無能。

まず前述したいのが、私の精神はここ2、3ヶ月まあまあ終わってた。特に先週そのピークだった。まじで。だいぶ長いこと仲良い友達と初めてクソ喧嘩したり。まあ挙げればキリないほど死んでたのだが、ほんとにクボピン単独の「無能な催眠術師」に救っていただけた。ほんとに。これだけは言いたかった。ありがとうございます。そんな中で、今日も例のごとくクボさんのインスタライブを見ていると、みんなの無能な催眠術師も聞きたいって言ってたので恐縮ながら私も書くことにしてみる。


私は元々明るい人間だった。
と言ってもやはり多少周りからは浮いていて周りがHIKAKIN、はじめしゃちょーを見始めていた小学生の頃にニコニコでゲーム実況やボカロを見たり音MAD文化を知ったりしていたが、とはいえ周りの会話にも全然ついていけるしなんなら主導するような人間だった。
中学に入ってもそれは変わらず、1年1学期に学級委員をやり二学期には生徒会役員に立候補した。
サッカー部とは昨日のテレビの話やフィッシャーズの話をして、美術部では先輩や同級生と踊ってみたの話やゲーム実況の話をした。私は欅坂46とデュエルマスターズが好きなだけのなんでもない中学生だった。親からもあなたのコミュニケーション能力は素晴らしいから大事にしなさいと言われたし、これが自分の取り柄だと思っていた。

良いか悪いか今も分からないが、間違いなくどっちにしろ歯車が狂ったのは中学2年生の二学期頃だった。修学旅行のレク係でサッカー部4人とお笑いをやることになった。その中では1番私がお笑いを見ていたので私がネタを書くことになった。1からネタを書くなんて無理なことは到底分かっていたので5人だし、文化祭で自分の時代定番だった超新塾のネタをやることにした。
YouTubeで超新塾のネタを見始めた。ある日超新塾を見るために見たこと無かったにちようチャップリンという番組を見た。沼の始まりだった。
私はお笑いにハマった。

一瞬だった。
ネタパレとにちようチャップリンを毎週録画にし、マセキの公式YouTubeをチャンネル登録し、芸人の出演情報を得るためにTwitterを始めた。
いつしかニコニコ動画ではお笑い音MADしかみなくなり、主な話題だった昨日のテレビを見なくなりラジオを聴き始めた。YouTubeはゲラニチョビを見るためだけのものと化していた。

面白い文化に触れ始めた私は視界がとても狭くなっていた。お笑いしか見なくなっていた。気付くと周りの人間達が面白く無いと感じ始めていた。
以前よりも面白いか面白くないかで人間を見るようになり、面白いと思う人間としか関わらないようになった。自分はと言うと中3の頃には漫才を書き始め、この学校でいちばん面白い人間だと思い込まざるを得なかった。
気付けば両親から言われた誰とも仲良くできるコミュニケーション能力は消え去り、心の中の無能な催眠術師が思い込ませた自分は面白いという催眠こそが1番の長所だと考えていた。
人のネタでしかウケてないのに、ラジオの逆電が何度も繋がる自分が面白くないわけないと思っていた。

高校に入学してもそれは変わらなかった。
休み時間にはネタを書き、学校が終わると1人で図書館に向かい近くで働く母の仕事が終わるまで本を読んだ。時には漫画も読んだ。
スポーツが強い高校だったため、極端に明るい人間がおおかった。私は、ますます周りの人間に嫌悪感を示しクラスの人間たちが披露するどうやら「一発ギャグ」らしいただの大声や、どうやら「大喜利」らしい落書きには心の中で中指を立てた。
とはいえ友達はいないし、いないと高校生活なんて上手くいかないし、気付けば小中仲良かったあいつも高校では私に話しかけなくなっていた。帰りにボロボロの音楽プレーヤーでネクライトーキーを聞いて何をしていいかわからず少し泣いていた。その時もお前は面白いからと言ってくる心の中のあいつは俺にネタを書かせた。
普通に高校1年間でノート1冊分ネタを書いていた。漫才何本書いたんだろう。実家にあるはずなので次の正月には絶対に燃やしたい。

