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言語を得たんだし、ご不明点だし 第一話

第一話 モーニングルーティーン

何の、いかなる空隙を挟み込む余地がないままに冒頭から初めから必然が如く、言葉というものはその区別もなく並列に浮遊し、浮動している。
勿論これは言葉というものの性質から明らかである。
私によるそのことの実にエレガントな証明はこうだ。
1.言語は全てを言うことができる
2.これも言える。

以上。素晴らしきランゲージ本当に感謝ベリーグッドサンキューベリーマッチベターモアベターベストベタートゥーマッチノットイナフありがとうありがとうアディオス……みんな……アディオス……と大往生27年の顔で起床、起床後即開陳、事実開陳内面開陳表裏一体のこの瞬間をおはよう諸君よおはよう諸君!当該主体としての役割を担う私、私としての起床である今後以後一切合切お見知り置きを。何、知らなくても知るようになる。知るとは本来的にそう言うものだ。結局俺が一番正しいと言うことをいつか知ることになる阿呆どもがとそんな俺は自らの周りに混沌然と漂う全ての言語を掻き分け根も花もないままに一本の強固な幹を、そうそのようなものを画定し他愛無いようなそう言うことじゃないような日々を累々と繋いでいくんだ、嗚呼

そうだ。

モーニングルーティーンとしてのおふくろの心臓の鼓動の確認。よし、この方針は間違いない。俺はそう直観する。俺のおふくろは階段を三段毎に区切っては毎日同じ色を塗っている。そう、確か赤→白→青→青→緑→黄→緑……(最初に戻る)という順番で三段毎に色を。設定のない父を。
階段は元々が赤色なので、赤色を塗ることに意味があるのかと言われればわからない。ただおふくろは毎日同じ色を三段毎に塗っているので元々意味がわからない。元々なのは階段の赤色の方だが、まあそんなことはどうでもいい。様々なことが言い立てられる。これも言語の特筆すべき性質だ。ちなみに、全ての性質が言語の特筆すべき性質であり、これがこれ自体特筆すべき性質である。
しかし俺の家に階段は何段あっただろうか、21段もなかった気がするのだが、おふくろが毎日三段毎にそう塗っている以上は3×7=21段以上はあるはずだ、俺は自分の家の構造を頭の中で想像する。一階は存在せず、二階はどの家にも言えることだが仄暗く全階層に渡って蔓延している。
三階と四階は割愛し、五階は一階だ。六階は存在しており、七階は定義しか存在しない。八階は毎朝服用している。
床面は至って普通なのだが、俺の家族は毎年毎年俺が誕生日になる度に等間隔に穴を開けていき、その穴に俺の名前をつける。過去の俺と話したくなった時はその穴に話しかけて精神の平静を保てるからいいんだと俺の家族は言う。いい加減慣れたが思春期の頃とかは本当に嫌だったという記憶を今はっきりと掴み取っている。物理的にも比喩的にも。ちなみにその穴はこの家の床面に開けられる直径が一番大きい円を考えて、そこに開けられることになっており、このことから論理必然そう言える訳ではないが、結果として毎年同じ場所に穴が開けられている。大半が穴であるような床は穴と呼ぶべきだし、穴に穴を開けることはできない。少なくとも俺はそう思うしそう主張したい気持ちが勿論ある。だが俺が思春期に当たってむしゃくしゃしておよそあまり存在しているとは言えない家のものを任意に破壊し尽くしたりした時に、おふくろが床の穴に向かってタッくん、タッくん、大きくなったねえと語りかけているのを見たことがある俺としてはそんな野暮なことは言えないし、おそらく俺の少なくない家族はみんなそう思っている。そう思っているはずだ。ちなみに天井は俺にとってこの世で一番遠いものだ。天井は常に視野全天を占めており、俺たちは常に雨晒しと言って不足はない。
俺の周りに漂う全ての言葉のように話がもつれて錯綜しきってしまった話を戻そう。
おふくろの心臓の鼓動は緑→緑……と永遠に繰り返すので、そこを基におふくろが今何色を塗っているかは判別できない。
勿論おふくろの鼓動が赤→白→青→青→緑→黄→緑……(最初に戻る)だったところで別に塗っている時刻も対応することは全然自明ではなく、まともな推論は何一つできないんだが、思うに何かを掴むということは、何かを掴み損ねることなのだ。
そうして俺は今おふくろは緑色を塗って居るんだなと安心する。安心して起床する。
後は八階を服用した後、如何なる空隙も無い頃合いになれば就寝する。
以上である。

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