました。親族をなくしたのは初めてではないのですが、なんて言ったらいいんだろう、やっぱりまだ言葉が見つかりません。もうすこしこのまま触らないでいておきたいな、とも思います。時間は過ぎて行くものなので。もう三ヶ月も経ってしまいました。これからもっと過ぎていくのだと、当たり前のことばかり思います。

  日常で思い出すことも多く、タイトルはそこから。味の好みがそこそこ違ったのでご飯の時にどうこうというのはないのですが、先日、静岡のお茶を飲んで、ちょっと動けなくなってしまいました。おじいちゃんちで飲むお茶の味がする。いまはまだ飲むの無理だなこれ、と思って、まあ買った分は飲み切りました(笑)  他にもいくつもあるものなのに、お茶が一番鮮明に思ったのはどうしてなのかな。不思議なことです。

  諸々が終わったらソキも絶対、盛大に体調崩すだろうな、と思いつつ。今日はもうゆっくりします。誰にもやさしい夜でありますように。


  それでは、また。

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