高二になるとコロナ禍になった。この頃私の精神は限界を迎えていた。唯一高校で話せるような友達とクラスが離れたことでフロアが離れ、そんな中で、自粛期間が始まり話せる人間がますます作れない状況になっていた。高校の人間たちは学校に隠れて街で遊んでるらしいという風の噂が流れていた。今まで朝と夜だけだった親の感じが日中になり、毎日叱られ、地元の友達は高校の友達と遊んでいて、返信は遅く、風呂に入ってる時間だけが安心できる時間になっていた。
左腕は自傷で溢れ、眠れない日々を過ごした。
ネタを描き始めたノートは3冊目を終えようとしていた。そんな中で高校が再開した。友達はいなかった。お前は面白いから大丈夫と言ってくるあいつはいつしかハイスクールマンザイのことを調べ始めていた。

内科のおかげで友達はいなくとも医薬品には頼りながらもある程度精神が戻った私はnoteに漫才を上げ始めた。催眠術師のせいで自分は面白いと信じきっていたので誰かに引っかかると思っていた。実際に引っかかった。名古屋の知らねぇ人間とコンビを組むことになった。高校生芸人のグループLINEに入れられた。彼らは痛い連中だった。私はすぐに逃げ出した。コンビを組んだアイツとはリモートでハイスクールマンザイにエントリーしたが私の書くネタもしょうもなく、向こうがネタを覚えておらず受かるわけが無かった。誰にも見せたことがなかったネタ達が死んだ瞬間だった。解散した。もう名前も覚えていない。
でも私は面白いと思い込ませるあいつのおかげでこんな人間たちと離れても大丈夫だと言ってきた。心は折れかけたが書くしか無かった。

平坦どころか窪みまくった高校生活を終えた。
最終的に友達と呼べる人間達は何人かいたが、彼らは今私にタロット占いをして欲しい時にしかLINEをして来ず、地元に帰った際は私のLINEを無視した。最近は嘘の占いばかり伝えている。
彼らは私の性格が終わってることを思い出すべきだ。無料でいい占いをするとおもうな。もうライブのお客さんからお金もらってタロットやってる以上タロットやって欲しいだけのやつには嘘くらいつく。責任を感じるために報酬をいただくのだ。お金もらった方は死ぬほど本気でやってる

そんな地元から逃げ出し、私は囁かながらお笑いを始めた。無能な催眠術師が私に長いスパンをかけて思い込ませていたことでネタの作り方は全く作ったことの無い人間よりも分かっていた。初めての舞台では自分が思っているよりもウケ、感じたことの無い衝動に駆られた。
今のところ正直順調に進められていると感じる。
順位がつくようになってから2連続で1位を取ったり、もちろん自分が思ってるより反応が無くて死にたい夜も全然あるし、プロの芸人達が私のことをバカにするようなネットへの晒し方をしてきた時はムカつきと悔しさで心臓がはち切れそうになった。あれは本当に腹が立った。それでもお客さんのアンケートや票ではそこまで評判が悪くなく救われる日も多いし、評価してくれる人も一定数いる。本当に救われている。この状況に私の心の中の無能な催眠術師はドヤ顔をしている。だから言ったろ顔をしてきている。付け上がった彼はお前は面白いからと以前に増して言ってくるようになった。バイトでお皿を割った時も大学のゼミで自分以外の男子が遊びに行っていた時もゴキブリが部屋に出てゴキジェットを構えたまま眠れなかったあの日も睡眠薬に頼っていたあの頃がフラッシュバックする夜も彼はお前は面白いからと私にネタを書かせる。

私の心の中の無能な催眠術師。
頼むから私をそのまま勘違いさせていてくれ。
ネタを書くことが楽しいままお笑いを続けるにしても辞めるにしても。
お前がいなけりゃ私はすぐに辞めてしまう。
お前が動く限りできるだけ私も楽しんでやる。

こんなこと書いた次の日のライブが死ぬほどな結果でした。頑張って死なずに辞めずにネタを書きます。すみません。

支援をすると私にnoteをサボるなという プレッシャーを与えることができます