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散逸的SCP紹介 その1 SCP-002"生きている居間"

順繰りに紹介していくとSCP紹介その0で言ったが、それはSCP-001から始めると言うことではない。そう考える奴がいたとしたらそいつはどうかしている。

何故か、まあSCPを知らない人のために簡単に補足しておくと、SCP-001というのは極めて難解なのだ、まあその理由としては至極単純なもので、001は記念すべき最初のSCPということで、西洋の主語文化よろしく自我の強い書き手が俺が書く俺が書くと喧々諤々の論争を繰り広げた結果そうなったのだ。そうなった。どうなったかと言うと難解になった。SCP-001は複数の項目が設定されており確か......10項目ぐらいあったはずだ。その内の一番本物のSCP-001の報告書であり、それ以外はダミーである。と言う設定らしい。SCP-001は財団の創設に関わる最も重要な事項であるため、そのような記法が取られている、と。(まあこれもヘッドカノンだが。ヘッドカノンとは何かという話は後述する予定。ちなみにSCPの設定全てがヘッドカノンみたいなノリなのでこの言葉は意味を失っているとも思う。どういう意味か?その話も後々する。)
ここにもその0で語った実在論的/非実在論的という区分を持ち出す事ができる。即ちその内どれかが本当のSCP-001であり、正解と不正解が明確にあるという立場が実在論的である。非実在論的な立場というのは、そういう設定(そのうちのどれかが本物〜などという)があるのみであり、その内のどれが正解なんて話は俺たちが正誤を与えていない以上ナンセンス、という話だ。
とは言っても、非実在論者だってこれが事実っぽい、という判断は別にするし、その事は別に矛盾ではない。
まあいいや、この話はこれぐらいにしておく。分からなかったらTwitterに凸してくれ。

んで前置きが長くなったがSCP-002の説明に移ろうと思う。
いや、またもやその前に一回脱線しようと思う。
SCPの文書は特別収容プロトコル→説明という順番に記述されているが、正直特別収容プロトコルから先に読むのはあまりお勧めしない。勿論SCP、あの概念と概念が交錯まくるメタなんて当たり前というSCPの事だから一概には言えないのだが、一概に言える事などあまりないのだが、まあそれはそのあまりない事のうち多少言える事であるとも思う。何故かと言うと、特別収容プロトコルはなんか、普通に具体的な収容手段に過ぎず、まあ無味乾燥なものが多いと言うのが一つ。もう一つは逆に無味乾燥でない場合は、後に書いてある「説明」を前提とした意味のわからない収容方法が書かれていることになるので、読みにくい。意味のわからない圧倒的具体性をもった手順が迫り来るような文章になるわけだ。勿論特別収容プロトコルから説明=SCPの性質を推測するという楽しみ方もある。それも大いにわかる。だがSCP独特の書式に慣れない初心者にお勧めしたい読み方だとは思えない。脱線は以上である。異常でもある。

こいつは簡単に言うと外部からは腫瘍のように見える
部屋だ、んで、中に長時間人がいるとそこの家具にされる、エド・ゲインを彷彿とさせるなと思う。
そしてまたまたその0で話した事なのだが、こいつは人間にしか反応しないらしい!これは面白い!これは哲学的考察のしがいがある性質である。どう言う事か。

ここで言う人間にしか反応しないという事柄にはこう言う疑問が持てる。

どう言う事か。要するに、こいつ002は人間の定義を何かしらの機構によって参照することによって、人間にのみ反応しているのか、もしくは、単に「人間に見える」ものしか家具にしないと言う程度の話で、例えば人間そっくりの猿をこいつの中に入れたらこいつは誤解しうるのか、みたいな話だ。
人間にしか反応しない、とは簡単に言うが、そんなことが如何にして可能だろうか?人間と猿はシームレスではないか?もしも人間にしか反応しないとしたら、それにはアプリオリなイデア的な絶対的差があると言うことにならないだろうか?そしてこいつはその違いを参照している、と。そう言う話になるわけだ。
いやいやそんな所まで話を飛躍させる必要はないだろうと言う向きもある。まあ普通にこれが自然だと思う。例えば服を着ているか着ていないかとか、そういう具体的な普通の特徴で人間か人間じゃないかを判別しているだけであって、だから判別アルゴリズムの穴を突けば、人間だって家具にならない。そう言う普通の話だろうと。
だからこのSCPが「人間に反応する」と書いてある以上は人間が人間でないかを判別する絶対的基準がありそれを参照している、だって、繰り返すがだって、「人間に反応する」と書いてあるのだから!とか言い出すのは普通に誤りで、それは単にこのSCPのアルゴリズムに対する無知、その無知の表現の一つに過ぎないのだと、そう言う話になる。この解釈が自然だと俺も思う。
この話も実在論的非実在論の対立っぽい話だ。即ち、実在論というのは事実があるのだ。人間とは何か?と言う問いは、相対的性質や傾向によって答えが与えられるようなものではなく、"本当の、絶対的な"人間の性質というものがあると考えるのだ。この二つを明確に区分しておくと世界は結構クリアになると思う。
それでは、また。(SCP-002についてそんな話せてないが、まあそんなに話す事がないとも言える。不気味でいいと思う。)

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